麗しの鳴海大尉
それから7年の月日が経った。日本で言えばちょうど小学校に入る年齢であり、この国でもそれは変わらない様だ。俺はと言えば、転生したという割には地味な人生を送っている。両親も俺のことはだいぶ賢い子供だと思っている様だが、だからといって何か特別な事件が起こるわけでもない。あえて事件を挙げるとすれば学校の授業がつまらなすぎるというくらいのものだ。大人になって小学1年生の授業を受けるのはなかなかに苦痛だ。あの某名探偵はよく耐えているな。その反動で、父の書斎の中にある小難しい本を盗み読みしては叱られるのがここ最近の日常だ。やはり、将来は弁護士か医師を目指して勉強に力をいれるべきかねぇ。
悩みながら、メリーメイのぬいぐるみをぽふぽふと叩く。このぬいぐるみは3歳ぐらいの頃、スケッチブックに書いた落書きのメリーメイを、母が痛く気に入り、どこかに頼んで作らせたものだ。人生2度目のメリーメイの立体化。何だか複雑な気分だったが悪い気はしなかった。
「おい、春綺。ちょっと、降りてきなさい。」
適当にぬいぐるみと戯れていると、下から父さんの声がする。今日は客人が来ると言っていたから2階に退散していたのだが、もう帰ったのだろうか。
「はーい。」
下に降りていくと、そこには父さんと母さん、そして栗毛でふわりとした髪をした、詰襟の軍服の男が座っていた。これが父の客人か。軍人時代の知り合いだろうか。
「まぁ、座って。」
父さんはソファに俺を座らせる。
「こちらは、扇ヶ谷基地所属の鳴海健二大尉だ。」
「どうも、鳴海です。」
「どうも……」
鳴海という軍人は、ふわりと笑って挨拶をした。どうにも軍人というには柔らかな風体をしている。
「ちょうど扇ヶ谷基地に赴任したので、お父さんに挨拶しにきたんだ。昔だいぶお父さんにはお世話になったからね。」
「辞めてくれ、鳴海くん。俺は何もしていないよ。」
「またまた。扇ヶ谷の復興にも随分尽力されていると聞きましたよ。」
前回の紛争から7年。俺が生まれた頃はまだ荒廃した部分も多かった扇ヶ谷の街もだいぶ復興してきた。父さんは軍人時代のパイプがあるらしく、復興事業にもしばしば関わっているらしい。
「とろころで、春綺くんは随分賢いらしいね。」
「あ、えーっと……」
そう言われてもなかなか自分で賢いとは言い難いな。まぁ、周りと比べればそりゃぁな。
「まぁ、自分じゃなかなか賢いとは言いづらいか。質問が悪かったね。」
「い、いえ。」
「そんなに優秀ならぜひ将来は幼年学校に欲しいものだな。」
「いや、俺は……」
流石に、現代日本生まれの俺からすれば、キャリア選択の中に軍人というのはなかなか入れづらい、できれば帝都で悠々自適なキャリアライフを送りたいものだ。今度の人生は下手に挑戦をせずに堅実にというのが目標だ。戦争にもできるだけ巻き込まれたくない。何?せっかく転生したのにそんなのでいいのかって?いいんだよ。てか、逆にそれ以外何があるのさ?
