Case 005: tail -f
翌朝、宿屋の一階に降りると、店主が困った顔をしていた。
「どうした、何かあったのか?」
俺は珍しく自分から声をかけた。
いつも強面だが穏やかな声で対応してくれる店主が、今日は明らかに様子がおかしい。
眉間に深い皺を刻み、帳簿らしきものを睨んでいる。
「……いや、客に話すことじゃない」
「そうか」
俺はそれ以上踏み込まなかった。
他人の事情に首を突っ込むのは、俺の流儀じゃない。
だが、店主は少し迷った後、自嘲気味に口を開いた。
「……レドマイン男爵家から、法外な納税を求められた」
「納税?」
「ああ。 普段の十倍だ。 『領主様の事業に協力しろ』とな」
十倍。
それは、法外どころの話じゃない。
「うちみたいな小さな宿は、普段から薄利でやっている。 こんな額を払ったら、一月も持たない」
店主は疲れた顔で帳簿を閉じた。
「ちょうどあんたの一年分の支払いがあったから、今回は問題なかったが……。 このまま続くと、店を畳んで別の領地に逃げるしかないかもな」
俺は黙って話を聞いていた。
レドマイン男爵家。
先日、道端で平民に絡んでいた傲慢な貴族の家だ。
「……待ってろ」
俺は部屋に戻り、管理者ツールを開いた。
所持金は、いくらでも増やせる。
どうせこの世界の金なんて、俺にとっては数字でしかない。
適当な額を引き出し、革袋に詰めて一階に戻った。
「これ、使え」
「……は?」
店主が目を丸くする。
「いつもの礼だ。 お前の宿は静かで助かってる」
「待て待て、こんな額……!」
「いらないなら捨てろ」
「そういうわけにもだな……」
俺は革袋をカウンターに置いた。
店主はしばらく俺の顔を見つめていたが、やがて深々と頭を下げた。
「……恩に着る」
「気にするな」
「確か、アドミン、だったな。 俺はヴォイドだ」
俺は思わず店主の顔を見た。
Void。
プログラミングで言えば、「戻り値がない」という意味だ。
つまり――
「一度利用しても戻らない、か」
「ん?」
「いや……常連にならないって皮肉か? 宿屋に向いてない名前だな」
店主――ヴォイドは、きょとんとした顔をした。
「そうか? そんな風に言われたのは初めてだが……」
「……こっちの話だ」
由仁のやつ、こういうネーミングセンスだけは一貫してるな。
まあ俺がここの常連になってしまったせいで、名前負けしてしまっているが。
◆◆◆◆◆
いつものように『静寂の杯』に向かった。
扉を開け、カウンターに向かう。
だが、今日はいつもの席の隣に先客がいた。
銀髪。
尖った耳。
目元に巻かれた黒い帯。
ラムダだ。
「……」
俺は足を止めかけたが、すぐに何食わぬ顔でカウンターに座った。
今の俺はアドミンの姿だ。
黒髪、黒目。
チェックサムとは別人。
バレるはずがない。
「水です」
バーテンダーがいつものようにグラスを差し出す。
俺は水を受け取り、一口飲んだ。
すると、隣のラムダがこちらを向いた。
「最近よくいらっしゃいますね、あなた」
「……」
俺は少し間を置いてから、短く答えた。
「一人で静かに飲むのが好きなんだ。 話しかけないでくれ」
「あ……すみません」
ラムダは素直に謝って、視線を戻した。
いや、彼女は目が見えないから「視線」という表現はおかしいか。
魔力感知の焦点を、俺から外した、という感じだろうか。
俺は黙ってエールを注文し、カウンターに肘をついた。
すると、ラムダとバーテンダーが話し始めた。
「……実は、うちにも来たのです」
バーテンダーの声だ。
「こちらにも、ですか」
「ええ。 普段の十倍の納税を、と」
「レドマイン男爵家……」
ラムダの声には、怒りが滲んでいた。
「大勢の民衆が聞いていたからといって、虱潰しに圧力をかけるとは」
「このままでは、店を閉めるしかないかもしれません」
「そんな……」
俺は黙ってエールを飲んだ。
だが、内心では怒りに震えていた。
やっと手に入れた安息の地。
静かな宿と、静かなバー。
人間不信の俺でも、なんとか居場所だと思える二つの場所。
そこにちょっかいをかけてきたのが、あのガキかよ。
「大勢が聞いていたからって、しらみつぶしに圧力とか、ガキかよ……」
俺は思わず小声で呟いた。
「え?」
ラムダがこちらを向く。
「……いや、何でもない」
俺は視線を逸らした。
ラムダは少し首を傾げたが、すぐにバーテンダーとの会話に戻った。
