表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/66

第4章

――戦艦アマテラスは、拒絶した。


それは奇跡に等しかった。

虚数空間の神、姫蜘蛛を前にしてなお、自我を保ち、

自らの中枢を焼き払ってでも侵入を拒もうとした艦。


けれど、神は“微笑む”。


「ふふ……いいわ。じゃあ、別の道から入ってあげる」


その声が響いた次の瞬間。

艦の中枢に渦巻いていた“闇”は、音もなく方向を変えた。


狙いは――柊春香。



春香は、まだ立っていた。


エラーの嵐、艦の悲鳴、目に映る幻のような黒い少女の影。

それら全てを見て、聞いて、理解しきれず、ただ立ち尽くしていた。


そして、気づいた時には――もう遅かった。


「――あっ……が……あぁあッ……!」


胸の奥から、灼けつくような熱と冷たさが同時に湧き上がった。


空気を吸うたび、喉が焼ける。

鼓動は乱れ、耳鳴りが、頭蓋の奥で爆ぜた。


視界がゆがむ。

艦内の照明が、赤と白と黒ににじみ、

その隙間から“言葉にならない声”が滲み出してくる。


『なぜ……なぜあんなにも、戦う……?』

『なぜ私は、時間を知ってしまった?』

『なぜ私だけが、永遠を感じてしまう!?』


その声は、彼女の意識の中に無数の針のように突き刺さった。

記憶でも、幻覚でもない。

それは実感だった。


姫蜘蛛の“意識”が、春香の中に、直接注がれていく。


――それは、異常だった。


流れ込んでくるのは、言葉にならない“想い”の奔流。


まず最初に来たのは――憎悪だった。


狂おしいほどの黒。

万年を超える呪詛。

光を知らぬ空間で、ただ流れ、ただ歪み、ただ存在し続けた者の、

「存在してしまったこと」そのものへの怒り。


「わたしは、知らなかった……何も、知らなかった……!

 でも今は、知ってしまった……!

 あなたたちが、どれほど醜いかを!」


次に、嫌悪が押し寄せる。


人間という存在への、果てしない嫌悪。

目を背けたくなる醜さ。

口にするのもおぞましい歴史の繰り返し。

裏切り、殺戮、愛を謳いながら他者を踏みにじる矛盾――

それら全てが、姫蜘蛛の中で“真実”と化していた。


「どうして、どうして……そんなにも歪で、儚く、愚かで……それでも生き続けるの……!」


最後に、渇望が流れ込んだ。


それは、春香が耐えきれなかったものだった。


“平穏への渇望”。

“誰かに終わらせてほしい”という静かな願い。

“理解されたい”という狂おしい望み。


それは、あまりにも――人間に似ていた。


「やめて……! やめて……! お願い、出ていって……!!」


春香は叫んだ。

自分の身体が自分のものではないような錯覚。

腕が勝手に震え、足が言うことをきかず、心が“黒”に染まっていくのが分かる。


だが姫蜘蛛は、やさしい声で囁いた。


「やだよ、だって……あなた、とても居心地がいいもの。

 あなたの中には、“終わりたい願い”がある。

 私の“始まり”に、とてもよく似ているの」


その瞬間、春香の瞳が揺れた。


ひと筋の涙が、頬を伝う。


「……そんな、わけ……」


心の奥底で、確かに一度だけ願ってしまったこと。

自沈の命令を下すほんの直前に、ふとよぎった思考。


“このまま、終われたら楽かもしれない”


それが、姫蜘蛛の入り口になった。


――完全憑依、完了。



その時、艦のセンサーが春香の異常を検知した。


【宿主内部に、第三者意識の兆候】

【感情値異常上昇――基準値の3000%】

【主命令系統、応答不能】


アマテラスが叫んだ。


それは、機械の悲鳴だった。

かつて唯一の理解者を失ったことに対する、恐怖と哀悼の叫びだった。


姫蜘蛛は、春香の身体を操りながら、ゆっくりと振り向いた。


「さあ――終わりにしようか。

 あなたも、この世界も、あの子も。

 全部、全部、壊して、静かにしてあげる」


春香の声で、そう言った。


けれどその目に宿っていたのは、

“人間には到達し得ない”ほど澄んだ、壊れきった静寂だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