「何だ、軍人は嫌か、パパも元は軍人なんだぞ。」
「父さんは軍人と言っても、資料編纂部じゃないですか。」
「おいおい、君のお父さんは前線でも凄かったんだぞ。一度同じ船に赴任をした事があるが、その時は、」
「こら、鳴海くん。」
「あはは、すいません。今は優しいお父さんですもんね。」
「前から優しい上司だっただろ?」
「どの口が言うんだか。」
おいおい、おっさん同士で乳繰り合うなよ。まぁ、あのガタイで何となく察していたが、うちの親父はただの文系軍人という訳ではなかったのだろう。そんなまったりとした空気が流れていると、ガチャリと玄関の扉を開く音がする。
「ただいまー!」
ドタドタと音を立てながら入ってきたのは冬花だ。どうやら、学校が終わって帰ってきたらしい。7年経って男勝りというか、なかなかにお転婆に成長している。そんな冬霞だが、鳴海大尉のことが目に入ると顔を真っ赤にして父さんの後ろへと隠れた。
「あ、あのぉ。」
「あぁ、冬霞ちゃんだね。お邪魔してます。鳴海と言います。」
挨拶をされると冬花は顔を背けて、父さんに身体を寄せる。
「パパのお友達?」
「そうだ。パパのお友達だ。ご挨拶は?」
父さんが優しく宥めると、冬花はようやく前に出てもじもじと挨拶をする。
「あ、あの、橿原冬霞です。どうも……」
「よろしく。冬花ちゃん。」
握手を返されると、冬霞は再び赤面する。こりゃ、あれだな。初めて見るイケメン軍人を見て恋に落ちるあのパターンだな。まぁ、鳴海大尉もなかなか顔立ちは整っているからな。見た目的に、まだ20代だろうし、これは仕方のないことだ。そう思ってニヤニヤと冬霞を眺めているとジトっとした目でこちらを睨め返してくる。こりゃ、図星だな。
「おっと、もうこんな時間か。すいません。つい長居をしてしまいました。また、機会があれば。」
「いいのよ。いつでも来て。いつでも美味しいコーヒー出すから。」
「朱夏さんもお元気そうでよかったです。では。」
そういうと、鳴海大尉は忙しそうに我が家を後にした。と、言うか、何で俺は呼び出されたのだろうか。
「ちょっと、春綺。」
ぼんやり考え事をしていると、冬霞に手を引かれ、2階に連れて来られる。
「何だよ、痛いな。」
「何だよじゃないわよ。あんなニヤニヤした目で私のこと見て。」
「あー、ごめんごめん。ついね。」
「別に私は鳴海さんのことなんて何とも思ってないからね!」
まだ何も言ってないのにそんなこと言ったらもう自供と同じだろ。
「わかった。わかったから。」
「それで?」
「え?」
「鳴海さんってどんな人なの?」
「俺も別に何も知らないよ。扇ヶ谷基地に最近赴任してきたってことぐらいしか。そんなの、父さんに聞けばいいだろ。」
「パパはちょっと……」
イジられるから聞きたくないってか。
「なら、今度、一緒に基地でも見にいくか。」
「基地?」
「あぁ、鳴海大尉のいる扇ヶ谷基地だ。行かないから別にいいけど。」
「行く!行きたい!」
「その代わり、大人しくしてろよ。」
「ほんと、弟のくせに生意気!」
まぁ。この世界では姉であるが、冬霞は妹の様な存在である。そんな妹の小さな恋路を見守るのも悪くはない。
次の休みの日、冬霞と一緒に基地へと向かった。5月だと言うのに日差しがだいぶ強い。この島の多くは砂漠地帯で、非常に乾燥している。
砂漠の街から臨む真っ青な海。いやぁ、綺麗だねぇ。12歳の少女と7歳の少年が麦わら帽子に水筒をぶら下げて歩いている姿は微笑ましく見えるのかも知れない。まぁ、向かっている先は軍事基地なのだが。
「楽しみね!春綺!」
憧れの鳴海大尉に会えるとあってテンション爆上げの冬霞。
「言っておくが、鳴海大尉に会えるとは限らないからな。あと、俺は楽しみじゃない。」
「わかってるって。」
あ、これ分かってないやつだわ。少なくとも冬花の付き添いでなければ、こんな日差しの中わざわざ出かけたりはしない。まぁ、日本と違って湿気が無い分まだ過ごしやすいが。
