望まぬ来訪者
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木曜日の午前中。能見大尉はプラットホームで電車の到着を待っていた。時計を確認すると、時間通りに列車がやってくる。停車した車両からは何人もの軍人が降りてくる。その中の目立つ白い軍服を着た軍人を2人見つけると大尉は急いで駆け寄る。
「お待ちしておりました。宇佐美中佐。」
「わざわざ出迎え頂けるとはありがたい。能見大尉。」
名前を呼ばれれば、能見大尉の笑顔が少し崩れる。どうやら徹底的に下調べをして乗り込んできた様だ。
「こちらは、私の補佐として連れて来た軍務課長の姫川大尉だ。」
「よろしくお願いします。」
姫川大尉は姿勢良く敬礼をする。中性的な見た目をしており、童顔で年齢を一切感じさせない。本当は女だと言われたら信じてしまうほどだ。
「野田司令がお待ちです。ご案内いたします。」
司令室まで向かう間、長い沈黙が流れ、廊下に足音だけが響く。その沈黙に耐えかねた頃、ようやく司令室の扉の前に辿り着く。
「失礼いたします。宇佐美中佐と姫川大尉をお連れしました。」
「……入れ。」
部屋の中では野田中将が葉巻を吸いながら、新聞を広げている。
「さて、部下まで引き連れてなんのご用かな?宇佐美次長。」
「ご冗談を。例の威力偵察に関する視察ですよ。こちらの状況が分からなければ政府としても連合との協議が進められません。」
「報告書に書いたとおりだ。」
「足りません。特にMID-01に関する報告は1行もなかった。」
宇佐美中佐は姫川大尉が出した書類を受け取ると野田中将に向かって叩きつける。
「必要ないから書かなかったまでだ。あの件については、軍務省の所管外という認識だ。」
「予算編成に関しては山南大臣の許可を得てのこと。その運用に関する事はまさに政策。軍務局を通さずに進めるなど片腹痛いですね。」
「あれは帝都航空工廠が開発した実験機だ。まだ政策のテーブルにすら載ってない。使える使えないの判断は現場でしておくから、軍務局の皆様は涼しい帝都でどうぞごゆっくり書類を待っててくださいな。」
野田中将の余裕の表情に宇佐美中佐の眉が吊り上がる。
「……では、橿原春綺准尉に尋問を。」
「尋問?なんの権限で?」
中将は揶揄う様に煙を吹かす。
「……尋問ではなく、個人的にお話を聞きたい。これなら問題ないでしょう。」
「能見大尉。橿原は今どこにいるんだ?」
「……えっと、その、橿原准尉は休暇を取っておりまし、司令部には……」
「もういいです。襲撃からの復旧に関する視察に移ります。」
「そうか。能見、案内よろしく頼む。」
宇佐美中佐は野田中将を軽く睨みつけると、足早に司令室を去った。
その後、能見大尉の案内で一行は、襲撃によって損傷を受けた各所を巡りながら視察を進めた。視察は終盤に差し掛かり、一行は「鶺鴒」の停泊するポートの近くまで足を運ぶ。巨大な地磁気艦を前に、宇佐美中佐はどこか恨めしそうな視線を投げかけていた。
「宇佐美。久しぶりだな。」
「大南……大佐。お久しぶりです。」
「よせ。同期だろ。階級は一つしか変わらないし、今やお前は軍務局次長だ。」
「あ、あぁ。」
大南の言葉に宇佐美中佐はようやく柔らかい表情になる。
「まったく、司令の仕事ってのは慣れないな。書類仕事ばかりで目が回る。改めてお前の凄さがわかった。」
「よせ、帝国一の有名人に言われても嫌味にしか聞こえない。」
「帝国一の有名人ねぇ。」
「そうだ、この間甥っ子にサイン頼まれたんだ。一枚頼むよ。」
「サイン?軍人のサインなんかもらって何が嬉しいんだ。」
「子供はなんでも嬉しいもんさ。紙は……」
「こちらに。」
姫川大尉が鞄の中から色紙を一枚とマジックを差し出す。
「随分用意がいいな。」
「中佐が以前おっしゃられておりましたので。」
「気の利く部下だな。現場にはいないタイプだ。」
