第6章
……チリ、と空気が震えた。
風でも、音でもなかった。
けれど確かに“何か”が、家の中に満ちていく。
吹雪が兄の腕の中で、わずかに身をすくめる。
テツヤもまた、背筋をぞくりとさせた。
何だ、この感じは。
鼓膜に届かない“音”。
視界に映らない“光”。
肌の内側でじんじんと鳴り響く“何か”が、彼の全身を包み込んでいた。
そして次の瞬間、それは訪れた。
「……兄ちゃん……見て……っ!」
吹雪が、震える指を差した。
その先――リビングのテレビの液晶が、電源を入れてもいないのに勝手に点灯し、
ノイズ混じりの画面が表示されていた。
ザザッ……ザ……ッ……ガ……
まるで、何十年も使われていない古い受信機が
どこかの衛星と勝手に同期したような、異常な起動音。
そして、そこに浮かび上がったのは――
TETSUYA HIRAGI
ACCESS CODE: EX-001
TEMPORARY COMMAND PROTOCOL – INITIATING
「……これ、なに……?」
吹雪が声を失ったように呟く。
テツヤは、立ち上がって画面に近づいた。
目を凝らし、信じられない思いで見つめる。
そこに、さらに文字が追加される。
> 【戦艦アマテラスより臨時命令発信】
【対象:柊テツヤ(17)】
【既存宿主:柊春香 意識不明】
【後継候補、条件不一致】
【例外認定コード:遺志承認】
【臨時艦長、選定開始――】
テツヤの心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。
意味がわからない。
だけど、理解した。
これはただの“夢”や“いたずら”じゃない。
何か――恐ろしく大きなものが、
自分の世界に入り込んできている。
「アマ……テラス……? 戦艦って……」
視界の隅で、吹雪がテツヤの服をぎゅっと握っている。
彼女の手は冷たい。震えている。
その震えが、テツヤの心を正気に引き戻す。
「兄ちゃん、ママの名前が出た……
やだ……やだよ……ママ、どうなっちゃったの……?」
その問いに、答えはなかった。
かわりに、再びノイズが響いた。
そして、テレビのスピーカーから――
明らかに“人の声ではない何か”が、語りかけてきた。
あなたを――迎えにいく
その瞬間、テツヤの身体に電流のような衝撃が走った。
背中から頭にかけて、何かが流れ込んでくる。
情報。記憶。戦闘。構造。座標。暗号。命令。兵装。誓約。嘆願。
それらすべてが、“アマテラスという艦の意思”として、
テツヤの脳に直接注ぎ込まれていた。
「ぐ、あ……っ……!」
膝をつく。
頭を抱える。
視界が白く、眩しく、灼けるように光に包まれる。
「兄ちゃん!? 兄ちゃんっ!!」
吹雪が抱きつく。
だが、彼女の声も遠ざかっていく。
世界が、塗り替えられる。
現実が、音もなく、別の現実に切り替わっていく。
そして、テツヤはその中で――
“母の記憶”を見た。
最後に送った笑顔。
「すぐ帰るから」と言った声。
夕飯は何がいい?と聞いた優しさ。
その全てが、どこかで“終わっている”という直感。
「やめろ……! やめろ……ッ! 俺は――!!」
だが声は届かない。
戦艦アマテラスは、なおも呼びかけていた。
ーーー君を、艦長として迎える
――そのとき、玄関が鳴った。
コンコン、と。
優しく、まるで母が帰ってきたときのようなリズムで。
テツヤと吹雪は、同時に振り向いた。
だが、そこに立っているのが、“誰なのか”を、
ふたりはまだ、知る由もなかった。