帝都叛乱
朝靄のかかる早朝。帝都の中心部である菱川町の石畳の上に宇佐美は立っていた。目の前には堀と宮城が見える。鬼門を守る様に置かれた200年前の英雄、楢山政時の銅像がこれからの出来事を予兆する様にそこに立っていた。そこに、車輌や自走砲、そして多くの歩兵を引き連れた軍服姿の湊中佐がやってくる。
「ふっ……似合わないな。」
湊が宇佐美が軍刀を腰に下げた姿を見て口角を上げる。
「久々に引っ張り出してきた恩賜の軍刀だ。笑ってくれるな。」
「そういえば士官学校主席卒か。同期じゃ出世頭か。」
「……いや、うちの代には"鷹"がいるからな。」
「あぁ。」
湊は帝国一の有名人の顔を思い出すと、うんうんと頷く。
「別部隊はどうなっている?」
宇佐美の問いに湊中佐は時計を覗き込む。
「既に帝都警察本部に到着している時間だ。」
「では、宮城は任せた。こちらは永川町の官邸に向かうとする。」
「いいか、あまり時間はないぞ。親父が第一艦隊を抑えられるのも2時間程度が限界だろう。それまでに清白淘汰郎の首を取れ。」
「そちらこそ、帝の御身体と玉璽は必ず抑えるように。」
「わかってる。」
「それから、順次リストにある人物の首を狙っていく。では、後ほど帝都司令部で。」
宇佐美が手を出すと湊中佐は硬くそれを握る。
「しかし、お互い後方の人間が指揮官とは笑えるな。」
「……なに、大した問題じゃないさ。」
***
厳かな会議室に備え付けの電話が、電子音を立てて鳴っている。
「はいこちら首相官邸閣議室。……え?……どう言うことですか?」
電話をとった首相秘書官は、報告を聞いて青い顔をしている。
「どうした、坂水。」
冷や汗を流し始めて、尋常ならざる雰囲気を醸し出す秘書官に清白首相は訝しげな声を上げた。
「……帝都警察本部の警備部から連絡でして……」
「警備部が一体何の用だ。」
「その……本部が軍部の人間に襲われていると……」
「なんだとぉ!?」
坂水の言葉に集まっていた閣僚達が一斉にざわつき始める。
「おい、官邸もまずいんじゃないか……」
「一体誰の命令で……」
「宮城はどうなってる!」
「皆さん。落ち着いて。」
その声に、場がしんと静まり返る。声を発したのは髙橋源三郎内務大臣である。
「おそらく、彼らの狙いは、渡会教育総監、西条軍令部総長、齋藤軍務事務次官、それから、ここに居る豊島大蔵大臣、清白首相、そして私でしょう。間違いなく、直ぐに官邸にも軍隊が来ます。であれば、我々は二手に分かれて逃げましょう。」
「二手?なぜ?」
「トチ狂った軍隊にこの官邸ごと吹き飛ばされてはどうしようもない。閣僚が全員いなくなってしまっては後が大変だ。リスクは分散させて。それに片方の首を差し出せば反乱軍の腹の虫も治るかもしれん。」
髙橋大臣はそう言うと自分で大笑いする。その姿に角田建設大臣がいつもの濁声で物申す。
「あんた、自分の親分の首差し出すってのか?それでも帝国軍の大将か?」
「まぁまぁ。幾ら髙橋大将がもともと歴戦の司令官であるとはいえ、兵が一人もいなくては何も出来ません。私は、髙橋大臣の案に賛成します。」
「じゃぁ、決を取りましょう。」
角田大臣の提案に清白首相は首を振る。
「これは首相としての決定事項です。決は取りません。髙橋大臣は角田大臣達を連れて地下の抜け道から議事堂に向かってください。茂原大臣は坂戸大臣達と一緒に裏門から。」
「清白さんはどうすんだ。」
「ここで時間を稼げるのは私しかいないでしょう。」
首相はそう言って全員を見回す。
「清白さんあんた……」
「角田さん。なにも、死ぬって決まった訳じゃない。交渉です、交渉。」
そう言って清白首相は角田大臣の手を握る。
「……まだ新特急の予算も高速道路の予算も通してないんだ。明日の臨時予算委員会には必ず出席してもらわないと。」
「わかってますよ。茂原さん。私に何かあった時は首相の臨時を頼みます。決起勢力との難しい交渉になると思いますが、その時は気張ってくださいよ。」
「わ、わかりました。」
首相はそのまま全員と握手を交わすと、背筋を伸ばしネクタイを整える。
「坂水。正面玄関に行くぞ。」
「しゅ、首相!」
坂水は慌てて書類をまとめて首相を追いかける。独特の白髪のライオンヘアに追いつけば、息を切らしながら声をかける。
「首相、本気ですか?」
「軍部が私の政策を目の敵にしている事はわかっていた。身から出た錆だ。」
「そんな事は……」
