Kapitel.19
「どこから来たんですか?」
立ちながら悠翔が訊く。
「電車よ」
そう言って最寄り駅を伝えると、悠翔は案内すると言った。
真央はゆっくりと歩いた。出来るだけ、悠翔と一緒にいたかったのだ。
悠翔も真央に合わせて歩く。
俯いたまま歩く真央に、気を遣って黙って歩く悠翔。
そんな真央を見ながら、悠翔は質問するべきか悩んでいた。
こんなこと言ったら、きっと傷付く。けど、訊かずにはいられない。気になって仕方がないのだ。
「あ、あの」
駅が見えてきて、人通りも多くなる。
慌てて悠翔が言うと、真央はゆっくりと顔を上げた。
「あの……。変なこと訊きますが……」
いざとなるとなかなか言い出せないもので、悠翔は切り出した今も迷っていた。しかし、そんな迷いも真央は吹き飛ばす。
「何よ。はっきり言って」
真央は真っ直ぐに悠翔を見て言う。
「……ごめんなさい。僕と君はどういう関係なんですか」
勇気を出して訊いた。
真央は立ち止まり、眼を見開く。けれど、すぐに微笑んだ、つもりだがどうしても泣きそうになってしまう。
訊いてはいけない質問だったのだと悠翔は悟るが、後悔はしなかった。
「そこまで深い関係じゃないよ」
「でも、そこそこ親しい仲じゃないですか?」
「どうしてそう思うの?」
真央の視線が痛い。
悠翔は呟くように言った。
「なんとなく、ですけど」
「……そう。まぁ、そうね……」
真央は眼を伏せた。
強く見せないといけない気がした。そうしないと、壊れてしまいそう。
「お、お願いです。教えて下さい!」
悠翔が、初めて強い口調で言った。真央は驚いて、悠翔を見る。
「……怖いんです、正直。記憶がないのって」
眼を伏せる悠翔に、真央は悲しく笑った。
「じゃあ少しだけ。私たち、幼なじみだよ」
「えっ」
悠翔が勢い良く顔をあげ、真央を見る。
「じゃあ、僕の名前って……?」
「……それは、今のままで良いんじゃない?それで慣れてるんでしょ?」
教えてくれると思った悠翔は、少々面を食らう。
「え、でも」
「細かいことは私の口からは言えない。自分で思い出してほしいの」
真央が有無を言わせない口調で言う為、悠翔は諦める。
「…わかった、ありがとう。えっと、吉岡、さん?」
語尾に疑問符を付けて悠翔が言うと、真央は肩を竦めた。
「真央って呼んで。覚えてないだろうけど、ずっと名前で呼んでたんだから」
「あ、はい。わかりました」
「じゃあ、行くね。あ、ここで良いから。駅だってそこだし」
再び歩きだそうとする悠翔に、真央が制する。
「え、あ、そう、ですか」
「うん……」
頷いて悠翔を見る。
すると真央は、背伸びをして悠翔に抱きついた。そして耳元で囁く。
「思い出してね。私のことも、私との思い出も」
悠翔が眼を見開く。
真央は満面の笑みを浮かべて駅へと消えた。
去っていった真央を見届けてから、悠翔は家路に着く。
先程の、真央の苦しそうな科白が耳から離れない。
別れ間際、真央は笑顔だったけど、悠翔にはそれが偽りだとわかった。
「今帰りました」
そう言って家の中へ入る。
「おかえり。楽しかった?」
里佳子は台所から顔を覗かせて訊く。悠翔は曖昧に微笑んだ。
「もうすぐご飯出来るからね。ちょっと待ってて」
「うん」
それから夕食を食べ、悠翔は自分に与えられた二階の部屋へ行く。
ベッドの上で寝転がり、天井を見る。
脳裏によぎるのは、真央の悲しく微笑む顔。
多分、きっと彼女は僕の好きな人だろう。
悠翔は直感的に思った。
けれど、真央が好きなのは悠翔という人。彼はどんな人なんだろう。もしかしたら、彼も幼なじみなのかな…。
僕は真央が好きで、そんな真央は悠翔のことが好き。悠翔と真央は両思いなんだろうか。
そう考えたとたん、少し胸が苦しくなった。
けど、と悠翔は考え直す。
確か真央は、僕を見て悠翔みたい、と言った。もしかしたら僕の兄弟とか?だとしたら、僕と悠翔を重ね合わせる意味もわかる。僕と悠翔は似ているんだ。ということは、真央にとっては悠翔とも幼なじみだということか。
ふと浮かんだ疑問に、悠翔は息を呑んだ。
その悠翔という人は何をしてるんだろう。
彼女の感じからして、今は一緒にいないみたいだけど…。まさか、僕は悠翔と一緒に事故に遭ったのかな。そして、もしかしたらその時……。
思い出そうとして、悠翔は頭痛に耐える。けれど、記憶の扉は堅く閉ざされ、何一つ手掛かりを入手出来そうにない。
もしもそうだとしたら、真央が僕を見て泣くのも頷ける。容姿の似た僕を、悠翔と重ね合わせたんだ。それに、あの様子だと僕のことも心配してくれてるようだし。
悠翔はふと、真央とすれ違った時のことを思い出した。
あの時、真央は信じられないという眼で自分を見ていた。悠翔だと思ってもおかしくないかもしれない。
あれから二年だ。悠翔を亡くし、僕の行方がわからなって、彼女はどれだけ傷付いたのだろう。
「……僕が、真央を守らなきゃ」
悠翔は心に誓った。
理由なんて、いらないから。真央は僕が守ろう。
その時、夏紀の姿が脳裏をよぎった。
夏紀が自分に好意を寄せてくれるのはよくわかる。記憶のない自分をこうやって助けてくれたのも夏紀だ。
けれど、悠翔はどうしても真央の傍にいたかった。
多分、本能的なものなんだろう。
「夏紀に、なんて言おうか……」
悠翔は頭を抱えた。
真央は俯いたまま帰る。
周りの声が一切頭に入ってこない。
悠翔の前では元気良く振る舞えたはず。けれど、心が元気なはずがない。
思い出してくれるとどこかで期待していた。けれど、名前を教えても思い出してくれなかった……。
真央は、泣きそうになるのを我慢し、急ぎ足で家へ帰った。