大南が一筆認めると、姫川はそれを両手で受け取る。
「姫川課長は軍大学を主席で卒業している。軍務省のエース候補さ。」
「そりゃ、すごい。末は大臣か。」
「まぁ、僕の次頃にはな。」
「はは、頼むぞ。出世頭。」
その言葉に中佐は少しだけ口元を歪ませる。
「……それで、一つ聞きたい事があるんだ。」
「なんだ?」
「橿原春綺准尉について。」
「あぁ。橿原弟か。まぁ、面白い男だな。」
「面白い?」
「なかなか、指揮官に向いている男だ。」
大南の性格を知る宇佐美は、この評価朴訥な評価が、相当高いという事はすぐにわかった。
「そうか。聞けてよかった。」
「また、近いうちに帝都で会おう。」
差し伸べられた手を握り返し、宇佐美中佐はその場を離れる。その背中には、穏やかさの消えた、張り詰めた気配が滲んでいた。
「あの、もう視察は……」
「あぁ。ありがとう。有意義な時間だった。司令によろしく言っておいてくれ。」
思ってもいないだろ言葉に、能見大尉も薄っぺらい笑顔で返す。
「では、駅までお送りします。」
「結構。案内ありがとう。またいずれ機会があればよろしく頼む。」
「こちらこそ。いつでもお待ちしております。」
能見大尉は正直二度と来てほしくないと思いながらも敬礼して2人を見送った。
「帝国軍記録の六学年飛び級で士官学校に入学。任官前の最終成績は次席。極めて優秀な人材です。」
「それに加えて“指揮官向き”となると、こちらでコントロールするには、少々難儀しそうだな。他の情報は?」
「戦災孤児のようです。実父は橿原秋人。元軍人で、後に歴史学者となっています。」
「ほう……」
「問題は、母親のほうです。こちらをご覧ください。」
姫川が一枚の書類を差し出すと、宇佐美は目を細めた後、一転して瞠目する。
「橿原秋人とは、ほぼ駆け落ちの状態で婚姻した様です。橿原秋人はおそらく何かを知っていたはず。」
「確かに。」
「彼らの住んでいた家の跡地が扇ヶ谷にあります。そこを少し調べてみましょうか?」
「では、早速行くとするか。」
中佐を乗せたゆっくりと電車が動き出す。
***
懐かしいこの街を見るのは、次はしばらく先になるのかもしれないと思い、扇ヶ谷市内の景色を車窓から記憶に収める。しばらくすると、向かいの軍用のホームから白い軍服を着た軍人が2人降りてくる。珍しいな。軍務省の人間か?そういえば、俺は今日、ああいうのに出くわさない為にわざわざこんな所まで来たんだった。見つからない様にじっとしていよう。くわばらくわばら。
***
扇ヶ谷駅に着くと、中佐達は地図を頼りに橿原家の跡地へと向かった。何かがあるという保証はなかったが、手掛かりも他にない。現地に着くと、そこは静かな海の見える公園になっていた。どうやら、過去の襲撃によって、都市区画ごと変わってしまっている様だ。
「やはり何もないな。」
「連合の爆撃で更地になった様ですからね。近所に住んでいた人などから話でも聞こえれば良いのですが。」
「そう、うまく行くかね。」
宇佐美中佐が考え事をしながら歩いていると、その場でピタリと歩を止める。
「中佐?」
中佐は口元に人差し指を立てると、靴の踵で地面をコンコンと叩く。その音を聞いた大尉は、何かに気付き中佐の元へ走る。
「聞こえたか。」
「えぇ。微かですが下から反響があります。」
「地図を。」
中佐は地図を広げると時計を見る。磁気測位による座標データを確認すると満足そうに頷いた。
「ちょうどここが、橿原家のあった場所だ。」
「大当たりでしたね。」
「すぐに本庁にいる人間に書類を作らせろ。扇ヶ谷基地の神田司令に会うぞ。」
「神田司令に?」
「俺たち2人でここを掘るつもりか?」
姫川大尉は自分たちの白い軍服を見てなるほどと頷く。
「さて、宝探しと行こうか。」
2人は直ぐにタクシーで扇ヶ谷基地に向かう。降りれば、直ぐに神田司令が出迎えに立っていた。