40分ほど歩き、ようやく基地の近くまで辿り着いた。ここは飛行場も兼ね備えているらしく、フェンスの先に飛行機が何機も見える。ここにあるのは満山時計機械工業製の最新機MAD-02式戦闘機、通称ゼロツーだ。何で時計屋が飛行機作ってんだと思ったそこのあなた。現実世界の日本にもそんな会社があったんだぜ。ちなみに、MADというのは、MituyamaAirDominaterの略らしい。父さんの部屋にあった資料を見るとこの世界では航空産業の発展が遅く、航空機が初めて登場したのは7年前の紛争の時が初めてらしい。まぁ、この航空機の登場の遅れも地磁気の影響だとか何とか。とはいえ、他の技術の発展具合のせいか、既に形は俺知っている現代の戦闘機と近いものになっている。中身のことまではわからないが。ただ、現実世界とは違い、まだ航空機の戦略というものは発展していないように見える。なんせ、初めて航空機開発に成功したのは帝国。連合は未だちゃんとした生産ラインを確保していないらしい。そのおかげでかはわからないがいまは暫くの平穏な時がこの扇ヶ谷にも訪れている。
「何あれ、おっきい!」
冬霞が指差したのは、滑走路に飛行機と共に並ぶ大きな戦艦。地上に戦艦?と思ったそこのあなた。俺もとてつもない違和感がある。あれは地磁気艦と呼ばれるこの世界の戦艦だ。機動艦とも呼ばれる船は、地磁気が強く発生する島の特性を活かした、陸を駈ける軍艦である。「地磁気誘導推進システム」という、戦艦自体が強力な超伝導コイルを搭載しており、コイルを使って船体周囲に巨大な電場を形成。地球の地磁気と船の作る磁場が相互作用し、「磁気浮上」と「磁気推進」を実現している。進行方向に対して船体の内部で電流を制御し、ローレンツ力で水平方向の推進力を生む……らしい。
まぁ、俺は文系出身なのでこれは『全島全史』に書かれていたことの受け売りだ。実際は半分も理解できていない。要は、地球を「超巨大な磁石」と見なし、船が自らの磁気的性質を変えて、磁石の力をうまく「掴む」ということらしい。「地磁気誘導推進システム」以外にも石油での走行も可能で、海洋で本物の戦艦として使用することもできるようだ。あれを見ると改めてここは異世界なのだなと思い知らされる。
「ちょっと君たち。こんなところで何をしているんだ?」
分厚い眼鏡をかけ、髪の毛をぴっちりと七三に分けた、詰襟の軍服の中年の男が声を掛けてくる。階級章を見るに少尉らしい。まぁ、子供2人がこんなところにいれば声をかけるわな。真っ当な大人だ。
「あの、僕たち、」
「私、鳴海大尉に会いに来たんです!」
「あ、こら。遠くで見るだけって約束したろ。」
「でもぉ。」
これはあとで、面倒なことになるぞぉ。鳴海大尉の耳に入れば、全自動で父の耳にも入る。わざわざ基地なんていう危険な場所に冬霞を連れてきたとなれば怒られるのは俺なんだからな。
「少しそこで待ってなさい。大尉を呼んできます。」
「やったー!」
「おい、冬霞。」
喜んでいる場合じゃないんだってば。
程なく、俺たちのところに鳴海大尉がやってくる。以前のぴっちりとした詰襟ではなく、開襟の服を着ている。わざわざ基地の外まで回り込んで会いにきていただけるとは。仕事中に悪い事をしたな。
「誰かと思えば、橿原さんのところの。どうしたんだい。幼年学校に行く気持ちでも固まったのかい?君なら飛び級で大歓迎だよ。」
「いや、まさか。」
「はは、冗談だよ。」
「なら!私!私が行きます!」
「え?」
急に大きな声を出して手を上げた冬霞を、少し面食らったような顔で見つめている。
「まぁ、確かに冬霞ちゃんは年齢的にはそろそろだけど……」
そう言いかけた時、基地の方から消魂しいサイレンが鳴った。
「……まさか。ちょっと、君たちもついてきて、基地の中へ行こう。」
鳴海大尉は俺たち2人を抱えると急いで基地の中へと戻っていく。流石軍人のパワー……なんて、感心している場合ではない。いったい、何が起こっているんだ。