戒厳司令部
宇佐美は姫川の運転する車の後部座席で難しい顔をしている。
「やはり、帝都警察本部から情報が漏れていた様だ。湊め、ぬかったな。お陰で髙橋源三郎も西条英典も討ち漏らした。」
「しかし、肝心の清白首相の首は取れました。後は残った閣僚をまとめて、議会を解散させてしまえば事は前に進みます。」
「その前に戒厳司令部を立ち上げねばならない。一旦本庁に戻るぞ。」
車が軍務省に着けば、宇佐美は急いで軍務局の執務室に戻る。そこには原大佐が笑顔で待っていた。
「いや、大事を成したなぁ。宇佐美。」
「恐縮です。」
「これからお前はどこまで行っちまうのかねぇ。」
原大佐は立ち上がって帽子を取ると深く被る。
「どちらにお出かけなさるのです。」
「大臣が視察からお戻りだ。状況を伝える様にと呼び出しが掛かった。ちょっくら大臣公邸まで行ってくるよ。」
「では、"帝の指示"には従う様申し伝え下さい。」
「わかったよぉ。」
原大佐は宇佐美をニヤリと一瞥すると執務室を出る。それと入れ替わる様に姫川が名簿を持って帰ってくる。
「さて、戒厳司令にはどなたを据えましょう。」
「手頃な将官がいないな……」
「侍従武官長の佐々木泰年中将はいかがでしょう。陛下からの信任も厚く、帝道派からの人気もあります。」
「佐々木中将はこういう時に矢面に立つタイプじゃない。のらりくらりとかわされる。」
「では喜崎閣下は。」
「首相と戒厳司令の両立は無理だろう。」
「山南大臣は。」
「あれであの人はバランス感覚がある。今、次の軍務大臣を用意するのは戒厳司令を見つけるより面倒だ。」
「では湊中佐は……」
「いきなり階級を二つも上げるのは無理だ。せめて、大佐であってくれたらな。」
二人は頭を悩ませながら候補者の名前に斜線を引いていく。残り数人になった時、宇佐美がボソリと呟く。
「あまり気乗りはしないが、この人に頼むか。」
指を刺した先には"軍令部次長 草葉彰宏少将"の文字。
「確かに、他の候補は居ませんが……」
草葉と言う男はこれと言った活躍をした事はなかった。ただ、帝道派、統治派、前線組、管理組全てに人脈のある男で、その顔の広さから軍令部次長まで上り詰めたと言われる男だった。
「今は飾りでも将官がいる。私が全面的に補佐につけば問題ない。」
その言葉に姫川は大きく頷く。
「軍令部まで、お車を回します。」
「急ぐぞ。」
***
黒い車が軍務大臣公邸に到着すれば、原大佐は急いで執務室まで向かう。そこには青い顔をして汗を流す山南大臣の姿があった。
「原君、一体どうなってるんだ!私が視察に出ている間に!」
「あんたが視察に出ているから今日なんだろ。お陰で軍務省内もすっかり蹶起軍寄りさ。宇佐美も抜け目ないな。」
焦る大臣を他所に、原大佐はすっかり落ち着き払った様子だ。
「閣僚は一体どうなった!?」
「清白さんは撃たれた。おそらく閣僚が再集合した時には下院の解散詔書に花押を押させられるだろうな。」
「私はどうするべきだろう……」
山南大臣は手を振るわせながら汗を拭う。
「花押を押しちまいな。抵抗したところであんたの命が無くなるだけさ。」
「そ、そうか。」
「いいか、宇佐美はあんたをしばらく軍務大臣から変えられない。なんせ元々あんたは消去法で選ばれた大臣だ。他に変わりはいない。」
軍務大臣は老獪な政治家連中との交渉を一手に引き受ける重要ポストだ。政治家達からは疎まれ、要求が通らなければ内部から総叩きに合う。辞職をして次の大臣を出さない事で交渉を進めることも出来るが、辞職した後はしばらく軍の中で冷たい目で見られる事になる。所謂、貧乏くじ状態となっていた。
「あまり、消去法ってを強調しないでくれるか。私だって色々功績を上げてここまで登ってきだんだぞ。」
「あぁ、悪かった。悪かった。とにかく、あんたが今やるべき事は残り閣僚を守る事だ。蹶起軍の言う事に従いながら時間を稼ぐ。」
「時間を稼ぐ?時間を稼いでどうなるんだ。」
「それはこっちでうまいことやっとくから、ほら行くぞ。」
「行くってどこに?」
「議事堂だよ。」
原大佐は車の鍵を回しながら外を指差す。煙の上がる議事堂を見て、山南はゆっくりと頷いた。
***
宇佐美を乗せた車が軍令部へと着いた。この建物の主人である西条総長は、何処かへ雲隠れしており、中にはその動揺が広がっている。そんな軍令部の参謀達を掻き分けて次長の執務室へと向かった。ノックもせずに中に入れば、コーヒーを飲みながら外を眺める草葉少将の姿があった。
「おや、噂の宇佐美中佐じゃないか。随分無礼な登場だね。」
おそらくこの建物の中でこんなに呑気なのは草葉少将しかいないのではないか、と宇佐美は思う。
