Kapitel.12
「ただいまー」
そう言って家へ入る。
それから着替え、ベッドへ倒れ込んだ。
「一樹はまだか……」
そう呟いて、枕に顔を沈める。
体が重い。けれど、心は動こうとしているようだった。そんな心に従い、重い体を無理に動かす。
一度動かすと、体はスムーズに動いてくれた。
一方佑月は、真央や悠翔のことが気になっていた。
昨日のことを、もう一度よく考えてみる。あれは本当に悠翔だったのか。
佑月は、悠翔が記憶喪失だということが信じられなかっった。
もしも本当に悠翔が記憶喪失だとしたら、真央のことを忘れていたら。真央は必ず傷付く。
もう、真央が傷付くのは見たくなかった。真央はもう十分苦しんで、傷付いたのだから。もう、解放してあげたかった。
それに、記憶喪失で真央のことを忘れていたら、悠翔が他の人のことを好きになる可能性だってある。もしもそんなことがあったら、自分は真央に何をしてあげられるのだろう。
何も考えずにただ進む。その割に足取りはしっかりしたもので、目的地に向かって歩いていた。森の中へ入っていき、辿り着いたのは例の丘。
丘に入ると、真っ先に眼に入るのは夕日だった。そんな夕日が眩しくて真央は眼を細める。
『真央!見て、夕日だよ!』
『昔、俺たちみたいにここを見つけたカップルが、この石に座って夕日を見てたんだよ。きっと』
『マフィン作ったんだけど、食べるか』
『ほれ。誕生日プレゼント』
『あ、赤くなってねぇって!夕日のせいでそう見えるだけだよ』
悠翔の声が頭の中に響く。
真央は、いつも悠翔と一緒に座っていた石に座る。いつも隣にいるはずの悠翔のぬくもりがなかった。凭れる相手もいない。
『やっぱここに来ると和むよなー。勿論二人でさ』
『好きだ。なんて、今更言わなくても良いよな』
『クッキー作ってきたんだ。食べてみてよ』
『将来さ、結婚しよう』
「あ……」
突然、声がした。聞き覚えのある声だ。
真央は驚いて声の聞こえた方を向く。そして硬直した。
「あの…、」
案の定、そこにいたのは悠翔だった。
「どう、して……」
なんでここにいるの。
「あれ?」
佑月はふと、疑問にぶつかった。
「そういえば、なんで昨日秀がいたんだろう……」
偶然近くにいたって言う可能性もあるけど、それにしては引っかかる。
秀は誰かと一緒にいたというわけではなかった。
しかも、秀は真央が倒れる前に真央のことを支えていた。ということは、もしかしたら秀はすぐそばにいたのかもしれない。確かあの時、秀はそう、後ろから来た。まさか……。
「尾行……」
佑月は小さく呟いた。
悠翔がゆっくりと真央に近付いてくる。
真央はゆっくりと立った。
「あの、変なこと訊いても良いですか」
真央と向かい合ってから、悠翔が遠慮がちに口を開く。
「以前、僕のこと見た時、とても驚いたような信じられないような顔をしていましたよね」
見てたんだ…、と真央は動かなくなりそうな頭で思う。
「もしかして……、僕のこと知ってるんですか」
真央が顔を歪める。私のことを覚えてないんだ。
「実は僕、二年くらい前から記憶が全くないんですよ」
悠翔が苦笑いしながら言う。
真央は何も言えなかった。
「けど、ここはなんでかわかったんです。見覚えないのに、なんか懐かしい……」
悠翔がぼやける。真央は必死で堪えていた。
「あっ、どうかしたんですか?」
悠翔が慌てたように言う。
真央は一生懸命笑おうとしたけれど、どうしても笑えなかった。
「……あんたのせいでしょ」
「え?」
真央は俯き、小さく呟く。悠翔は驚いたように真央を見た。
「え…。なんですか」
悠翔は真央の声が聞き取れなかったのだ。
そんな悠翔に、真央は睨んで叫んだ。
「あんたのせいよ!」
悠翔は驚いたような顔をする。
「やっぱり……、僕のこと知ってるんですね」
状況に似合わず、悠翔は微笑んで言った。
……、なわけないか。
そう言って佑月は鼻で笑ってみる。
まず、尾行する意味が分からない。今は真央や悠翔のことを考えなきゃ。
「うるさい!」
泣き叫ぶように言ってから、真央は悠翔に背を向けしゃがみ込んだ。涙が溢れてくる。
「あの……」
「うるさいうるさいうるさいっ!」
悠翔の言葉を遮って叫ぶ真央。
悠翔の哀れむような視線を感じる気がした。
「もうやめて。もう私を苦しめな……」
真央の言葉が途切れる。
急に悠翔のぬくもりを感じた。悠翔に抱きしめられたのだ。それは確実に悠翔のぬくもりだった。懐かしさに、更に涙が溢れてくる。
悠翔も真央も、何も言わない。ただ時間だけが過ぎた。
真央も悠翔に身を委ねかけていた頃、真央ははっと我に返った。今自分のことを抱きしめているこの人は、私のことを知らないのだ。
「は、離してっ」
強引に悠翔から離れる。
「あ…。ごめんなさい……」
悠翔も動揺していた。
「お願いだから、もう私の前に現れないで!」
そう言い捨てて真央は走って森を後にした。