line2.学校案内
五教科全てのテストを終え、俺は椅子に座ったまま伸びをした。テストは勉強していようが、していまいが緊張するな。ついでに欠伸をかました所で、後ろから「河村君」と声をかけられた。
「学校案内、お願いしてもいいかな」
久瀬が大きめのショルダーバックに教科書を詰めながら尋ねる。そういえば先生にそんな事を言われていたのだった。テストですっかり忘れていた俺は「ああ、そうだった」と曖昧に返事をする。
「ごめん、もしかして用事があったの?」
久瀬が悲しそうな顔をする。
「いや、ないない。それじゃ行こうか」
大きな瞳に長いまつ毛。サラサラとしたショートヘアー。まるで猫みたいな奴だなと、一瞬軽視してから席を立つ。
「礼二! ちゃんと学校案内してやれよー」
クラスメートの野次を他所に、俺と久瀬は廊下に出た。廊下に出ても、皆物珍しそうに久瀬の姿を見る。それもそうだ。地元の連中からしたら、久瀬はまだ異質の存在、注目の的だった。当たり前と言われれば当たり前なのだが、随分と居心地が悪い。久瀬も緊張しているのか、低めの背を更に低くして縮こまったように歩いていた。
「まずは南校舎から見て回ろうか」
南校舎には職員室や理科室、音楽室など所謂移動教室で行く所が多い。とにかくまだ生徒が従来している北校舎から離れたかった。
無言で歩く訳にもいかず、俺は適当に久瀬に話しかけた。
「久瀬は埼玉から来たんだよな?」
「うん、そうだよ」
「最初田舎だと思ってびっくりしなかったか? ここ」
俺はそう言って渡り廊下から裏山を見上げた。涼し気な山の緑のふもとには、みかん畑がこれみよがしに段々と連なっている。また歩いて十五分とかかる、普通列車しか止まらない最寄りの駅は最近ようやく自動改札が設置され、コンビニも近くに出来たばかりだった。
「そうかな。山も海も一望できて凄いと思うよ」
久瀬はそう言って反対側に見える海沿いを指した。日光に照らされてギラギラと眩しく輝いているが、実際に近づくとゴミの掃き溜めが幾つも点在している。それを久瀬が知る余地もないが。
「久瀬はどの辺に引っ越して来たんだ?」
うーんと首を傾げ、あっちの方と東を指す。勿論分かるはずもない。
「電車通学か?」
「そう。M町から乗って来たんだ」
「へぇ、俺もM町から乗ってんだ。案外自宅も近いかもな」
久瀬が仲間を見つけたように明るくなった。その様子に何だか照れ臭さを覚え、思わず顔を逸らす。今の、そんなに喜ぶ事だったか?
「ここが理科室だ。国語、数学、英語以外の教科は教室移動が多いかな」
「分かった。場所だけは把握しておかなくちゃ」久瀬はメモを取り出すと、簡単な地図を描き始めた。「ここが、理科室っと」
背を縮めてメモを取る様が、何だか小動物を連想させる。俺は誰もいないのをいい事に、久瀬に理科室に入るよう誘った。
「どうせならここで座って書けよ。何なら俺が黒板に描いてやろうか?」
そう言って教卓に上がりチョークを取り出すと、大きな長方形を描く。
「河村君、歪んでるよ」
久瀬の笑い声を他所に、俺は思い出しながら校舎の地図をでかでかと描いてやった。久瀬が一生懸命写す中、俺は四階の理科室から運動場を見渡す。陸上部のメンバーは、既に外周ランニングに出てしまったらしく、一人マネージャーの及川が道具の準備をしていた。そう言えば、今日の放課後は絶対行くと及川に約束したのを思い出した。
「河村君って、何の部活に入っているの?」
写し終えたのか、いつの間にか久瀬が自分の隣に来ていた。間近で見ると本当に色白く、まつ毛も人形みたいに長い。俺は思わずたじろいだ。
「俺は陸上部だ。久瀬は何も部活動していなかったんだろ?」
「うん、でもせっかくだから部活動しようかな」
「だったら陸上部に入れよ。お前、ちょっと腕細すぎるぞ」
そう言って久瀬のはみ出た細い腕を掴む。その行為に驚いたのか、久瀬が顔を赤くする。俺も何だか悪いことをした気分になり、慌てて放した。
「悪い、びっくりさせたな」
「う、うん」久瀬が自分の細い腕を見つめる。「でも僕、走るの遅いよ」
「だから鍛えるんじゃないか。少しは筋肉付けとかないと、女にモテないぞ」
俺はからかうように頭を撫で付けてやったが、久瀬は不快に振り払う。本人も少し気にしているようだった。
「河村君はいいよね。背も高いし、腕だってごついし」
先程の行為への当て付けなのか、腕を労るように撫でる。確かに夏休みの品出しで重い荷物を運んだせいか、腕の筋肉も多少ついたと思う。しかし、その言い方は僻みではないか。久瀬の露骨な態度に眉をひそめた。
「誘って悪かったな。まぁ文化部もあるから色々見学してみたら?」
冗談の通じない久瀬に、正直付き合うのが面倒臭くなった。俺は黒板に描いた図面を消して、理科室を後にする。
「待ってよ。まだ案内してもらってないよ」
ショルダーバッグを下げ、慌てて理科室から久瀬が出てきた。色々持ち帰る物が多いのか、ずるずると重そうに引きずっている。
面倒臭い奴だ。さっさと校舎案内を終わらせたかった俺は、久瀬のショルダーバッグを無理矢理奪うと自分が背負った。
「何するの、自分で持てるからいいよ!」
「じゃあこっちを持ってくれ」
その代わりに自分の財布とファイルしか入っていない鞄を渡す。久瀬が不服そうに俺を見上げた。
「悪いが早目に案内するぞ。マネージャーに放課後の部活は絶対出るって言ってあったからな」
「そう……」
何を期待したのか、久瀬は少しショックを受けた様子だった。こんなもやし野郎に陸上は無理だな。そう決め付けると、素早く教室を案内する。職員室を通り過ぎた所で、野次が飛んできた。
「河村―っ! ついに彼女が出来たのかぁ?」
声のした方を振り返ると、隣のクラスのよく騒ぐ男子達からだった。俺は言っている意味が分からず、久瀬を見た。彼女? ひょっとして久瀬の事を言っているのか。
「やったな、彼女が出来て!」
くすくすと久瀬の方を見て笑っている。この女顔を馬鹿にしているのか。
「いいだろーっ、お前らには指一本触れさせねー」
適当な返事を返すと、久瀬を庇うようにその場を立ち去った。久瀬は下を向き、またかと涙を堪えているようだった。
「あいつらの事は気にするな。最初だけだ、あんなの」
久瀬の様子からして、前の学校でもからかわれていたのは一目瞭然だった。女みたいに綺麗な容姿をした男。どちらとでも取れそうな中性的な身体に声。きっと前の学校でも色々あったに違いない。転校してきた理由も、そこにあるような気がした。しかし、あれこれ詮索するのはまだ早過ぎる。
俺は久瀬の小さな背中を軽く叩く。もし久瀬が女だったら、さっきの奴らも羨む美人に違いないと思った。