「こうならない為に髙橋大将を内閣に入れたが逆効果だった様だな。」
清白首相は諦めた様に乾いた笑い声を出す。
「髙橋大将はおおらか方ですから、それが帝道派の連中には政権に擦り寄ってるように写ったのでしょう。」
「全く、どうしようもないな。」
官邸の正面玄関の前につけば、外からはざわざわとした軍人達の声が聞こえてくる。
「やはり、こちらに来ていましたか……」
「……なぁ、坂水。一度首相になった人間ってのはな、二つの望みができるんだ。」
「こんな時に何を言ってるんです。」
「まぁ、聞け。一つは1日でも長く首相を務めること。その点、俺の政権は3年2ヶ月。まだまだ道半ばだったな。」
「……まだ終わっちゃいませんよ。」
「……後一つは何だと思う。」
「……私にはとても。」
「歴史に名を残すことだ。」
身構えていれば、官邸正面から数名の軍人が乗り込んでくる。真ん中に立っているのは宇佐美中佐だ。中佐もまさか正面から待ち受けているとは思わなかったようで、少し面食らった顔をしている。
「ごきげんよう清白首相。他の閣僚の方々は何処へ。」
「さぁねぇ。今日の閣議は休みだ。みんな選挙区にでも帰ったんじゃないのか?」
「そんなバカな。明日は臨時国会の初日ですよ。」
「明日私が解散するかもしれないぞ。」
「党の派閥の領袖の了解も無しに、そんなこと出来やしませんよ。」
「流石官僚。よくわかってる。」
宇佐美はその言葉に苦い顔をする。
「もう一度聞きます。閣僚はどこですか。」
「知らんと言っている。」
「貴方に恨みは無いのですが、貴方が首相でいられては困るのです。」
「ほぉ、じゃぁ、首相を変えてお前は何をするんだ。帝の親政か?言っておくが帝は親政には大分否定的なお方だ。巷に広がってる噂とはまるで違うぞ。」
「首相。私は親政などにはまるっきり興味がないのです。」
「何?」
宇佐美の言葉に清白首相は目を細める。
「私はただ。私の言いなりになる駒が欲しいのです。私のいうことを聞いてくれる、自分では政策を作れない、信念と言えば帝への忠誠しかなく、後先の事など何も考えていない、そういう駒が。」
「おいおい。なかなか面白い事言うじゃねぇか。」
「ありがとうございます。ですから、私はこんな時に正面玄関まで出てくる、貴方のような信念の強い首相は邪魔で仕方ないんです。」
「そりゃ、褒めてんのか?」
「えぇ。褒めています。だからこそ、貴方にはここでご退場いただきたい。」
宇佐美中佐は腰から拳銃を引き抜くと正面に構える。
「坂水。嫁と息子の幸太郎を頼む。」
「あっ……」
坂水の言葉を遮る様に銃声が響く。銃弾は首相の腹を貫通し、辺り一面に返り血が飛んでいる。硝煙の匂いと、大量の血の匂いが坂水の頭に異常を知らせていた。
「清白首相!清白首相!」
「はっ……坂水よぉ……これで歴史に名が残るな……」
坂水が首相の体を支えようとした矢先、今度は銃弾が頭を貫く。
「……惜しい人を無くしたな。」
中佐は銃を仕舞うと、ゆっくりと首相の亡骸に対して敬礼をする。
「さて、坂水秘書官。他の閣僚方はどこへ?」
中佐の問いに迫水は手元の時計を確認する。他の閣僚達が逃げてすでに20分以上が経とうとしている。
「裏道から逃げた方と、地下道から逃げた方といらっしゃいます。」
「……やはり、何処かから先に連絡が入っていたか。髙橋内相と豊島蔵相はどちらへ。」
「髙橋大臣は地下道。豊島大臣は裏道へ。」
「姫川。お前は裏道側の指揮を頼む。私は地下道を追う。」
「はっ。」
中佐の命令と共に、麾下の部隊が動き出す。中佐が拳銃の引き金を引いたのは、士官学校以来のことであった。
***
髙橋大臣は地下道を抜けて国会へと出た。国会にはまだ兵士達は到着していない様で閑静な雰囲気に包まれている。だが、確実に異様な雰囲気と外から感じる独特の物々しさを感じずにはいられなかった。
「髙橋さん。これからどうしたもんかね。地下道から追っ手も直ぐに来るだろう。それに、逃げる手段もない。」
角田大臣がハンカチで汗を拭いながら尋ねる。
「タクシーでも捕まえられたら良いんですがね。」
「冗談言ってる場合か。この状況じゃ、ここら辺りじゃ、連中が主要な道に検問張ってるだろう。」
「まぁ、そう簡単には行きますまいな。」
髙橋はおおらかに笑いながら自分の髭を撫でる。その姿に角田大臣は苦笑いを浮かべる他なかった。
「親父。こんなところで何やってんだ!外は大変なことになってるぞ!首相はどうしたんだ?!」
