8. カースドヒーロー 勇者シーザー登場
『カースドヒーロー』、通称カスヒロはファンタジー物の連載漫画である。
この世界の英雄は、「祝福」と呼ばれる特殊能力を授かる代わりに、逆に「呪い」も受けてしまうのだ。例えば、水を操る「祝福」を持つ英雄が、その水に触れると火傷してしまう「呪い」を持つ、といったように――
しかし、この世でただひとり「呪い」を持たずに生まれてきた英雄が、主人公の勇者シーザーである。
彼は一見すると繊細で弱々しい、まるで女性のような華奢な青年だった。けれど、敵の「呪い」をはねのける「祝福」の力を持ち、何度倒れようとも決して諦めずに戦い続け、倒した相手にも情けを掛ける心優しきヒーローだった。
それゆえ読者からの支持も厚く、人気投票では毎回上位、完全無欠で誰からも好かれる好青年。まさに勇者と呼ばれるに相応しい主人公だったのである。
物語は、「反人間」と呼ばれる、「呪い」しか持たない者たちの反乱から始まる。
善良な人々に「呪い」を撒き散らそうとする魔王――その軍は平和な街を次々と、烈火の如く侵略していく。
人々の誰もが敗北を確信する中、シーザーはその侵攻を阻止しようとたった一人立ち上がり、魔王軍と戦い始めたのだ。
初めは孤独な戦いを強いられたシーザーだったが、やがて彼の戦いぶりに心動かされ、一緒に戦う者たちが現れ始める。
聖女として治癒の力を持ち、シーザーに密かな想いを寄せる王女アン。
シーザーに助けられたうえ、魔王退治の報奨金目当ての盗賊ブラウン。
シーザーの志に感化された最強の女騎士ジャンヌ。
彼らが次々仲間に加わり、四人となった勇者一行は、魔王軍と戦いながら魔王討伐の旅を続ける。そして物語は佳境に入り、いよいよ魔王を倒す最終決戦へと向かうところであった。
勇者シーザーたちの物語は、順風満帆のはずだった――
ところがその漫画の作者は、別名「皆殺しの鈴木」という異名を持ち、終盤にかけてキャラクターたちを意味なく皆殺しにしていくことで有名な漫画家だったのである。
そして当然この「カースドヒーロー」の主人公シーザーたちにも、作者の筋書きという魔の手が迫ろうとしていたのだ。
ハッピーエンダーのロックが主人公シーザーから依頼を受けるのは、もう少し先の話であった。しかもロックが関わった中で最も長く、何度も物語改変することになるとは、この時はまだ誰も想像していなかったのである――
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魔王討伐の旅を続けてきた勇者シーザーたちは、今まさに未曽有の危機に瀕していた。
魔王軍には『呪いの四将軍』と呼ばれる恐怖の将軍たちがいる。その内の将軍二名が不死の化物の大軍を率いて、勇者シーザーたちの立ち寄った城塞都市に攻め込んで来たのである。
単なる籠城戦なら守備側が有利なはずだが、敵軍は死ぬことも眠ることもない不死の化物。そのため苛烈な強襲が昼夜休むことなく続いていた。
ましてやそのアンデッドたちの大半は、元々街の住人だったのだ……。兵士だけでなく、一般市民まで借り出し総力戦で守り続けていたが、限界が近づいていた。
戦いによる疲労、自らもアンデッドに取り込まれるかもしれないという恐怖、かつては仲間だった「生きる屍」を再度殺さなければいけないという悲しみ。城が落ちるのはもはや時間の問題だった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
防壁上の歩廊を駆けるシーザーは、防壁を這い上がろうとするアンデッドたちを蹴散らしながら、共に戦う戦士たちに号令をかける。
「慌てるな。とにかく倒そうとするより、一度押し戻すんだ。アンデッドは僕たちより遅く知能も低い。冷静に対処すれば、僕ら人間の敵じゃない」
「だが数が多すぎる! くそっ、これじゃ埒が明かねぇよ! アンデッドは死なねぇし、こっち側がやられりゃアンデッドになって敵が増えやがる」
腐った動く死体を剣と魔法で凪払いながら、ブラウンが思わず愚痴をこぼす。彼は勇者一行の四人の内の一人だ。
盗賊魔術師のブラウンは、顔に火傷痕のある出っ歯の小男だ。敵の裏をかくような俊敏な戦い方をする、剣と魔法両方の使い手だった。
炎を操る「祝福」の持主で、今まさに胸壁を乗り越えようとしていたアンデッドの一団を見つけると、
「これでも食らいやがれ!」
城壁に掲げられた旗を「祝福」の力で燃やしてアンデッドたちを巻き込みながら突き落とした。
衛兵からは「名誉の城旗を燃やすとは何事か!」と怒号が上がるが、ブラウンは「生き残ってたら土下座でもなんでもしてやるよ」と気にした素振りもなくすぐさま戦いに戻る。
