Kapitel.10
「真央、大丈夫?」
放心状態の真央をベッドに座らせ、自分もその隣に座る。
大丈夫じゃないことはわかっていた。
今の真央は、あの時の真央に似ている。悠翔がいなくなった時の、あの真央に。救いとしては、あの時程状態が酷くないことだろうか。
佑月は、何も言うことが出来ずに俯いた。なんて声をかけて良いかわからなかった。
その時、秀がお茶を持って部屋に入ってきた。
「調子は?」
秀の言葉に、佑月は静かに首を横に振る。
「真央、お茶持ってきた。ちょっとで良いから飲みな」
子供を諭すような言い方で秀が言う。
真央が、ゆっくりとお茶を飲んだ。それだけで佑月と秀は嬉しくなる。
「真央、大丈夫?」
飲み終えた真央に、佑月が今にも泣きそうな声で訊く。そんな佑月を見た後、真央は弱々しく微笑んで言った。
「大丈夫。ちょっと、疲れちゃったみたい」
それから、泣きそうな佑月を見て更に言う。
「そんな泣きそうな顔、しないでよ。泣きたいのは私なんだから……」
真央の顔が歪む。泣くのを我慢しているようだった。
そんな真央を、佑月が優しく抱きしめた。
「泣いて良いよ。ううん、泣いた方が良い。真央は我慢し過ぎなんだから」
佑月が言うと、真央は我慢できなかったのか静かに泣き始める。
秀が、気を利かせて部屋を出た。
「ちょっと良いか」
真央の部屋の隣の部屋の、一樹の部屋の扉を軽く叩いた。
「どうぞ」
中から一樹の声が聞こえてから、秀が部屋の中へ入っていく。
「姉ちゃんは」
「泣いてる」
一樹はベッドに横になり、ただただ天井を見上げていた。秀が来た為に起き上がって座ると、その隣に秀が座った。
「そうですか…」
一樹が言うと、部屋に沈黙が広がる。
そんな沈黙を破ったのは秀だった。
「悠翔の奴、知らねぇ女と一緒だった」
秀の言葉に敏感に反応する一樹。
「え?」
「俺たちとそう変わらない歳だと思う」
感情を込めずに淡々と言葉を紡ぎ出す秀。
「でも、問題はそこじゃねぇんだ」
一樹がゆっくりと秀を見る。
「悠翔、俺たちの隣を通ったにも関わらず顔色一つ変えなかったんだよ」
「え。気が付かなかったのかな」
「それはないよ。少なくとも俺と眼を合わせてるからな」
一樹は眼を見開いて秀を凝視した。
「な、おかしいだろ」
「それって……え」
「もしかしたら悠翔…、記憶喪失かもしれない」
一樹は眼を見張った。
「え、え。まさか、そんな…」
「信じられないかもしれねぇけど、もしそうだったら筋が通る気がするんだよ。俺たちのことは勿論、多分、真央のことも覚えてないんだろう」
「でも、どうしてですか。記憶喪失になるのは百歩譲って認めたとしても、どうしてあの時いなくなったんでしょう」
「それはわからねぇけど、悠翔が生きていたということは間違いないんだ」
「間違い…、ないんですよね」
「真央が見間違えると思うか?」
「…いえ」
秀の言葉に、一樹は静かに首を振る。
「……良かったら佑月さんも含めて、夕飯食べていきませんか」
一樹が提案する。
「この状況で姉ちゃんと二人だけと言うのも気まずいですし…。良かったらの話ですけど」
「いや、でも、いきなり二人増えて大丈夫か」
「全然大丈夫です」
きっぱりと言う一樹。
「…姉ちゃん、僕の前ではしっかりしなきゃっていつも笑っててくれるんすよ。もしも二人が帰ってら、姉ちゃんまた無理をしそうで……」
一樹がぼそぼそと呟く。
そんな風景を想像して、秀は眼を伏せた。
「…わかった。じゃあ御馳走になるよ」
一樹と秀が部屋を出た時、佑月の声が響いてきた。
「記憶喪失っ!」
二人は顔を見合わせる。そして、音を立てないように真央の部屋まで近付き、耳を澄ませた。
「もしかしたらの話だけどね。でも、そうだと仮定したらいろいろと辻褄が合うんじゃない?」
真央の冷静な声が聞こえてくる。
「え、でも……。あの女の人は誰なのよ」
「そんなの知るわけないじゃない。けど、彼女かもしれないね」
真央はそう簡単に切り捨てた。
「そっ…、そんなの許せないよ!」
「許すも何も、記憶がなければ仕方ないでしょ。寧ろ、悠翔にとっちゃあ記憶のない自分を助けてくれた神様だったりとか。そういうパターンだったりしてね」
「そんな……」
佑月は言葉を失った。
「ま、仮定に過ぎないよ。彼女じゃないかもしれないしさ」
「記憶喪失っていうのは……」
「もちろん、確証はないよ」
「確証はないけど、一番事実に近いと俺は思ってるよ」
そう言いながら中に入り、二人の会話に入る秀。一樹は台所へと向かった。
「真央、もう大丈夫なのか」
秀の質問に、真央は微笑んだ。
「秀も、楠本は記憶喪失だって思うの」
「あいつは俺と眼が合っても顔色一つ変えなかった。普通、何かしらの反応を示すだろ」
「眼が合ったの?」
佑月が驚いたように言う。
「私も眼が合ったよ」
真央が呟く。二人が真央に注目した。
「まぁ、信じられないような顔で凝視してたんだもの、大抵は気付くよね…」
真央は一度言葉を切って、それから黙り込む。
「…これからどうする」
秀が重々しく口を開いた。
「これから、また悠翔に会えるとは限らないだろ。記憶喪失なら尚更……」
重かった空気が更に重くなる。
「どうしようもないんじゃない?こっちは悠翔の居場所もわからないんだし」
まるで他人事のように言う真央。それは、辛いのを隠してるかのようだった。