line25.アクシデント
スーパーで昼食の弁当と、美紀夫への手土産のケーキを二つ買って帰る。このまま一度自宅に帰ろうと思ったが、ケーキは弟達に食われてしまうかもしれない。俺は美紀夫に連絡すると、そのまま美紀夫の家に向かった。
美紀夫はジーンズにチェックの赤いシャツとラフな格好で俺を出迎えた。ケーキがそんなに予想外だったのか、喜んで冷蔵庫にしまい込んだ。
「悪いな、随分早く来て」
「ううん、大丈夫。あれ? お昼もまだだったの? 」
美紀夫が弁当の袋を覗き込む。俺は美紀夫の許可を得て、電子レンジを使わせてもらうことにした。今日は美紀夫以外に誰もいないのか、家全体が静まり返っている。
「今日はお母さん、いないのか? 」
「うん、お爺ちゃんも町内のクリスマス会に出かけたよ」美紀夫が笑いながらカレンダーを見た。「そう言えば今日、クリスマスイブだったね。男二人寂しいなぁ」
「それを言うなよ。でもお前、こないだ告白されたんじゃないのか? 」
「誰に? 」
「及川に」
及川の名を出した途端、美紀夫は眉をひそめた。
「されてないよ。誰? そんな適当な噂流したの」
「えっ? だって長谷川先輩がふられたって」
「それは思い込みだよ」美紀夫が困ったように顔を顰める。「あの話、聞かれていたんだ……先輩からどこまで聞いたの? 僕の事、何か言っていた? 」
美紀夫が詰め寄って聞いてくるので、俺は思わず後退る。
「ふられたしか聞いてねぇよ。部活が終わった後、美紀夫がいない事に気付いて部室まで戻ったんだ」昨日の出来事を思い出そうと思考を巡らす。「でも、部室の前には先輩がいて、俺はグラウンドに連れて行かれただけだ」
「…………」
美紀夫も昨日の出来事を思い出そうと顎に手をそえる。やがて電子レンジが軽快に鳴った。
「まぁいいや、及川さんの事は知っているの? 」
「及川? ……いや、何かあったのか? 」
「知らないなら、いいよ。僕の部屋に行こう」飲み物を入れたグラスを二つ持って、廊下に出た。「この前新作のゲーム買ったんだ、礼二君もやるでしょ」
有無を言わせない美紀夫の背中に、俺はそれ以上何も聞けなかった。二人は喧嘩でもしたのか? 俺は疑わしいと思いながらも、黙って美紀夫の後をついて行った。
「さっきまで宿題していたんだ。もうすぐ終わるから、ちょっと待っていて」
テレビを点け、美紀夫が奥に立て掛けてあった折り畳み式のテーブルを持ち出す。用意してくれた席に、俺は弁当と共に腰を下ろした。
「偉いな、ちゃんと宿題やって」
「あはは、礼二君はいつも僕のを写しているからね」美紀夫が机に向いながら話す。「でも、テストの点数はそこまで悪くないよね? 赤点採ったとこ、見たことないし」
「ぎりぎりだけどな。一応、秘密の勉強法で復習しているし」
「秘密の勉強法? ……まさか単語を女の子に当てはめて覚えているとか? 」
「ばーか、そんなに可愛い女子がいねぇよ」
美紀夫も「そうだね」と言って俺の答えに笑った。俺もつられて笑う。美紀夫は生意気だけど、こうして俺を励まそうとしてくれる良い奴だ。無理に何があったのか聞き出そうともせず、俺からの出方を待っているのがわかる。
『 もう少し元気出せ。みんなお前を心配している 』
先輩の言葉が頭を過ぎる。友達の中では、美紀夫が一番心配してくれたはずだった。迷惑をかけたはずだった。俺は軽く咳払いをして、感謝の言葉を述べた。
「美紀夫……心配させて悪かったな。今日は誘ってくれてありがと」
恥ずかしさに弁当を食べて誤魔化す。そんな背中を悟られたのか、美紀夫がくすくすと笑った。
「何だか礼二君らしくないね」
「うるせー」
「でも、少しは元気になったみたいでよかった」美紀夫がちらっと振り返る。「ふられた時は、どうなる事かと思ったよ」
「あはは、確かにショックだったけど、そういつまでもくよくよしていられないしな」一息着こうとお茶を飲む。「……みおさんは元気か? 」