勇者一行の残りの二人、聖女アンと女騎士ジャンヌも憔悴しきっていた。
肩まで伸びた亜麻色の髪に白い法衣姿の聖女アンは、治癒の力を持つ、この国の王女だ。元々は玲瓏玉のごとき美しさ、国一番の美少女だと称えられていたが、今では故あって仮面で顔を隠している。
彼女の「祝福と呪い」は「生者と死者」を司るもので、生命を治す「祝福」の力を持つものの、その力を使えば使うほど死者へ近づいていくという「呪い」だった。
「これ以上治して回ってたら、二度とお嫁にいけない顔になっちゃうわよ。シーザー、責任取ってくれんのよね⁉」
憎まれ口を叩きつつも、アンは今も傷ついた兵士たちを治療して回っていたが、そのせいで彼女の右腕はすでに骸骨同様の「死神の腕」となっていた。仮面の下の顔も半分以上は肉がそげた髑髏姿になっているに違いなかった。
本当ならそんな呪われた力を使いたくはなかっただろうが、勇者シーザーたちも命を懸けて戦っているのだ。自分だけが逃げるわけにはいかない。
そんな中、ついに壁を登り切ったアンデッドたちが堰を切ったように歩廊になだれ込んできたのだ。その数はまだ数匹ではあったものの、一度決壊すれば、もう押しとどめることは不可能だ。
アンデッドの一団が兵士たちを薙ぎ倒すと、噛まれた兵士自体も呻き声を上げ始める。肌はみるみる土気色に変色し、恐ろしい速さでアンデッドに変わっていき、ついにはアンとジャンヌに襲い掛かろうとしていた。
「シーザー、もう我慢できない、私にアンデッドを倒させてくれ!」
そう叫んだのは女騎士ジャンヌだった。
この籠城戦の中で、彼女だけがアンデッドを倒すことを許されていなかったのだ。だが、シーザーは彼女の願いを退けた。
「ダメだ。このアンデッドたちは、初めからアンデッドだったわけじゃない、魔法で作られたものとも違う。『呪い』によって作られたものなんだ。だとすれば君にその力を引き継がせるわけにはいかない……」
長い銀髪をポニーテールで結び、白銀の鎧を纏う女騎士ジャンヌ。彼女はその麗しい見た目に反し、この国最強の剣士だ。幾人もの屈強な英雄たちを差し置いて彼女が最強であるのは、その「祝福と呪い」ゆえだった。
彼女は倒した相手の「祝福と呪い」を両方とも受け継いでしまうという力を持っていたのである。普通に考えれば、それは最強の能力に思えるが、逆に最大の弱点でもあった。
例えば、もし彼女がアンデッドの「呪い」を持つ敵を倒せば、彼女自身もアンデッドになってしまうのだ。今回の敵はまさにアンデッド――
だからこそジャンヌに安易に「呪い」を持つ敵と戦わせるわけにはいかなかったのだ。
「大丈夫だ、僕がやる」
そう叫んだシーザーは、近道だとばかりにデコボコ状の胸壁上を豹のように低い姿勢で駆け抜けると、今まさにアンに襲い掛かろうとしていたアンデッドの一団につかみかかる。
アンデッドに嚙みつかれ感染することもいとわず、そのぶつかった勢いのまま胸壁の外へアンデッドごと飛び降りた。
「シーザー……!」
アンが悲鳴のような声を上げて彼の名を呼んだ。
あのような姿勢で防壁から落ちれば、いかに勇者と言えど無事ではすまないだろう。ましてやその下はアンデッドたちの巣窟なのだ。
アンは嗚咽を漏らしながら、震える身体を押さえつけるように自らの腕で抱きしめ、防壁の下を覗き込んだ。
するとシーザーは燃え盛る城旗の鉄棒につかまって助かっており、彼女と目が合うとにっこり微笑んだのだった。
その旗は、先ほどブラウンが「祝福」の炎でアンデッドを退けたもので、落ちる途中で城壁に引っかかり刺さっていた。
シーザーは軽業師の要領で、燃える鉄棒の上でくるりと回転しながら起き上がると、壁を駆けあがって防壁に戻ってくる。
「いやぁ、丁度ブラウンが燃やした旗が引っかかっているのが見えていたんで、一か八か賭けてみたけど、思った以上にうまくいったよ」
「あんた、噛まれた傷や炎にまかれた火傷は大丈夫なの?」
泣きじゃくりながら安堵の表情を浮かべるアンに、シーザーは答える。
「僕は『呪い』を持ってないのと同じように『祝福』や『呪い』の能力も退けられるのを忘れたのかい。アンデッド化も、ブラウンが操る炎も、大丈夫さ」
「なにが大丈夫よ、この馬鹿、心配させて」
シーザーの胸に抱きついたアンは、しゃくり上げながらシーザーの胸を何度も叩きつけるのだった。
突如敵軍の笛の音が響き渡ると、不死の軍隊の攻撃が止んだ。眠る必要も食事の必要もないアンデッドの攻撃が止んだのは、最後の総力戦に挑むためと思われた。
ただ、それは死刑執行前の最期の小休止。むしろその待ち時間の方こそ、地獄に他ならなかった。