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役立たずスキルで追放されたけど、実は世界最強でした

 「アレン、お前は今日で終わりだ」


 焚き火の向こうで、戦士ゲイルの影が揺れた。炎のはぜる音が、胸の奥の柔らかい場所に落ちる。


 「……終わり?」

 「言葉のままだ。お前のスキルは【片付け】。荷物の整頓と掃除――それだけだ。魔王討伐の旅に“掃除係”はいらない」


 僧侶ミリアが目を伏せ、魔導士カインは笑って肩をすくめた。笑いの波が焚き火の赤に混じって、夜の樹々を滑っていく。


 「役割は誰にもあるはずだ。俺だって、何度も――」

 「ポーション瓶を割ったのは誰だったっけ?」カインがわざとらしく天を見た。「あれがなければ二人は瀕死にならずに済んだ」

 「……割れてた瓶は、翌朝には元どおりになってた。あれは――」

 「《偶然》だよ、アレン。いつも偶然。お前の“片付け”は偶然に助けられてるだけだ」


 偶然じゃない、と言い返したかった。けれど言葉は喉で砂になり、胸の中でだけ蠢いて、外に出てこない。ここ数か月、ぼくの手は確かにおかしかった。壊れかけの剣に布を巻いて拭くと切れ味が戻り、染みついた瘴気の匂いは消えた。散らかった薬草を仕分けると、効能はむしろ強くなった。けれど、それを“戦いの役に立つ”と証明する術はなかった。


 「明日の朝、出発する。お前の分の食糧は置いていけ」

 「……わかった」


 背を向けた瞬間、焚き火の光が地面に小さく跳ねて、誰かの笑い声が短く弾けた。ぼくは寝袋と、安物の短剣と、水袋だけを担いで森へ踏み入った。土は冷たく、星は遠かった。


     ◇


 夜明け前、森の端で足を止める。黒ずんだ古いナイフが落ちていた。拾い上げ、柄のぐらつきを指で押さえる。金具は錆び、刃は欠けている。


 「……試すしかないか」


 ぼくは深く息を吸った。ゆっくり吐く。掌でナイフを包み、スキルを呼ぶ感覚に指先を合わせる。


 【片付け】


 ほんのわずか、温度が上がった。金属の芯が目を覚ますように、錆が砂のようにほどけ落ち、刃の欠け目は縫合するように埋まっていく。柄の木は膨らみ、金具が吸い付く音がした。空気が澄み、肺の底まで入ってくる。


 ――やっぱり、偶然じゃない。


 ぼくは笑った。笑うと涙腺が刺激され、目頭が熱くなる。馬鹿みたいだ。たかがナイフ一本、たかが掃除。それでも今は、どんな勝利より眩しく感じた。


 森を抜けると、小さな村が広がっていた。崩れかけの柵。干上がりかけの井戸。灰色の朝靄の底で、何かが静かに腐っている。


 「旅の人?」


 声の方を見ると、頬に土のついた少女が立っていた。七歳くらいだろうか。鼻の頭まで真っ直ぐな泥の筋がついている。


 「ここ、入っていい?」

 少女は首をかしげ、それから慌てたように頷いた。「でも、すぐ帰って。村には今、悪い病があるの」


 悪い病。ぼくは少女の手の甲に薄い黒い斑点を見つけた。斑点は皮膚の下で煙のように拡がり、微かに揺らめいている。瘴気だ。けれど普通の瘴気とは違う。ほつれた糸くずが絡まるように、異質な“散らかり”が見える。


 「痛む?」

 「ちょっとだけ。母さまはもっとひどい。井戸の水が変な味になって、みんな……」


 ぼくは井戸へ向かった。縁の石は苔むし、滑り、割れている。覗き込むと、水面には灰色の膜がうっすら張り、底の石が黒く曇って見えた。散らかっている。水、石、苔、光。互いの秩序が崩れて、互いの役目が果たせないでいる。


 右手で井戸の縁を撫でる。左手で水面に指先を触れ――そっと呼ぶ。


 【片付け】


 音はなかった。ただ、世界がひとつ伸びをした。膜は薄紙のように剥がれ、底の石は輪郭を取り戻し、苔は石の外へ出ていた分だけ収まり、朝日が水柱にまっすぐ降りた。水が、正しい水に戻る。