「それで、レイルズ子爵領への使者は……」
「返り討ちにされたそうです」
バーテンダーが重い声で答える。
レイルズって、どこぞのフレームワークじゃないんだから……。
「検問に待ち構えていた魔法使いたちに、追い返されたと」
「レドマイン男爵領から出ることすらできない、ということですか」
「そのようです。 領境の街道は全て封鎖されているとか」
俺は眉をひそめた。
隣の領地への報告すら封じている。
完全に恐喝じゃねーか。
「このままでは、法外な増税を受け入れるしかないのですか……」
ラムダの声には、悔しさが滲んでいた。
店内の空気が、重く沈んでいく。
誰もが、諦めかけている。
その時だった。
「私が、行きます」
ラムダが立ち上がった。
「え……?」
「レイルズ子爵領に、この不当な増税を報告しに行きます」
「し、しかしラムダ様、検問には魔法使いが……」
「分かっています」
ラムダは毅然とした声で言った。
「ですが、このまま黙っているわけにはいきません。 誰かが動かなければ、この街の人々は搾取され続けるだけです」
彼女の声には、強い意志が込められていた。
俺は黙ってエールを飲み干した。
……面倒なことになった。
俺だって、なんとかしたいとは思っている。
この宿も、このバーも、俺の居場所だ。
それを奪われるのは、正直むかつく。
だが、問題がある。
ラムダと一緒に行動するわけにはいかない。
俺が動くなら、チェックサムの姿になる必要がある。
だが、チェックサムは彼女が探している。
一緒に行動したら、確実にバレる。
「……一人で行くか」
俺は小さく呟いた。
ラムダが先に行くなら、俺は別ルートで動けばいい。
座標編集で瞬間移動できる今なら、検問を迂回することもできる。
「ごちそうさん」
俺はカウンターに金を置き、バーを出た。
◆◆◆◆◆
宿に戻り、俺は姿を変えた。
黒髪黒目のアドミンから、金髪碧眼のチェックサムへ。
「……問題は、顔だな」
チェックサムの姿でラムダに会えば、間違いなく気付かれる。
いや、彼女は目が見えない。
顔の造形は分からないはずだ。
「何か……」
俺は部屋を見回した。
押し入れの奥に、以前適当に購入していた黒い布があった。
「これでいいか」
布を引っ張り出し、顔に巻きつける。
目と鼻だけ出して、口元から下は完全に隠す。
鏡で確認すると、いかにも怪しい黒ずくめの男が映っていた。
「……完璧に不審者だな」
金髪に黒い布の覆面。
黒い外套を羽織れば、完成だ。
「まあ、最悪ラムダに見つかっても、これなら別人で通せるだろ」
外套のフードを深く被り、顔を隠す。
お面の代わりにした黒い布のおかげで、金髪と青い目以外は何も見えない。
「よし」
準備完了。
俺がしょうもない準備に時間をとられている間に、ラムダは先に出発したはずだ。
道はさっきバーで聞いていた。
レイルズ子爵領への街道は、東の森を抜けた先にある。
「追うか」
俺は宿を出た。
◆◆◆◆◆
ストーカー相手をストーカーしているみたいで、なんとも言えない気分だった。
「ミイラ取りがミイラになってないか、これ……?」
俺は小声で呟きながら、座標編集で少しずつ移動していた。
普通に走って追いかけると、道中で誰かに見られる可能性がある。
だが、座標編集なら一瞬で数十メートル移動できる。
『座標: X=2341 → 2400』
『変更しますか? [Yes/No]』
「Yes」
視界が一瞬歪み、俺は別の場所に立っていた。
木の陰に身を潜め、周囲を確認する。
まだラムダの姿は見えない。
もう少し先か。
『座標: X=2400 → 2500』
「Yes」
また移動。
これを繰り返し、少しずつラムダの後を追う。
「……いた」
ついに、前方に銀髪の女性の姿を捉えた。
ラムダだ。
彼女は街道を一人で歩いている。
レイピアを腰に佩き、背中には弓を背負っている。
遠距離武器も使えるのか。
俺は物陰に隠れながら、距離を保って後をつけた。
座標編集で移動するのは便利だが、音がしないわけではない。
むしろ、突然人間が出現すれば、魔力感知でバレる可能性がある。
だからある程度の距離を保ちつつ、木々の影を縫うように進んでいた。
そのはずだった。
「いるのはわかっています」
突然、ラムダの声が響いた。
「出てきてください」
彼女は立ち止まり、こちらに向き直っていた。
「……っ」
バレたか?
