Kapitel.42
真央が寝た為に一階に降りると、一樹が泊まっていかないかと提案してきた。
お言葉に甘えようと、里佳子に電話をしようとして悠翔はメールが届いているのに気が付いた。里佳子からの心配のメールかと思ったら、送り主が夏紀だった為、悠翔はつい身構えをしてしまう。
息を飲んで開いてみると、ただ一言、会いたいという文字しかなかった。送信時刻を見ると、今から一時間以上前だった。メールはそれっきり届いていない。
悠翔は覚悟を決めて、明日の夜に会えないかと夏希にメールを送信した。
それから里佳子に電話を入れ、記憶が戻ったことと、今日は友達の家に泊まっていくことを簡単に伝えた。里佳子はそう驚きもせず、ただ心配したような口振りだった。大方夏希とのことだろうと悠翔は察し、明日夏希に会う予定、と言うと、里佳子は頷いた。
「ふぅ」
電話を切って悠翔は深く息を吐く。
「……大丈夫ですか」
一樹が、緑茶を出しながら遠慮がちに訊いてきた。
「え、あぁ。……明日の夜でにも、夏紀に会って話してくるよ」
はっと、一樹は何か言いかけたが口を噤み、黙って頷いた。
「夏紀が僕のことを好いてくれているのはわかってる。でも、僕は彼女を愛せないって、言うつもりだ……」
「…そう簡単に諦めてくれるかな」
一樹の言葉に、悠翔は首を横に振った。
「あいつの性格だったら、そうはいかないだろう。なんていうか、自分のためなら手段を選ばないところがあるから……」
「っ、ちょっと待って。姉ちゃんに嫉妬して殺しにくるとか、それはないよね?」
一樹が慌てたように言う。悠翔はすぐに、大丈夫だ、と言えなかった。
「……もしもそうなっても、真央は絶対に守る」
「そ、それは駄目っ」
悠翔が誓うように言うと、一樹は慌てて否定した。
「は?」
「悠翔、命に代えても真央を守る、とか考えてるだろ。そんなの絶対駄目だからな。悠翔が死んだら、姉ちゃんは……」
本当に自殺するかもしれない、と一樹は小声で呟く。
その時、突然悠翔の携帯が震えた。夏紀から、OKとの返事だった。
「……出来るだけ、話し合いで解決させる」
それでも不安そうな一樹に、悠翔は微笑んでみせる。
「大丈夫。真央にも、一樹にも迷惑はかけない。僕一人でなんとかするから」
一樹は眼を伏せ暫く考えてから、小さく頷いた。
それが心配なのに、と呟いた一樹の声は、悠翔には聞こえていなかった。
「あ、それと。悪いけど今日は泊まるのはやめておくよ」
「えっ。なんで?」
驚く一樹に、悠翔は隣を示す。
「行く場所、あったから」
一樹と別れ、二年ぶりの我が家を見上げる。
自分がいなくなって、両親はどれだけ苦しい思いをしたのかと考えるだけで嫌になる。突然行方不明だった息子が帰ってきたら驚くだろうなぁと思いながら、悠翔はインターホンを鳴らした。
暫くすると、扉が勢い良く開いて母親である美波が飛び出してきた。
「悠翔っ!」
「母さん…」
美波は既に涙ぐみ、息子を強く抱きしめる。
「良かった、良かった……」
「悠翔か!」
中から和彦も顔を出す。
「父さん……」
「お前、記憶……」
心配そうな和彦に、悠翔は微笑んだ。
「思い出したよ、何もかも」
一生懸命泣くのを我慢している和彦をフォローするように、美波は泣きながら悠翔を家の中へ入れる。
何もかもが懐かしかった。この家も、両親も。懐かしくて、安心して、悠翔も泣きそうになった。
美波は未だに良かった、良かったと繰り返し泣いている。
悠翔も涙を拭うと、和彦が威厳を持って言った。
「こら、男が泣くんじゃない」
しかし、そんな和彦を見て悠翔は言い返す。
「父さんだって泣いてるじゃないか」
暫く、三人で笑いながら泣いた。
「いろいろ迷惑かけてごめん」
落ち着いてから、悠翔が頭を下げた。そんな悠翔に、美波は微笑む。
「ううん。悠翔が帰ってきてくれたから、もう良いわ。今日からここで暮らすのよね」
と、美波が訊く。
悠翔が力強く、勿論、と頷くと、美波は安心したような顔をした。
「そういえば真央は・・・・・・」
和彦の質問に、悠翔は言葉を濁す。全てを話すのは気が引けた。
「今、風邪引いて寝てる」
「風邪って、大丈夫なの?」
「明日も安静にさせるし、多分大丈夫だよ」
「あっ、学校!悠翔、学校行ってるの?」
美波は思い出したように叫ぶ。悠翔が首を横に振った。
「行きたい?」
「そりゃ行きたいけど。僕って中学校卒業してないんだよ。行けるのかな」
「中学卒業認定試験みたいなのなかったっけか。それ受ければ良いんじゃねぇの?」
「でも、事故に遭って記憶喪失でした、って言えば良いんじゃないかしら。中学校の先生とかに確認取ってもらって」
「それにしても、中学校卒業レベルの学力はないと。夏休みまで勉強するよ。それからでも大丈夫だよな」
「高校は、真央の通ってるとこか?」
和彦に訊かれ、悠翔は即座に頷く。
「じゃあ、明日にでも中学校の方にも連絡しようかな。担任の先生、あれから凄く心配してくださったから」
「あ、明日は真央の家にいるよ」
「若い男女二人が一つ屋根の下か。悠翔、お前もやるなぁ」
「馬鹿っ。変なこと言わないでよ、父さん!」
悠翔が顔を赤くして言うと、和彦も美波も笑った。