 「……すごい」


 背後で少女の声が震えた。彼女の手の斑点が少し薄くなっている。ぼくは彼女の手にそっと触れた。乱れた糸を指先でほどきなおすように、ゆっくりと整える。


 【片付け】


 黒い斑点は墨汁に水を垂らしたみたいに淡くなり、やがて皮膚の色に紛れて消えた。少女はぱちぱちと瞬きをしたのち、にかっと笑ってぼくにしがみついた。


 「お兄ちゃん、すごい!」

 「すごいのは、君の笑顔だ」


 手の中に“治る”感触が残った。片付けるとは、きっと本当はこういうことなんだ。乱れたものを、あるべき場所へ返す。壊れた関係を、元の形に並べ直す。ぼくのスキルは、雑巾がけや整理だけの名前をして、もっと広い仕事を抱えていた。


     ◇


 その日から、ぼくは村に留まった。井戸を直し、軋む戸を調え、割れた器を繕い、熱にうなされるひとの額に手を置いた。手を当てるたびに世界のほつれが見え、そのほつれを一本ずつ指で解していくように、静かな満足が降りた。良くなったと聞けば別の家の扉が開き、また次の家へ呼ばれた。


 「旅人さん、ありがとね。うちの子、朝から起き上がって走り回ってる」

 「こっちの鎌も見ておくれよ。柄がぐらぐらしてね」

 「このパン、前は膨らまなかったのに、焼き直したらふっくらして……」


 役に立つ、という言葉が骨に染みた。ぼくの目の前で、誰かの暮らしが少しずつ整っていく。そこに戦いの派手さはない。けれど“いたほうがいい人間”という座布団みたいな居場所が、ゆっくり温まっていくのを感じた。


 村のはずれに、古い祠があった。誰も近寄らない。黒い煙が薄く漂い、鳥は避ける。祠の下には、かつてこの村を守った湧き水の源があると聞く。瘴気はきっとそこから滲んでいる。


 「明日、祠を片付ける」


 そう言うと、村長は眉をひそめた。


 「やめておきなされ。あそこは古くから“触るな”と言い伝えがある」

 「触らなかったから、こうなったのかもしれない」


 片付けを先送りにした部屋がどうなるか、ぼくはよく知っている。埃は埃を呼び、乱れは乱れを育て、やがて人間の心を曇らせる。祠の前に手水鉢を置き、石段に積もった落ち葉と土を竹箒で掃いた。鼠の糞、折れた御幣、腐った注連縄。鼻の奥に刺さっていた匂いが、動くたびに変わる。汚れは生きている。生きているものは、整えれば美しくなる。


 【片付け】


 祠の木組みが軋みをやめ、石の台座が水平を取り戻し、注連縄の繊維が繋がる。やがて空気は澄み、薄かった鐘の音が一度、深く鳴った。


 ――その瞬間、地面が鳴った。


 村の中央から煙が上がる。誰かが叫んだ。「魔物だ!」


     ◇


 現れたのは、黒い蜥蜴のような影だった。皮膚はささくれ、継ぎ目から瘴気が噴き、目は焦点を結ばない。大きな胴体に小さな脚、形が定かではない。まるで、世界の切れ端を集めて雑に縫い合わせたような姿だ。


 「みんな、下がって!」


 ぼくが叫ぶのとほぼ同時に、村の外から騎士団が飛び込んできた。青いマントに銀の紋章。王都の封蝋。先頭の女騎士が剣を抜く。短い金髪が陽光を跳ね返す。


 「この村から異常な瘴気が観測された。住民は避難を! 討伐隊は前へ!」


 剣が閃き、魔法が放たれる。けれど蜥蜴は裂け目から煙を吹きながら、矢を飲み込み、火を吸い、形を崩しては別の形に貼り直した。斬っても斬っても“散らかったまま”再構成される。


 「退け!」女騎士が歯噛みする。「核が見えない!」


 その言葉で、ぼくは蜥蜴の体に目を凝らした。乱雑な継ぎ目。ほつれた糸。見覚えのある景色。壊れた部屋。掃除を拒む部屋。雑に押し込まれた箱。箱の底で潰れた大事なもの。ぼくの仕事は、こういうときにこそある。


