海の見える街
再び目が覚めると、目に入ったのは木製の大きな梁であった。まるで病院の天井とは思えない立派な梁に首を傾げる。それに、あれだけの傷を負ったはずなのに、まるで痛くない。不思議に思って右手を見る。……おや随分とかわいいお手々だこと。……いや、これ子供……ってか、ほぼ赤ちゃんの手だな。
ここで考えられるパターンはいくつかある。
A、死んで生まれ変わった。
B、過去にタイムリープした。
C、これは夢である。
D、ここは死後の世界である。
とりあえず、ここまではっきりした意識があるからCはまず無いだろう。明晰夢なんて見たことないし。次に、俺の家はこんな立派な木造建築ではなかったのでBもない。まぁ、イメージ的に死後の世界って感じでもないし、これはまさかのAなのか……?
「あら、春綺起きたのねぇ。」
視界に入る東洋美人。何だか女優の様な美しさというか気品があるな。その美人はベッドに寝かされている俺のことを甲斐甲斐しく世話している。どうやら俺の母親らしい。これは確実に"転生"って奴だな。最近流行りの。
だが、先ほどの発言から推察するに、俺の名前"ハルキ"と言うらしい。と言う事は、ここは日本?いや、こう言うのって異世界転生が定番なんじゃないですかね。俺、高校の頃そういうアニメ見まくってたから、結構詳しいよ?ひとまず、あたりを確認する為にぐるりと体を回して四つん這いの姿勢をとる。
うーん。部屋の構造も現代日本とあまり変わらない。テレビもあるし、チラチラ見える本にも漢字が見える。これは所謂、普通の生まれ変わりというものなのだろうか。
「あら、外に出たいのー?」
そう言うと母親は、俺のことを抱っこして柵の高いベビーベッドから持ち上げる。抱っこされるのなんて何年ぶりだろうか。そこの美人に抱っこされるなんてけしからんと思った諸君。安心しろ、本能なのか何なのかまるで興奮しない。やはり親子というのはそうなる様に設計されているのだろうか。
「今日も海は綺麗でちゅねー。」
ゆっくり揺さぶられながら、窓の外を眺める。果てしない水平線が目に入る。
「うみだ……」
「あら……」
驚いた様に母親が俺のことを見つめる。どうやら喋ったことに驚いている様だ。おっと、流石に喋るのは早すぎたのか?
「どうした?朱夏?」
ちょうど良く2階から無精髭を生やした、スポーツ選手の様な体格をした男が降りてくる。どうやらこの人が俺の父親らしい。
「この子、生後5ヶ月なのにもう喋ったわ。」
「そうか!初めて喋ったのか!春綺〜、やっぱりお前はすごいなぁ〜。」
蕩けた様な顔で父親は俺の頭を撫でる。初めて言葉を喋ると、親というのはこれほど喜ぶものなのか。それより、今俺は生後5ヶ月らしい。つまり、5ヶ月は記憶がなかった。もしくは生後5ヶ月の赤ん坊に転生したということか。理屈はよくわからないが、これからまた長い人生が始まるわけだ。これは妄想が捗る。とりあえず中学生ぐらいまでは無双できそうだな。これは天才少年として注目を集めてしまうかもしれない。時間は山ほどある。早めに司法試験の勉強でもして弁護士を目指すか。いや、今からなら医者も間に合うかもしれない。
「お父さんどうしたのー?」
2階から今度は5歳ぐらいの少女が降りてくる。この子は、俺のお姉さんというわけか。
「冬霞。春綺が初めて喋ったんだ。」
「ほんとー?すごーい。」
そう言うと、少女は俺に駆け寄り、ほっぺをツンツンと突いてくる。やめろくすぐったい。
「それで、春綺は最初はなんで言ったんだ?」
「海を見て、海って言ったの。ちゃんとわかってるのね。」
まぁな。海ぐらい理解できる。
「それはすごい。」
「私だって海ぐらいわかるもん。」
「そうだな、冬霞もすごいな。」
「えへへ」
久しぶりに見る"家族"の会話。なんでもない会話だが、なんだか微笑ましいな。
「あら、そろそろお昼の時間だわ。」
そう言うと母親は俺を、父親に渡してキッチンへと向かう。
「わーい。お昼だー!」
冬霞は嬉しそうに飛び跳ねると、リモコンを握りテレビをつける。ちょうど昼のニュースの時間らしい。そういえば、俺が死んでからどのぐらい経ったのだろう。ぴったり5ヶ月後なのか。それともしばらく経っているのだろうか。
『10月13日のニュースをお伝えいたします。』
10月13日?俺が死んだのが6月だったから4ヶ月後か?いや、それとも16ヶ月、いや、もっと先か?
『今日は午前中、宮城にて一般参賀が行われ、陛下や皇族の皆様が3回ベランダ立たれました。今日は帝の38歳の誕生日で、陛下は『今後も東桜帝国と帝国臣民の皆様の弥栄を心より祈っている』とお話しになりました。午後には美濃首相らと昼食を共にする「宴会の儀」が行われる予定です。』
宮城……?東桜……?帝国……?いや、いやまさか。これはつまりあれか?ここは日本ではなく、日本とは似て非なる国ってことか?そうするとこの状況は生まれ変わりではなく……
異世界転生ってわけか?