「草葉少将にお願いがあって上がりました。」
「お願い?お願いって態度じゃないんじゃないか?」
「いいや、"お願い"です。」
宇佐美は腰の軍刀に手を掛ける。
「宇佐美君、何を勘違いしているのかは知らないが、ここは軍令部の官舎であって、僕はそのNo.2だ。礼儀を弁えない人間の"お願い"は聞けないな。」
意外な答えに宇佐美は思わず軍刀から手を離した。すぐに身をくるりと回して扉の外へ出ると、改めてノックを鳴らす。
「入り給え。」
「失礼致します。」
宇佐美は入室すると、帽子を外す。その姿を見て草葉少将は満足そうに笑う。
「宇佐美君。一体何の用かな。」
「草葉閣下に、この度、戒厳司令部の司令に就任して頂きたく、参上仕りました。」
「ほぉ……戒厳司令かぁ。」
草葉少将はしばらく目を瞑り考え込む。
「それで、僕のメリットはなんだ?」
「は?」
「今まで僕は、いろんなところと仲良くやりながら軍令部の次長まで来たんだ。あと総長になるだけで上がりだよ?ここで失敗すれば今までのこと全てが水の泡になる。」
「失敗はありません。すでに帝の親政の体制は整いつつあります。後は、戒厳司令部が抵抗勢力を殲滅すれば、この国はより豊かに発展していくのみです。」
「……ふーん。」
草葉少将は再びコーヒーカップに口をつける。
「……抵抗勢力ってのは誰のことを言っているんだい?」
「もちろん、統治派の面々です。」
「……それだけか?」
「は?」
「私は統治派以外で、どうしても1人、この状況に従うとは思えない人間が思い浮かぶんだがね。」
「……誰です?」
「それが読めない様じゃ、この話には乗れないな。」
草葉少将は微笑むとコーヒーカップをソーサーに戻す。
「まさか……」
「お、気づいたか?」
「野田中将ですか……?」
「なかなかやるじゃないか。」
草葉少将は机の上の小皿に乗っていた小さなチョコレートを一つ投げる。
「しかし、東南司令部は交戦中の戦線を抱えています。いま、野田司令が動けるとは到底……」
「あぁ。僕も到底思えないよ。だが、何かは仕掛けてくるはずだ。まぁ、いい。その筋が読めるのであれば"君は"信頼に値する。その話乗ろうじゃないか。」
「ありがとうございます。」
宇佐美が頭を下げると、草葉少将は人差し指を一本立てる。
「ただし、一つ条件がある。」
「条件?」
「全てが落ち着いたら、僕を東南司令部の司令にしてもらいたい。」
「以外ですね。草葉少将が前線勤務を志望とは。」
「何を言ってるんだ。あのポジションが政治的に一番価値があるんだよ。」
そう言うと、草葉少将は小さなチョコレートを口に含み立ち上がる。
「さて、陣容を決めよう。」
***
山南大臣が国会に着くと、そこには既に帝道派の将校が多く集まっていた。車を降りると1人の将校が声をかけてくる。
「山南大臣。お待ちしておりました。」
「湊君……」
「総理臨時代理がお待ちです。ご案内致します。」
「気張ってこいよ。大臣。」
原大佐は山南大臣の服を整えると敬礼する。
「さぁ、お急ぎを。」
困惑する山南大臣を他所に湊中佐は議事堂の中へ案内していく。しばらく、無言の時間が続く。
「湊君……どうしてこんな蹶起に。」
「……理想の為です。」
「だからってこんなクーデターまでしなくたって……」
「親父には……時間がないんですよ……」
「そんなに喜崎さんが大事か。」
「……えぇ。」
「そうか……。」
「解散詔書にさえ花押をいただければ、他の閣僚方には危害を加えませんので。」
「わかった。」
湊中佐は与党の第一控室まで来ると、扉を開ける。
「よろしくお願い致します。」
深く頭を下げると、扉を閉めた。
「随分と遅かったですな。山南大臣。」
真っ先に声をかけてきたのは角田大臣だ。
「申し訳ない。視察から帰ってきたばかりだったもので。」
「まったく、軍務大臣ともあろうお方が部下の面倒も見れんのか。」
「誠に面目ない!」
山南大臣は軍帽を取って頭を下げる。軍人が政治家に頭を下げる事は極めて稀な事であり、閣僚達もその行動に騒めき出す。
「山南さん……」
「清白首相と豊島蔵相が撃たれたのは私が軍部をセーブできなかったからです。本当に、本当に申し訳ない。」
「いや、山南さんのせいでは……頭を上げてください。」
茂原首相臨時代理が山南大臣の頭を上げさせると、大臣は涙目をしている。
「私に、私にもっと力があれば、彼らを抑えられたんです、私が軍人として力がないばかりに。」
「とにかく、今は現状をどうにかする事だ。こんな解散詔書にサインなんかしたら、一瞬で軍部の独裁政治の完成だぞ。」
角田大臣がドンと机をたたく。