 「核は――胸の、少し右下」


 ぼくは走り出していた。女騎士が驚いた顔でこちらを見る。


 「待て、民間人!」

 「ぼくは、民間人じゃない。片付け屋です」


 転がる瓦片を跳び越え、蜥蜴の腹の下に滑り込む。鼻腔が焼け、目に涙が滲み、耳鳴りがする。掌を、世界の“散らかり”へ押し当てた。


 【片付け】


 暴風が、止まった。ぼくの周りだけが静かになった。世界はじっと息を止め、ぼくの指先がほどく糸の動きを見つめている。乱れた糸を引き、硬く固まった埃を崩し、ぐしゃりと潰れた箱を持ち上げる。あるべき形、あるべき順番、あるべき場所へ。それは掃除と言うにはあまりに静かで、戦いと言うにはあまりに穏やかな、修復の手仕事だった。


 蜥蜴の胸から、黒い珠が一つ、ころりと転がり出た。珠というより、二つの部屋の鍵が互い違いに挿さったまま固まっているみたいな、無理な一致の塊。ぼくはその“鍵違い”をほんの少し回した。噛み合うべき歯車が、ぴたり、と噛み合う。


 蜥蜴の体が、霧になって崩れた。


 「や、やった……!」


 歓声と同時に、膝が笑った。女騎士が駆け寄る。彼女の青い目は、見知らぬものを見る驚きでいっぱいだった。


 「今のは――浄化か? いや、違う。お前の手は“整えた”。何者だ?」

 「掃除屋です。井戸も祠も、散らかっていたから直した。それだけです」


 女騎士は一瞬笑い、それから真顔に戻った。


 「王都へ来てくれないか? 宮廷には修復できないものが山ほどある。瘴気は増え、城壁は軋み、古文書は崩れかけ、国は――散らかっている」


 国が散らかっている。なんて、魅力的な仕事だろう。胸が高鳴る。けれど、その前に、やらなくてはいけない“片付け”がひとつある。


 「……前の仲間が、今日の夕刻にこの村を通るはずです。魔王の居場所を探す旅の途中で」

 女騎士は眉を上げた。「偶然だな」

 「“部屋を出る前に、足元を片付ける”のが癖なので」


     ◇


 夕暮れ。西の空が鉄の粉をまぶしたように鈍く光る頃、三つの影が村の入口に現れた。ゲイル、ミリア、カイン。旅装は埃にまみれ、剣は刃こぼれし、杖の先の宝珠は曇っている。


 ぼくは村の広場で待っていた。周りには騎士団と村人。女騎士は腕を組み、地面に突き立てた剣に顎を乗せている。ミリアの顔がぼくを見つけて、ほんの少し引きつった。


 「アレン……?」

 「やあ」


 ゲイルは立ち止まり、周囲の空気を測るように視線を巡らせた。そして、いつもの強い声を作る。


「この村に異常な瘴気が出ていると聞いた。俺たちは――」

 「もう片付いたよ」


 ぼくが指差すと、祠の上の空は洗い立ての布のように明るかった。井戸の水は澄み、子どもたちの頬は赤い。ゲイルの顔が、迷いのない道を突然曲げられた旅人みたいに強張る。


 「……お前が、やったのか」

 「うん」


 カインが鼻で笑う。けれど笑いは薄い。「偶然だろ。たまたま風の向きが変わったとか、瘴気の源が枯れたとか」

 「偶然が何度も続くなら、それはたぶん秩序だよ」


 ぼくはそっと、彼らの装備に視線を落とした。鞘の革は乾きすぎ、鉤は歪んでいる。ミリアの銀のペンダントは鎖がねじれて、首筋に痣を作っていた。カインの杖の宝珠は台座と角度が合っていない。どれも“散らかって”いる。


 「少し、ここで立ち話をしてもいい?」

 ゲイルは腕を組んだ。「何のために?」

 「ぼくの仕事のために」


 ぼくはゲイルの剣の鞘にそっと触れ、ミリアの鎖を指先で一回転させ、カインの杖の宝珠を台座に小さく押し込む。三人の体から、目に見えない埃が一斉に舞い上がるみたいに、空気が軽くなる。


