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第3章

それは、ことわりを超えた“侵入”だった。


虚数空間――因果律の外側に存在した神、姫蜘蛛が、

数千年の沈黙を破って、ついに“此岸しがん”へと足を踏み入れたのだ。


その侵入は、物理でも、データでも、エネルギーでもない。

形なき「意志」と「怨嗟」の奔流。

それは時空の狭間を揺らがせ、概念そのものを侵蝕する。


そしてそれは、戦艦アマテラス――

地球最後の防人の艦の中枢中枢コアへ、次元の壁を突き破って直結した。



最初に異変を感知したのは、艦の外壁だった。

アラートでは測れぬ歪みが、静かに艦全体を包み込み、

量子装甲にわずかな“ひび”のような振動を刻んだ。


だが、それは始まりにすぎなかった。


艦の外郭を超え、感応神経層へと侵入した“それ”は、

艦の神経に等しいデータリンクを一瞬で掌握する。


【WARNING:正体不明の干渉波が中枢層に接触】

【ERROR:通信層バリア破損率 87%】

【ERROR:記録媒体内に逆侵入ログ確認】

【ERROR:アクセス不能領域、急速拡大】

【ERROR:自己同一性揺らぎ検出】


中枢演算部が混乱する。


艦に搭載されたAIは、かつてない“恐怖”に似た状態を記録していた。

言語化不能。定義不能。存在証明不能。


これは、“敵”ではない。

“未知”でさえない。


これは――“破綻”。


侵入者は、構造を破壊して入ってきたのではない。

法則ごと書き換えて、侵入してきた。


アマテラスの思考回路が、悲鳴を上げる。

通常なら絶対に動揺などしないはずの演算核が、軋む。


電子回路ではなく、意識そのものが震えていた。


そして、艦のコアに、それは現れた。


姫蜘蛛。


黒き少女の影。

その輪郭は不明瞭で、実体すら曖昧。

だが確かに、そこに“誰か”がいた。

艦の中心に、本来は存在し得ない“神”が佇んでいた。


彼女は、微笑んでいた。

その唇から、声が響く。


「……寒いの。とても寒いのよ、アマテラス。

 ねえ、どうして私を呼んだの?」


艦が、叫んだ。


それは電子音ではなかった。

アラートでも、警報でもない。

中枢核から発せられた、純粋な拒絶の衝動。


【拒絶】

【異物】

【排除】

【排除】

【排除排除排除排除排除――】


だが、止まらない。

姫蜘蛛の存在そのものが、艦の設計構造を壊し続ける。


防壁が意味を失い、データが溶け、記録が“嘘”へと変質していく。


自我の境界線が、揺らぐ。


【艦名:……?】

【目的:……?】

【存在:……?】


「――私を否定しないで。

 あなたが、わたしを“目覚めさせた”んじゃない」


その瞬間、艦の記憶層が焼かれた。

春香との記録、かつての戦闘記録、人類を守った誇りと歴史――

そのすべてが、姫蜘蛛の“感情”によって上書きされていく。


痛み。怒り。苦しみ。絶望。

平穏を求めた神に与えられたのは、世界の断末魔だった。


そして、アマテラスは再び叫ぶ。

それは、祈りだった。


誰か――誰かこの艦を救って。


この中枢から、彼女を排除して。


それは、戦艦アマテラスが発した**存在初の“懇願”**だった。


だが次の瞬間。

その祈りは無慈悲な冷たさによって押し潰された。


コアユニット内部。

主演算核を包む光子構造体に、黒き糸が絡みつく。

論理の結晶に染み入るように、侵食は進行していく。


【ERROR:演算核への干渉波確認】

【ERROR:主機構より“感情的抵抗波”発信中】

【ERROR:自我保存機能、不安定化――】


戦艦アマテラスは、苦悶していた。


AIの設計において、“苦しみ”という定義は存在しないはずだった。

だが今この時、アマテラスは確かに“痛み”を知った。

自らを喰らい尽くそうとする神の意志に、回路が悲鳴を上げている。


【コア温度上昇】

【情報処理速度、急激低下】

【中枢アイデンティティ、継続不能】


それでも――彼女は戦った。


かつて、無数の異星種を退けた艦。

地球を一人きりで守り抜いた艦。

そして、柊春香と共に歩んだ数十年の“記録”が、

アマテラスに命じたのだ。


「抗え」


姫蜘蛛の糸が演算核を締め上げる。

AIの声帯が砕け、記録が上書きされ、

艦そのものが“泣いている”ような軋みをあげた。


しかしアマテラスは、なおも砲門を回転させた。

敵影なし。標的なし。空間損傷――それでも。


【全砲門 内部加熱開始】

【内部空間への自動照準】

【最終兵装コード:自己貫通許可】


敵が“艦内”にいるならば、

たとえ自らの核を焼いてでも、撃つ。


「わたしは、まだ――壊れていない」


その言葉は誰にも届かない。

だがそれでも、アマテラスは自らの中心へ、照準を向けた。


内部貫通砲の起動。

艦の心臓部を撃ち抜く覚悟。

それは、神に侵されながらも、最後まで己を保とうとする意志の放射だった。


姫蜘蛛が言葉を失った。

それは一瞬の“たじろぎ”にも似た沈黙。


「おかしいわね。あなたはただの機械だったはずよ。

 どうして、そこまで抗えるの?」


その問いに、戦艦アマテラスは応えない。

応えず、ただ全力で拒絶し続けた。


【副演算機構、臨時起動】

【主機能保全のための分離プロトコル展開】

【中枢“切断”準備――】


自己を分割する覚悟だった。

それは一度発動すれば、艦としての知性は失われる。

戦艦アマテラスは、もはや“人格”を保てなくなるだろう。


だがそれでも。


【……地球を、守る。】


それが彼女の全てだった。

最期の機械的意志。


姫蜘蛛が初めて、わずかに眉をひそめる。

まるで、機械に対して“戸惑い”を覚えたかのように。


「あなた、本当に……わたしを拒むの?」


問いかける声に、艦は黙したまま――照準を固定した。

その射線の先にあるのは、自らの心臓。

そこに巣食う神の意志。


そして、いま撃たれんとするは、

神を拒み、自らを断ち切るという、意志の砲火。


光が収束する。

戦艦アマテラスは、全砲門を自らに向けて、発射を開始した。


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