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line40.美紀夫の逃亡

 程なくして俺は事務所に連れて行かれる。ここへ来るのは二度目だった。俺は人目もくれず涙を流した。訳が分からなかった。何で美紀夫がみおの格好をしていたのか。二人はいつ入れ変わったのだ。もしかして最初っから俺とデートしていたのはみおではなく、弟の美紀夫だったとでも言うのか。だとしたら俺のこの気持ちは、みおに向けたはずのこの気持ちは、この気持ちは――――っ?


「嘘だああああっ!」


 事務所の机にうつ伏せて泣きじゃくる。後ろの戸が開き、肩に優しく手が置かれた。


「やれやれ、また君か」


 顔を上げると、前にもお世話になったおじさんが目の前に立っていた。黙ってタオルを受け取ると、そこに思いっきり顔を埋める。


「それにしてもよく泣く少年だな」帽子を被り直し、時刻を確認する。「今日は終電まで時間があるから、しばらく泣き止むまでここにいなさい」


 そう言っておじさんがまた出ていく。静かになった事務室で、俺は途方に暮れていた。あの走り方は間違いなく美紀夫だ。それは間違いない。では、二人はいつ入れ変わったのだ? トイレに寄った時か? ……いや、待てよ。水族館を出た時、みおは既に左足を引きずっていたではないか。あれは靴擦れではなく、捻挫していたからではないのか。


 まさか今日一日中美紀夫がみおに成りすまし、俺とデートしていたとでも言うのか。俺に見せてくれたあの笑顔、恥じらう姿は全て美紀夫の一人芝居だったとでも言うのか。

 一通り泣き終えた俺の心は、既に怒りへと転換されていた。美紀夫の奴、許せねぇ。俺がお前の事を避けていたから、その嫌がらせのつもりか。携帯電話を開き、美紀夫の番号にかける。電源が入っておりません、と呆気なくはね返された。


 畜生っ! 何だってんだ、美紀夫の奴。俺の事、弄んでそんなに面白かったのかよ。一発でも殴らなきゃ気が済まない。こうなったら美紀夫の家に押しかけてでも殴ってやる。俺は事務所をそっと飛び出すと、急いで下りの特急列車に乗り込んだ。あの野郎、絶対許さん。俺はイライラしたように腕を組むと、靴底で床を何度も叩きつけた。




 美紀夫の家に着くなりインターホンを押す。もう夜の九時を回っていたが、俺のお腹の虫も鳴きまくっていたが、何よりも今は美紀夫から事情を聞き出すのが優先された。何故みおと入れ変わったのか。みおに頼まれたのか、それともあいつの意思なのか。どちらにしても美紀夫を殴ってやるつもりだった。


『はい、どちら様でしょう』


 女性の声だ。美紀夫のお母さんか。


「夜分遅くにすみません、美紀夫の友達の河村です。美紀夫君いますか?」

『ああ、河村君ね。それがあの子、まだ帰ってきてないのよ』


 先に帰ったはずの美紀夫は家には帰っていなかった。俺は拍子抜けしたように「そうですか、ありがとうございます」と呟くとその場に佇んだ。怒りのやり場が見つからない。しばらくここで美紀夫の帰りを待つのも考えたが、それでは美紀夫の母親に迷惑がかかると思ったし、夜になってますます冷え込んできたので止めた。明日になれば嫌でも学校で会えるだろう。まっ先に美紀夫をとっ捕まえて、全部吐かしてやる。俺は程なくして自転車を取りに駅へと戻った。




 翌日、美紀夫は学校を休んだ。俺は不貞腐れたように空席の椅子を見つめる。あの野郎、逃げやがって。こっちは泣き腫らした目で嫌々登校してきたって言うのに。昨日から何度電話をかけてもつながらないし、メールも何通か送ったが無駄のようだ。携帯をへし折る勢いで握り締める。


「礼二、何そんなに怒ってんだよ」


 眉間にしわがよりっぱなしの俺に山本が話しかける。高橋が慌てて制した。


「おい、やめとけって。今の礼二に関わるな。そっとしておいてやれ」


 行こうぜ、と高橋が山本を連れて出て行く。この日の俺は始終機嫌が悪かった。帰りの部活動も辞退すると、迷うことなく美紀夫の家に向かう。インターホンを何度押しても、誰も出なかった。美紀夫の奴、居留守で逃げる気かよ。しばらく家の前で佇んでいたが、近所の目に触れるのを恐れて帰った。


 その夜、何度電話しても美紀夫は出なかった。

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