ポマードで髪をピッタリとオールバックにした、スーツ姿の厳つい顔をした小男が角田を見るなり大声を上げる。角田の派閥である金曜会の原田靖下院議員だ。
「首相は男になったよ。」
その言葉を聞いて原田は目を見開く。
「本当か!………じゃぁ、親父が。」
「馬鹿言うな。それに、あのジジィ最後に俺じゃなくて茂原の野郎を首相臨代に指名しやがった。」
「清白の親分は何考えてんだ。」
「さぁ。自分の愛弟子より、兄貴の後継者の方が可愛いんだとよ。」
角田憲政は清白首相の率いる金曜会の事務局長である。しかし、その角田ではなく、別派閥の領袖の茂原照之外務大臣が首相臨時代理の指名されたことに、角田は深い憤りを感じていた。
「まぁまぁ、先のことは後にして、一旦外に出ましょう。」
怒る角田を宥めながら、髙橋は他の閣僚達を連れて国会の外に出る。普段は静かな国会前も今日ばかりは表情が違う。正門の近くまで来た時に、髙橋達の前に一台の大きな軍用車輌が停車する。
「髙橋さん。あんた逃げろ。ここは俺が何とかする。」
角田が胸を張れば、髙橋大臣は優しくその肩に手を置いた。
「敵の狙いは私です。角田さん達は降伏すれば命は取られませんよ。」
「髙橋さん……」
車輌の中から、大柄で顔の四角い男と、スポーツ用のサングラスをかけた迷彩服の男が降りてくる。その二人の顔を見ると、髙橋大臣は口を大きく開けて笑い出す。
「六八!どうしてここに。」
「帝都に出張中で、適当な車輌掻っ払って迎えに来た。どうせここだと思ったぜ。」
「流石だな。」
サングラスの男を髙橋大臣が軽く抱擁する。その様子に他の閣僚達が目を見合わせる。
「あぁ、彼は大戸屋六八少将。第二艦隊時代の私の部下でしてね。今は第二艦隊の副司令をしています。わざわざ、迎えに来てくれた様です。」
「どうも。」
大戸屋は軽く閣僚に敬礼をすれば、髙橋に耳打ちをする。
「既に宮城の帝と玉璽が抑えられた。遠くへ逃げないと不味い。」
「随分と手際がいいな。」
「今回の蹶起の首謀者は軍令部の湊中佐みたいだが、あいつはこんな大それたこと出来るガラじゃない。それに帝道派だけじゃ、こんなに動員も効かない。」
「他に青写真を描いた人間がいると。」
「あぁ。間違いない。帝都の城門の外に「犬鷲」が迎えに来る様に手配してある。とにかく急ぐぞ。」
大戸屋の言葉に髙橋大臣は思わず笑みを溢す。
「わざわざ「犬鷲」を引っ張ってこなくったって。」
「あれは、いつまで経ったってあんたの船だよ。」
「犬鷲」は髙橋が10年以上前に艦長を務めた船であり、その後大戸屋が艦長を務めた船でもある。
「で、ちゃんと馬場司令には許可を取ったんだろうね。」
「まさか。あの"おしゃべりジジィ"なら司令部で日和見決め込んでるだろうよ。」
「あはは。あとで絞られるぞ。」
「後があれば良いんだがな。」
髙橋大臣が車輌に足をかけると、遠くに白い軍服を来た軍人を先頭にした集団が見える。大戸屋少将は首から掛けた双眼鏡を覗くと見知った顔が見えた。
「弥一。RPG構えろ。」
「はっ。」
大柄な男、冨田弥一中尉は後部座席からロケットランチャーを取り出すと、指示通り軍人達に向かって構える。
「おい!宇佐美!お前いつから帝道派になったんだ!」
大戸屋が声を上げると白い影がピタリと止まる。
「大戸屋少将。どうしてこちらに。」
「細けぇ事は良いじゃねぇか。教えろよ。」
「先週ですかね。」
「ノンポリのお前が喜崎大将にお熱とは意外だな。」
「熱血な人柄に惚れましてね。」
「嘘つくなよ。テメェの目的は何だ。」
「貴方には教えられませんね。」
「……そうか。」
大戸屋が天を見上げると、髙橋大臣が耳打ちをする。
「どうやら彼が黒幕の様だね。」
「こいつは厄介だ。目的が分からねぇ。」
「困ったねぇ。」
「仕方ない。ひとまず逃げるか。弥一。その辺の車にでも当てとけ。」
「はっ。」
冨田中尉は、照準器に目を当てると、直ぐに宇佐美達の側の高級車にロケットランチャーを打ち込んだ。弾が発射されたのを見て、蹶起軍達は一斉に身を伏せる。直後、大きな音を立てて車は爆発し、周りの何台かも巻き込み大炎上している。
「あはっー。久々に見るとなかなか壮観だな。弥一。」
「はっ。」
「ほら、行くぞ親父。」
「馬鹿者。今は閣下と呼べ。」
髙橋大臣達は4WDの車に乗り込むと、一路、城門の外を目指す。
***