いや、まだ確証はないはずだ。
俺は息を殺し、木の影に身を潜めた。
動かなければ、やり過ごせるかもしれない。
そう思った瞬間だった。
風を切る音。
「っ!?」
俺は咄嗟に首を傾けた。
矢が、さっきまで俺の頭があった場所を通り過ぎていく。
木の幹に深々と突き刺さる。
「……おいおい」
俺は思わず声を出してしまった。
ラムダは既に、次の矢を番えている。
百メートルはある。
この距離で、正確に俺の頭を狙ったのか。
「この距離でバレるのかよ……」
俺は諦めて、両手を高く上げた。
もう隠れる意味がない。
ゆっくりと木の影から出る。
武器を持っていないことを示す。
ラムダは弓を構えたまま、俺の方を向いていた。
「あ、あなたは……!」
彼女の声に、驚きが滲んだ。
「あの時の……!」
やはり気付かれたか。
「私には色はわかりませんが。 その服、その身なり……間違いありません」
俺は何も答えなかった。
俺はすでにバーで声を出してしまっている。
下手に声を出せば、バーで会った時の「アドミン」と声が同じだと気付かれる可能性がある。
沈黙を保ったまま、両手を上げ続ける。
ラムダは弓を構えたまま、しばらく俺を見つめていた。
いや、「見つめる」という表現はおかしいか。
魔力感知で、俺の輪郭を「感じて」いるのだろう。
「……詳しくお聞きしたいことは、山ほどあります」
ラムダは弓を下ろした。
「ですが、今は緊急です」
彼女は俺に近づいてきた。
「あなたがなぜここにいるのか、なぜ私をつけていたのか。 それは後でお聞きします」
「……」
「先程は失礼いたしました。 今は――」
ラムダは俺の前で立ち止まった。
「共同戦線といきましょう」
彼女は手を差し出した。
「レドマイン男爵家の横暴を、レイルズ子爵家に報告する。 その目的は同じはずです」
俺は黙ってその手を見つめた。
共同戦線。
人間不信の俺にとって、それは最も苦手な言葉だ。
だが――
「検問には魔法使いがいます。 一人より二人の方が突破しやすい」
ラムダの声には、打算ではなく、純粋な提案の響きがあった。
「あなたの力は、あの時見ました。 一撃で毒蜥蜴を倒し、私たちの傷と毒を癒した」
俺は何も答えなかった。
「きちんとしたお礼をする機会を、ずっと探していました」
彼女の声が、少し柔らかくなった。
「でも、今は後回しにします。 まずは、この街の人々を助けたい」
俺は彼女の顔を見た。
目元の黒い帯の下、見えないはずの瞳が、まっすぐこちらを向いている。
「……」
俺は何も言わず、こくりと頷いた。
ラムダの表情が、わずかに和らいだ。
「では、参りましょう」
彼女は俺の横に並び、街道の先を見据えた。
「検問までは、あと三十分ほどです」
俺は黙って、彼女の隣を歩き始めた。
人間不信の俺が、誰かと一緒に行動するなんて。
「……面倒なことになった」
小声で呟いた言葉は、風に紛れて消えていった。




