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line37.遠藤の想い

 美紀夫が倒れた時、まっ先に駆けつけたのは俺だ。でも、あいつを支えてやることは出来なかった。俺は包帯を巻かなくなった右手を見る。手の甲にほくろのようなしみが幾つか残っているだけだった。


『何を躊躇っているのよ! もういい、私が連れていくわ』

『いいよ、及川さん。僕一人で行けるから』


 美紀夫の悲しそうな表情に胸が痛んだ。俺はあの時、美紀夫に触れるのを恐れてしまった。躊躇ってしまった。ここで美紀夫を支えたら、周りから変な目で見られるんじゃないだろうか。みおと混合して変な気を起こしてしまうんじゃないだろうか。そんな自分の都合ばかりを気にしてしまった。

 大体、変な気って何だよ。距離を置きたいのに、ますます美紀夫の事が気になる。友人にそんな考えを起こしてしまっている自分がとても恐ろしかった。これはひょっとすると、ひょっとしてしまうのかもしれない。


 俺は一人帰りの電車の中で携帯画面を開いた。みおからのメールに、未だ返信出来ずにいる。もう一度みおに会えば、この気持ちをはっきりさせることが出来るのだろうか。自分は同性愛者ではないと、確信を得られるのだろうか。

 俺は藁にも縋る想いで返信を送った。五分後、俺からの返信を待っていたかのように返事が届いた。何通かメールのやり取りをしたその夜、次に会う日時と場所が決まった。二月十二日の日曜日、午後四時に名古屋海中水族館前。行き先を提案したのはみおだった。


 水族館なんて小学校の遠足以来だ。俺は複雑な面持ちで携帯画面を見つめた。みおと会って、きちんとあの日の理由と、トラウマから生じた男性恐怖症を受け止めてあげよう。桜ヶ丘女学院と俺に嘘を付いたのも、きっと理由があるはずだ。彼女の事を知って、それから俺も好きになろう。優しい優二兄のように。

 一応美紀夫にも心配メールを送ってやると、その日は早く眠りにつけた。また会えるんだ、みおに。今の俺なら、彼女に優しく接してあげられそうだった。




 美紀夫はあれからしばらく部活を休んた。足首を捻挫したのだから、当たり前といえば当たり前か。俺は目の前に誰もいない道をひたすら走った。美紀夫がいない部活動は、何だか物足りなかった。及川も美紀夫の怪我を心配しているらしく、昼休みに教室に来て美紀夫に何やら手渡ししていた。だが、及川が俺の所まで来ることはなかった。

 何だよ及川の奴、美紀夫に可愛いらしい紙袋なんか渡しちゃって。あいつら仲悪かったんじゃないのかよ。俺は面白くないように窓の外を見ていた。今日は久しく雨でも降るのか、ずっしりと灰色の曇が広がっていた。




 みおとの約束日前日。俺はいつもどおり朝からバイト先へと向かう。裏の従業員専用出入口前の自転車置き場に、白いダウンジャケットを着た女性が寒そうに立っていた。遠藤だ。何しているのだろう。俺が近づくと、待っていたかのように顔をあげた。


「おはよう、河村君」

「ああ、おはよう」自転車を止め、かごから荷物を取り出す。「ここで何しているんだ?」

「ちょっと渡したい物があって」


 鼻を啜り、鞄から綺麗にラッピングされた小箱を取り出した。遠藤はそれを恥ずかしそうに俺に差し出す。


「少し早いけど、バレンタインのつもり」

「え……? ああ、ありがとう」


 まさかこのタイミングでチョコが貰えるとは。何の心構えもしていなかった俺は焦った。なんて返事をするべきなのだろう。お互い視線を交わさずに沈黙した後、遠藤が遠慮がちに口を開いた。


「私……あの時わかっちゃったの。河村君の好きな人か誰か」


 あの時って、どの時の事を言っているのだ? わからなくて遠藤の顔を見たが、切なそうに微笑むだけだった。


「私には敵わないと思った。それでも渡したかったの……感謝の気持ちだと思って受け取ってくれない? お返しはいらないから。じゃあね」


 言うだけ言って、俺から逃げるように出入口から店に入る。今日は午後から部活があるため、自分が昼で帰ってしまう前に渡しておきたかったのだろう。俺は赤いリボンで巻かれた小箱を見た。どうやら手作りのようだ。


「遠藤……」


 あいつはあいつなりに、俺に対して好意を抱いていたのか。気が付かなかった。美紀夫に見つかった時『尊敬しているだけだから、気にしないで』と言われ、てっきり自分をそういう目で見ていないと思っていたのに。

 女って奴は、つくづくよくわからない生き物だ。俺は遠藤の想いを鞄の奥底にしまい込むと、いつも以上に張り切って仕事をこなしていった。


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