もしかして、こんなに日本に似てるが、魔法とか特殊能力が出てきたりするのか?おいおいおいおい。医者とか弁護士とか目指してる場合じゃねぇ。こいつはワクワクしてきたぜ。
と、思ったのも束の間。この世界はそんな夢の様な世界ではなかった。結論から言えば、この世界に魔法なんてなかった。何故だか使えるゲームの様なステータス画面もないし、俺だけ使える最強の特殊能力もない。至って真っ当に普通の世界。ここはただの現代日本と似て非なる国であった。
ちなみに、俺の転生した家は、扇ヶ谷という海辺の街の郊外に建つ二階建ての住宅だった。白を基調とした外壁で、南向きのリビングにはたっぷりと自然光が差し込む。行ったことはないが、地下室もあるらしく相当広い作りになっている。おまけにバルコニーから見えるのは、青く輝く海と港町の屋根の並び。まるでリゾートの様だ。砂漠と海、本当に絵になるなぁ。この家、東京だったら何千万するんだよ。地方でもそこそこするはずだぜ。
ここ、扇ヶ谷市は都心から離れてはいるがそれなりに発展しており、雰囲気は地方都市に近い。いや、でも、頑張ったな、お父さんよ。この家は、現代サラリーマンだったら理想のマイホームというものに近いのかもしれない。まぁ、親ガチャは当たりの部類かな。そう言えば、海とは逆側に見えるデカい樹木は一体なんなのだろう。やたらと懐かしさのようなものを感じるが、いったいなんなんだろう。
「あれなに?」
「んー?あれは世界樹よー?」
小さな指で指差せば、母さんが答えてくれる。世界樹?なんだそれ。北欧神話かよ。世界樹の根元には宝物が眠ってたりしてな。
さて、最近の俺の趣味といえば、父さんの書斎にある本を読み漁ることだ。書斎には壁一面の本棚に歴史関係の書籍や資料がぎっしり詰め込まれている。父さんが集めた無数の書物が、俺を歴史の渦に引き込もうとしている。これはまさに歴史好きの俺のための部屋……
さて、この世界というか、この国は、ありがたいことに文字も言葉も全て日本語と共通だ。さらに調べていくと、俺のいる国は巨大な島の一部だと言うことがわかった。その島は今は三つの国にわかれており、時期によって戦争を繰り返す三国志状態になっている。
つまり、現代日本人からしてみれば、ここは割と"ハズレ"の転生先なのかもしれない。
俺の住む地域、扇ヶ谷は、資源産出地域で隣国の連合との間で係争地となっているらしい。まるで現実世界のアルザス=ロレーヌという訳だ。正確に言えば国境沿いから、木崎、皆原、扇ヶ谷、石垣と、資源地帯が並んでいるのだが、七ヶ月前の対戦協定の結果、今はここ扇ヶ谷が国境となっている。
俺の家族が何故こんな場所に住んでいるかと言えば、それは父親の橿原秋人が歴史学者をしているからだ。何かの調査の為に俺が生まれてすぐに越してきたようだ。あの体格でド文系なのかとも思ったが、どうやら昔は軍の戦史編纂部長を務めていたらしく、家には彼の著書が山ほどあった。中でも、彼が責任編集長を務めた『全島全史』と言う本は、帝国国内の歴史だけではなく、この島の歴史についてよくまとめられていた。いやぁ、転生しても新たに歴史を学べるなんて、史学科学生垂涎ですよ。
『全島全史』は今から395年前に、とある航海士が巨大な島を発見したところから始まっている。つまり、この家から見える水平線の先には、広い世界が広がっている……はずなのだが、現在はその事は確認できない。『全島全史』に妙な記述があった。
地磁気の発生が悪化。島が孤立状態に。
地磁気?どう言うことだ?理屈はよくわからないが、とにかくこの年を境に元の大陸とは連絡も取れず、また、外洋に調査に行った船は帰って来なくなったらしい。つまり、外の様子はまるでわからない絶海の孤島というわけだ。その後も、何度か外との通信が取れたり取れなかったりする時期がある様だが、今は70年近く音信不通の様だ。これは俺の世界には無かった現象……もっと調べる必要があるな…… これはただの偶然か?それとも、この島は何かから……閉じ込められているのか。歴史の謎というのは、人類をワクワクさせてくれる希望の箱だな。
まぁ、孤島といっても日本よりも何倍も大きな面積がある島なので島というより、小さな大陸というイメージに近いのかもしれないが。一体あの海の向こうには一体何が広がっているのだろう。まぁ、この小さな身体では調べられることには一旦限りがある。ひとまず寝るとしよう。どうにも眠気は赤ん坊と同じリズムでくるようだ。
意識の遠くから子守唄が聞こえる。母さんが気づいて俺のことをベッドへ運んでくれているらしい。この歌、昔、自分のいた世界で聞いた様な歌だな。それは、砂漠の怪獣たちが紡ぐ物語の歌だった。