あれからみおと連絡がつかず、彼女の状況を知る手段もなかった。みおの言葉に反応して、美紀夫が椅子ごと振り返る。
「……大丈夫、元気だよ。少なくとも礼二君よりかはね」
「そ、そうか。よかった」
「ただ、今はそっとしておいて欲しい。みおも礼二君を傷つけようとして、傷つけたんじゃない」
美紀夫が悲しそうに呟く。あの時のみおは、怯えた瞳に涙をいっぱい浮かばせて、嗚咽していた……少なくとも食事をした所までは、俺もみおも楽しかったはず。きっと、俺の気持ちを受け入れる体制が出来ていなかったんだ。その時間すら与えてやらなかったのは、他の誰でもないこの俺だ。
「美紀夫は怒らないのか? 」
「どうして? 」
「だって俺は……お前の姉を、男嫌いだと知りながらも告白して、傷つけたんだぞ」
美紀夫に怒られても、恨まれてもしょうがないと思った。まさか自分だけではなく、みおまで傷つくとは思わなかった。泣き出すとは思いもよらなかった。
「みおの事で僕が口出す権利はないよ。むしろみおに告白した礼二君は、凄いと思った」
美紀夫が照れくさそうに褒める。俺は「そうか? 」と頭を掻いた。
「礼二君には酷だったかもしれないけど、みおはかなり特殊。本当に気にしない方がいいよ、僕にもみおがわからないんだからさ」そう言って肩をすくめる。「……もう、みおの事は忘れなよ。ちゃんと向き合ってくれる相手を、これから探そう」
男の俺に同情して肩を叩く。好きになった相手が悪かったのか、それとも考えもせずに告白した俺が悪かったのか。どちらにしても、あの出来事から立ち上がらなければならない。俺は「そうだな」と曖昧に頷くと、美紀夫という友人に感謝しながら弁当を平らげた。
その後、俺達はいつも通りゲームで遊んだ。俺がプレイして、その横から美紀夫がアドバイスをする。この関係が、今の俺にはとても心地よかった。
「礼二君、上手くなったね」
「そうか? 」
「でも、ここのステージはクリア出来るかな? 」
隣で美紀夫が意地悪くほくそ笑む。こういう顔をした時の美紀夫は、本気で俺を潰しにかかる合図だった。てことは、相当難しい事を意味する。その証拠に、先程から三十分以上もこのステージから進めずにいた。しびれを切らしたのか、美紀夫がアドバイスを中断する。
「礼二君かわって、僕がやるから」
「やだよ、もう少しだけやらせてくれよ」
「さっきからそう言って進まないじゃない、ほら、ちょっとだけだからさ」
美紀夫が俺からコントローラーを奪おうとする。俺もむきになって、美紀夫に取られまいと死守する。やがて押し引き合いになり、小柄な美紀夫が後ろにひっくり返りそうになった。
「あぶねぇ」
後ろにテーブルがあった事に気付き、俺は慌てて美紀夫の身体を掴んだ。思いもよらず抱きしめる格好になり、俺は美紀夫を抱いたままテーブルの角で頭を打ちつけた。
「いってぇ……」
頭を押さえつけながら、ゆっくりと身体を起こす。美紀夫が俺の腕の中で、真っ赤な顔をしてこちらを見つめていた。
「…………っ! 」
その表情は、みおそっくりだった。というより、みおそのものだった。俺はすっかり気が動転して、痺れたようにしばらく動けずにいた。
「ぼ、僕っ、ケーキ持って来るね」
真っ赤な顔のまま俺の腕をすり抜けると、美紀夫は慌てて部屋から出ていった。頭がじんじんと痛むが、それより胸の鼓動がうるさいのが気になった。
おいおい、相手は美紀夫だぞ、男だぞ。いくら女顔だからって、これはまずいだろ。俺は落ち着きを取り戻そうと座り直したが、同時に下半身が勃っているのに気付く。
「何でだよっ! 」
股間を両手で押さえつけながら、その場で蹲った。落ち着け、落ち着くんだ、俺。これはきっと、びっくりしたせいだ。深呼吸をして、少しでも正常を取り戻そうとする。
大体、何で美紀夫も照れるんだよ。確かに不本意とはいえ、美紀夫を押し倒した感じになってしまったが、あんなに恥ずかしがることもねぇだろうが。俺は美紀夫に理不尽な怒りをぶつけながらも、反応してしまった事実に羞恥心を覚えた。