Kapitel.20
「あ、おはよ。大丈夫?」
翌日、真央が目覚めたのは昼間だった。
昨日、寝ようとしても脳裏に悠翔がちらつき、枕に顔を埋めて泣いていたのだ。
「大丈夫よ。あれ、ご飯食べた?」
ソファに座ってテレビを見ていた一樹に訊かれ、真央は元気を装って答える。
一樹は昨日真央が泣いていたことを知っていた。理由はわからないが、問いつめるようなことはしない。
「朝も昼も食べたよ。焼きそば作っておいた」
「ありがと。最近、私作ってないよね。今晩なんか作ろうか?」
そう言いながら真央は座る。
「……大丈夫なの?」
一樹が言う。
真央は驚いたように一樹を見た。一樹は不安そうに真央を見ている。
「……ごめんね」
真央は素直に謝った。
「え、あ、そう言う意味じゃ……」
「…聞いてほしいことがあるの」
真央がぽつりと言う。
一樹は驚いた。真央は今までずっと、弟である僕に心配かけまいと無理をしてきた。そんな真央が、自分に相談をしたことは今までになかったからだ。
一樹は覚悟を決めて、テレビを消した。
「……昨日、ずっと考えてて。一日したら落ち着くかなって思って、考えてみたんだけど……」
そう言って真央が切り出す。
「……昨日ね、また悠翔に会ったの」
「えっ」
一樹は真央を見る。真央は机に突っ伏していた。背中からは何も感じない。
それから真央は、悠翔と会った経緯を話した。
一樹は静かに聞いている。
「もう、私どうして良いかわからないの。もう……わからないよ」
真央の声が震えている。
一樹は、自分の不甲斐なさを感じるばかりだった。言葉も見つからない。真央が苦しんでいるのに、自分は何をすれば……。
「あ、やば……。また泣いちゃうところだった」
そう言って真央が顔をあげ、一樹を見る。一樹の眼に映ったのは涙を隠し、微笑む真央の姿。
一樹はいたたまれなくなった。
「姉ちゃん……」
「大丈夫よ。だって、悠翔は生きてたんだから。それだけで…十分……」
真央は必死に涙を抑える。
一樹はとうとう我慢出来なくなり、とっさに真央を抱きしめた。ここ最近背の伸びた一樹に抱かれ、真央はすっぽりと一樹の腕に収まる。
真央が言葉に出来ない声をあげた。
「ごめんね、姉ちゃん。俺、何も出来なくて。姉ちゃんの力にもなれなくて。でも姉ちゃん、俺の為に無理しないで……」
必死で一樹は言う。今まで溜まっていたものを、吐き出すかのように。
「泣きたいときは泣いて、怒りたいときは怒ってよ。俺に遠慮なんてしないで。そういうことをされると俺、自分が惨めになってくるんだ。いつも姉ちゃんは何事も抱え込んじゃって……。俺、そんなに役に立たない奴かな」
「え、あ、違うのっ。そういうわけ……」
「わかってる」
我に返り、必死で弁解しようとする真央を遮って一樹は続ける。
「……わかってるよ。姉ちゃんはいつもそう。俺に心配かけないようにって振る舞って、陰で泣いてるの、俺が知らないと思ったの?」
真央は驚くばかりだった。
一樹はいつも、大人しく良い子だった。そう、いつだって……。
「俺も、いつまでも良い子じゃないから」
真央の心を読んだかのように、一樹が呟く。
「……おませさ」
真央が呟くと、一樹は笑って言った。
「良いじゃん。俺、姉ちゃんが思ってるほど子供じゃないよ」
そんな一樹に、真央は体を委ねながら呟く。
「うん……。そうだね」
一樹は微笑んだ。
「あーあ。昔はあんな小さくて素直で可愛かったのに。ずっと私の後ろからついてきて、私がいなきゃ何も出来なかったくせにさ」
「だから、だよ。いつも姉ちゃんの後を追って、姉ちゃんの近くにいただけで姉ちゃんを支えてるって、ずっと思ってたんだ。だけど、違った」
「もう、ずるい。なんでそんな大人になってるのよ。私の方が子供っぽいじゃない」
「俺にとって姉ちゃんは子供だよ」
さらりと言う一樹に、真央は複雑な気持ちになる。
「いつもそうだろ。なんでも自分で抱え込んでさ。見栄張って、表じゃなんでも出来る強い子だよな、姉ちゃんは」
言い返そうと口を開いた真央を、再び遮って一樹は続ける。
「けど、俺知ってるよ。姉ちゃんって内面は凄く脆いんだ。見た目がそんなだから、そうわからないけど」
真央の中で、何かが壊れた気がした。
あぁ、私は何をしているのだろう。どうして強がっているの。どうして、もっと甘えなかったの。
「ごめん、姉ちゃん。姉ちゃんのことだから、俺を想ってのことだったんだと思う。自分はしっかりしなきゃって、俺を守ってくれてただよな。今度は俺の番。俺が姉ちゃんを守るよ」
こんなに近くにいたんじゃない。私のことを想ってくれる人が。私のことを、守ってくれる人が。
「……生意気」
一樹の服をぎゅっと握って真央が言う。
「姉ちゃんには負けるよ」
「………」
「姉ちゃん、覚えていて。俺、ずっと姉ちゃんのこと想ってるから。姉ちゃんは一人じゃない。だから、一人で抱え込むのはやめて。それに、秀さんだって佑月さんだっている。……悠翔さんも、いるだろ」
一樹の言葉に、真央は小さく何度も頷き笑いながら言う。
「まったく、信じられないよね。一樹、覚えてる?小さい頃、あんたが保育園で友達と追いかけっこしてた時。転んでさ、大声で泣いたのよ。園内に響くくらいに。私、教室にいて吃驚して飛び出したんだから」
一樹は眼を伏せて思い出そうとする。
あぁ、そうだった……。
「…思い出したよ」
一樹が複雑な顔をして言う。真央が笑った。
「一樹ったら、先生がどんなに落ち着かせようとしても大声で泣き続けてさ。私が来ないと落ち着かなかったよね」
「そうだったな…」
「そんで、それから暫く私から離れなくて。毎回それの繰り返し。あの時のあんたは本当に子供だったよね」
「あぁ、思い出したくなかったな……」
一樹が苦い顔で言う。
「……でもね、私嬉しかったんだよ。私を見ると、一樹はすぐ笑顔になってさ」
「でも、小さい頃俺がそんなんだったから、今姉ちゃんはこんなんになっちゃったんだよな」
「何よ、悪いって言うの?」
「悪くない悪くない。姉ちゃんは今のままで良いんだよ」
「……なんか諭されてるよね」
「誤解だよ」
笑顔で一樹が言う。
「もう、本当にずるい」
拗ねたように真央は笑った。