「ですがね、角田さん。我々が花押を押さなければ、ここでみんな撃たれてお終いですよ。我々の命を繋いでくださった清白首相の行動を無駄にするつもりですか。」
「いいか、臨代。この、国会を守れるのは今我々しかいないんだ。俺らがここで踏ん張らんでどうするんだ。」
「踏ん張ったってね、命が無ければ意味がないんですよ。」
「はっ。こんな詔書にハンコつくぐらいなら死んだほうがマシだ。」
「あの!」
山南大臣が大きな声を出して立ち上がれば、全員の注目が集まる。
「どうか、ここは花押を押して頂けないでしょうか。」
「なんだ、やっぱりあんたは蹶起軍の味方か!」
角田大臣が立ち上がり、山南大臣の元に詰め寄る。
「違います!ですが!彼の国を守る為には、茂原先生にも角田先生にも、必ず!生き残って頂かなければ困るのです!」
「なにぃ?」
「必ず、必ず、この状況をよく思わない人間が現れます。」
「それまでに中央の権限を全て奪われちゃ勝ち目なんかないんだぞ。」
「だから、少しづつ、少しづつ時間を稼ぐんです。」
「……しかし、いったい誰が立ち上がるって言うんだ。」
「……私にはわかりません。ですが、私の部下は既に動き始めています。どうか、私の部下達を信じてやって頂きたい!」
「……信じましょうよ。角田さん。」
茂原首相臨時代理の言葉に角田は少し考え込む。
「……あんたが言うんだ。信じましょう。」
「……ありがとうございます!」
「いいか、山南さん。あんたが軍務大臣だから信じるんじゃない。俺はあんたを信じるんだ。この2年。一緒に閣僚やったあんたをな。」
角田は筆を取ると詔書に花押を押す。そうして、閣僚全てが、詔書に花押を押せば山南はそれを持って外に出る。
「解散だ。」
「ありがとうございます。閣下。」
湊は詔書を受け取ると宮城に向かって走っていく。そして、閣僚達は議場へと急いだ。
議場につけば既にほとんどの議員が集まっていた。そのほとんどが抗議の為である。絢爛な議場でかつて聞いたことが無いほどの怒号が次々と上がる。角田が自分の席につくと、隣では原田議員が声をあげていた。
「親父!閣議はどうなったんだ?」
「まぁ、見てろ。」
しばらくすると、官房長官が黒い盆を持って入ってくる。その姿に議場全体がざわめき始める。官房長官が紫の袱紗を事務総長に手渡すと、事務総長は中の書類を確認して、下院議長へと書類を手渡した。
「ただいま、総理大臣より詔書が発せられた旨伝えられましたから、朗読いたします。」
議長が立ち上がるとさらに騒めきが広がる。
「東桜帝国憲法第八条により下院を解散する。正統歴1614年11月28日。内閣総理大臣臨時代理、茂原照之。御名御璽。」
「なにが御名御璽だ!軍部が押させただけだろう!」
原田議員が大きな声で議長に対して野次を飛ばす。
「そんな詔書に何の正当性があるんだ!従えるか!」
「靖。靖!やめろ。」
「親父ぃ!こんなこと許されていいのか?」
「いいか、靖。お前はな、このままいけば大臣の一回や二回やれるだろう。でもな、真に政治家という物はその先を目指さなければならない。お前は幹事長になれる男だ。こんなつまらないところで騒いで、憲兵に命を取られるなんて勿体無い。」
「親父……」
「必ず。必ず再起の時はくる。それまで耐えろ。」
「……わかった。」
2人はその日、大きな声を上げながら憲兵に取り押さえられていく議員を何人も見送った。
***
その日の夜、宇佐美は戒厳司令部にいた。適当な官舎を接収し自室とした部屋。少し趣味には合わないが、いい部屋だなと室内を見て回る。しばらくすると、ノックが聞こえてくる。
「どうぞ。」
入ってきたのは、原大佐であった。相変わらずのニヤニヤとした表情は変わらない。
「俺を呼び出す様になるとは、出世が早いねぇ。宇佐美君は。」
「本来私が軍務局に出向くべきでしたが、なにぶん庶務に追われておりまして。」
「戒厳司令部司令付事務官ですか?お忙しい様で何よりです。」
「それでは、早速本題に。」
「ええ、助かります。」
「この書類にサインを。」
宇佐美が差し出した書類を原大佐は二度見する。
「これに?」
「ええ、もう、前線と揉め事を起こして"上"から突かれる事はありませんから。」
「……いいだろう。サインするだけならお安い御用だ。」
そうして原大佐「橿原春綺帝都召喚ニ関スル議決書」に花押を押した。
「ありがとうございます。それでは、良い夜を。」
「あぁ、おやすみ。」
原大佐は外に取ると、リードモニターで電話をかける。
「大臣。宇佐美の目的が見つかるかもしれないぞ。」
砂漠の深夜は、まだ始まったばかりだった。
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