 【片付け】


 ゲイルの剣はすっと抜け、刃がわずかに青く光った。ミリアの顔色がふっと和らぎ、呼吸が深くなる。カインの杖先は、久しぶりに音叉のような澄んだ音で空気を叩いた。


 「どうして……」

 「ずっと、こういうことができた。でも“役立たず”って言われるのが怖くて、黙ってた。だから、ぼくも悪い」


 ぼくは笑って、指を擦り合わせた。手は少し震えている。けれど、心は整っていた。


 「それで――お願いがある」


 ゲイルの眉が動く。「仲間に戻れ?」


 ぼくは首を横に振った。


 「違う。君たち三人を、ここで“解散”してほしい」


 空気が揺れた。カインが一歩前に出る。「ふざけるな。誰に指図――」

 「指図じゃない。お願いだ。ぼくの片付けは、散らかったものを元の場所へ返すこと。君たちは四人で一つの形を作ろうとして、ずっと歪んでいた。ぼくがいた枠には、ぼくの形は合わない。だから、元に戻したい」


 ミリアが唇を噛む。「……私たちが間違っていた、って言いたいの?」

 「間違いって言葉も、片付けると綺麗になる。ぼくは君たちの役に立てなかった。それが嫌で、黙って、歪みを放置した。それだけ」


 沈黙。女騎士の鎧が、微かに軋んだ。村の犬がどこかで吠え、夕陽が井戸の水面を赤く染めた。


 最初に目を逸らしたのは、ゲイルだった。彼は剣を鞘に納め、深く息を吸って吐く。


 「……わかった。お前の言うことは正しいのかもしれん。俺たちは、俺たちの形を探す。お前は、お前の――」

 「片付けをする」


 ゲイルは短く笑って、右手を差し出した。ぼくはその手を握り、手の甲の細かな擦り傷の位置を整えるように親指を軽く滑らせた。手の中の骨が、ほんの少し正しい位置に戻った感触があった。


 「元気でな、アレン」

 「うん。君たちも」


 三人が村を離れていく背中は、以前よりまっすぐだった。背中の荷物のベルトは捻れが取れ、靴紐は左右同じ長さで結ばれていた。


     ◇


 夜。村の広場に炉が組まれ、パンとスープの香りが流れた。女騎士が盃を持って近づく。


 「片付いたな」

 「ええ。少しは」


 彼女は盃を掲げた。「正式な要請だ。王都へ来てくれ、アレン。城には直せないものが溢れている。私の名前はセシリア。王国修理隊オーダー・ブリゲードの隊長だ」


 オーダー――秩序。胸の奥で何かが音を立てて開く。汚れた床に雑巾を置くみたいに、しっくり来る場所の感触。


 「一つ条件を」

 「言ってみろ」

 「ぼくの仕事は戦いじゃない。戦いはできる人に任せたい。ぼくは近くで“片付け”をする。剣の刃先の角度、鎧の鎖の向き、作戦図の重なり、会議の席順、手紙の文の呼吸、古文書の綴じ糸、国庫の帳簿の列――そういうものを整える。表向きは《掃除係》で構わない」


 セシリアは笑った。「王は肩書きにうるさいが、成果にはもっと貪欲だ。肩書きは好きに名乗れ」

 「じゃあ――“片付けオーガナイザー”で」


 盃が触れ、薄い音が夜に溶けた。星が滲み、焚き火の火は柔らかく跳ねた。村の子どもがぼくの膝に頭を乗せて眠り、遠くで誰かが古い歌を口ずさんだ。


 ぼくは空を見上げた。空は散らかっていない。星は星の場所に、風は風の通り道に。どれも、あるべきところにあった。胸の中の何かも、ようやく自分の棚に戻った気がする。


     ◇


 王都へ向かう日の朝、祠の前で一度だけ振り返る。祠はもう、誰かの目を避けていない。扉はまっすぐに立ち、注連縄はまっすぐに張られ、石段は朝露を受けている。ぼくは小さく頭を下げた。


 「行ってくる」


 祠が、風の音で返事をした。聞き間違いかもしれない。けれど、片付いた部屋は音がよく響く。世界はたぶん、片付いたぶんだけ返事をしてくれる。


 道の先に、セシリアたちの旗が揺れる。ぼくは荷物の紐のねじれを一度直し、靴の砂を払ってから歩き出した。足取りは軽く、背中の重さは、ちょうど良い。


 ――役立たずだったぼくは、これから国を片付けに行く。


 その始まりの朝は、どこまでも、よく晴れていた。


(了)

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