表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/42

line1.転校生

 九月の始まり、即ち二学期の始まり。高校二年の夏休み中、碌に勉強するわけでもなく、部活とアルバイトに勤しんでいた俺にとって、今日の夏休み明け実力テストなど上の空だった。


 一人みかん畑の広がる通学路を歩く。登校時刻にギリギリ間に合う電車に今日は乗ってきた為、他の生徒は皆暑い中忙しなく足を動かしていた。俺も負けじと手で汗を拭いながら緩やかな傾斜を上る。俺の通うG高は、山と海に阻まれた辺鄙な所だった。周りは畑に囲まれており、毎年わが校からみかん泥棒が出没する。そんなのどかな学校だ。


 登校するだけで汗だくになった俺は、教室に入るとまっ先にタオルで顔を拭き、制汗スプレーを駆使して早く汗を食い止める。たまらず駅前で貰った『光ファイバー』の宣伝うちわも使う。


「礼二、お前の席そこじゃねぇよ」


 クラスメートに言われ、俺は自分が座っている机の中を見た。中は空っぽで、何も入っていない。前の机の中を見ると、俺の筆箱が入っていた。前の机が俺の席だった。


「あれ? 机が増えたのか?」


 俺は席を立って前から机を数えてみた。やはり机が一つ増えている。昨日の始業式の後、今日は夏休み明けのテストだからと席を名簿順に移動してから帰ったのだった。その時、俺は一番後ろの席だったはずだ。


「な、増えているだろ? 噂じゃ転校生が来るらしいぜ」


 転校生。こんな田舎の学校では珍しいと思った。何せこのG高は、地元の中学で平均ラインの奴らが募って来るような所だ。よっぽど頭のいい奴か、馬鹿な奴、専門科業は地方に行くので、クラスの三分の一程は中学校からの顔見知りだった。


「女子か?」

「残念。ちらっと職員室を覗いた奴が言うには、男だとよ」

「何だ、男かよ」


 俺はがっかりして前の席に移動した。どうせ自分の後ろの席に座るのなら、女子の方がいいに決まっている。


 俺はようやく自分の席に着くと、シャツのボタンを開け、一生懸命涼もうと努力した。いくら三階で窓が開けられているとはいえ、教室の中は蒸し返すように暑い。都心部では教室にクーラーが義務付けられている所もあるらしいが、こんな田舎の学校ではクーラーなんて夢のまた夢だった。


「礼二、放課後は部活出てくれるよね?」


 そう言って俺の横に立ったのは四組の及川美裕。首に黄色のタオルをかけ、今日は暑苦しい前髪をピンでとめ、額を露にしていた。おかっぱ頭でちょっと気が強い、陸上部のマネージャーという名のお節介女だ。及川とは去年同じクラスだったのだが、こうして離れてもちょくちょく俺のクラスにまで来る。及川の世話好きがマネージャーとして適正ではあるが、俺は及川が少し苦手だった。


「放課後は絶対行くよ。今朝は寝坊したからな」

「もう、そんないい加減じゃ困るわよ! 礼二は陸上部の時期部長候補なんだから」

「はいはい」


 俺は及川を適当にあしらうと、機嫌悪そうに教室を出て行く後ろ姿を見送った。女子の制服は男子の学ランとは違い、厚手の白い半袖ブラウスに、紺のスカート。派手な下着を付けた女子の、ブラジャーがうっすらと見えるのも特徴だった。ちなみに及川は黄色だ。


 全く、見たくない物を見せられるこっちの身にもなれよな。俺は眠気を感じて欠伸をかました。本当は今朝五時に起きているのだ。実は今朝から内緒で始めた、朝のスーパーの品出しアルバイトをしてきた所だった。




 進学校のG高では、原則アルバイトは禁止されている。それでも俺の友達の何人かはこっそりアルバイトでお金を貯め、月の小遣いの足しにしている。俺もそんな友達に進められて、夏休みからバレにくい朝方の業務アルバイトを始めた。放課後は部活に専念し、早く寝て、早く起きる。今時の高校生にしては規則正しい生活をおくっていると思う。ただ一つ間違っているとすれば、そこに勉学がない事だけだ。だから俺はなるべく授業中に宿題を済ませてしまい、家には教科書を持ち帰らない主義だった。それに自宅に帰った所でプライベートはない。


 俺の家ははっきり言って貧乏だった。川原近くの古い木造二階建てに家族七人で暮らしている。両親と、六人の兄弟。今時六人兄弟ってのも珍しい。一番上の兄は現在東北の大学に行っており、実質二番目の俺が兄弟の中で最年長だった。


 五人も兄弟がいれば当然一人部屋はなく、下の中学三年生の弟と同部屋となる。兄貴としては、受験を控えている弟に部屋を優先させてやりたい。それに、自分はあまり勉学に興味がなかった。兄の様に賢い訳でもなく、弟の様に努力家でもない。進路も宙ぶらりんな俺は、ただ早く自立したいと願っているだけだった。


 チャイムが鳴り、テスト用紙を持った先生が教室に入ってきた。特に教科書を出して勉強していなかった俺は、うちわだけしまう。


「今からテストの前に、転校生を紹介する」そう言って手まねきをした。「埼玉から来た、久瀬美紀夫君だ」


 一瞬にして教室が静まり返った。皆がドアを凝視する中、一礼して入ってきたのは華奢な女の子のような面構えの男だった。真新しい半袖のカッターシャツから飛び出た腕は色白で細く、目もくっきり二重で大きい。都会から来た割にはちゃらちゃらした雰囲気もなく、洗礼された容姿端麗を感じさせた。


「久瀬美紀夫です。埼玉でも普通科の進学校に通っていました。部活動は特にしていません。趣味は……えっと、ゲームです。皆さんよろしくお願いします」


 小さくお辞儀をし、皆に注目を浴びて照れくさくなったのか、少しはにかむ。男とも女とも取れそうな中性的な声で、女のような男だった。可愛い、そんな言葉がぴったり当てはまる。


 可愛い? 俺は男に対して何を考えている。名前も美紀夫だなんて。みきちゃんとか、女かよ。先生の紹介に俺は面倒臭そうに肘をつく。ふと、その心情を悟られたのか久瀬と目が合った。俺は思わずどきっとして、心臓が縮み上がる。


「久瀬の席は窓側の一番後ろだ。河村、テストが終わったら、久瀬に校舎案内してやれ」

「えっ、俺ですかぁ?」


 よっぽどすっとんきょうな声が出たのか、クラス中に笑いが起きた。俺は恥ずかしくなって咳払いをする。


「河村、お前は仮にも学級委員長だろうが。たまにはそれらしい事をしろ」


 先生に後押しされ、久瀬が席に着く。俺の側を通った時、ちらっと横目で見られた気がした。


「転校生には悪いが、実力も兼ねてテストを受けてもらう。夏休みだからと言って、勉強を怠った奴はすぐ分かるからな」


 生徒を脅しながらテスト用紙を配り始める。俺は何だか緊張した。テストにではなく、後ろの久瀬の気配に。何だか先程から見られているような気がしてならない。


 前の席からテスト用紙が送られ、俺は平然を保とうと、一呼吸置いてから後ろを振り返る。待っていた久瀬と目が合った。


「ありがとう」


 久瀬はにこやかに微笑むと、すぐに真剣な面持ちに変わった。何だ、結構真面目なタイプじゃないか、何を気にしているんだ。一応テストだぞ、テスト。そう自分に言い聞かせ、机に向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