「いやぁ、軍務省からわざわざ軍務局次長と軍務課長がいらっしゃるとは。どの様なご用件で。」
「近辺で少し調査任務がありまして。人員をお借りしたい。」
「いやぁ、幾らでもお申し付けください。直ぐに用意いたしますので。」
「そうですか。では、1個小隊ほど。」
「あ、えっと、それだけで?」
「重機と、それを扱える人数がいれば充分です。」
「あぁ、そうですか。」
珍しくお鉢が回って来たことに気合が入っていたのか神田司令は少し肩を落とす。
「手が空いている人員がいなければ士官学校の学生でも構いませんよ。いや、それがいい。適当に見繕ってください。」
「わかりました。」
「山南大臣には神田司令に大変良くしていただいたと申し添えておきますので。」
その言葉を聞くと神田司令は再び笑顔を取り戻し、中佐の手を握る。
「くれぐれも、よろしくお伝えください。春の予算委員会たのしみにしてますよ。」
なるほど、目的はそれかと中佐と大尉は目を合わせる。今回の件が多少の予算で済むなら安いものだ。
学生を連れて現場に戻ると中佐は腕組みをしながら眉間に皺を寄せていた。
「で、建設省はなんと?」
「いきなり言われてもの一点張りで。」
「課長クラスでは話にならん。もっと上のものを出させろ。」
「はっ。」
大尉は電話を掛け直すと、しばらく話し込む。
「お待たせしました。角田大臣です。」
「話が早くて助かる。」
リードモニターを受け取れば独特の濁声が聞こえてくる。
「いやぁ。君もなかなか辣腕だな。私を引っ張って来るなんて。」
「恐れ入ります。扇ヶ谷の汀の杜公園についてご相談がありまして。」
「聞いてるよ。掘りたいんだって?」
「えぇ。偶々、不発弾らしきものが確認されましてね。早急に処置せねばと思いまして。」
「宇佐美軍務局次長ともあろうお方が、社会貢献かね。」
こちらの腹の中を探られるのは仕方ないと思いつつ、宇佐美中佐は朗らかな声で続ける。
「軍人としての責務ですよ。」
「……"提案"次第だな。」
「では、閣下の切望しておられた、帝都鉄道の北方線の新特急の予算でいかがですか?」
「地雷撤去にしては随分いい"提案"じゃないか。」
「閣下とは今後とも長いお付き合いを期待しておりますので。」
「はっ……では、現状復帰を条件に許可を出そう。早坂これ全部ハンコ押させてこい。特急だ。」
鼻で笑う角田大臣、その腹の底はまだまだ読めそうにない。
「では、ごきげんよう。」
宇佐美は電話を切ると、直ぐに大尉が学生に指示を出す。
「いいか、お前達。ここで見たことは全て他言無用だ。もし、どこかに漏れた場合は全員任官取り消しだ。わかったか?」
姫川の言葉に学生達は目を見合わせるも直ぐに頷きあう。
「よろしい。では、ここを掘ってもらおう。」
「不肖金澤!掘らせて頂きます!」
「……うるさい。」
大尉はガタイのいい学生を虫を見るような目で見つめている。重機がしばらく地面を掘り進めると、カツンという音がする。
「止めろ。」
「はっ!」
「この周りをスコップで掘ってくれ。」
「はっ!」
号令を掛ければ、学生達が勢いよく掘り起こしていく。10分も経たない内に、鉄でできた扉が顔を出した。
「姫川。」
大尉は呼ばれると直ぐに財布を出す。
「ご苦労だった。しばらく休憩だ。これで美味しいものでも食べて来なさい。」
そう言うと大尉は少し厚めの札の束を金澤に渡す。
「えっ……こんなに?」
「あぁ、2時間後から埋め立ての作業を行う。それまでそれで好きに過ごしなさい。」
金澤は思わず生唾を飲み込む。どうやら意図は伝わったようだ。
「ありがとうございます!」
学生は大はしゃぎで市街へと消えて行く。
「さて、何が出て来るかね。」
大尉が扉を開けると、直ぐに階段があった。どうやら地下室のようだ。懐中電灯をつけて下へと下がって行く。中には古い本棚がありそこに何冊もの本が並んでいた。適当に一冊を手に取って、中身を見る。
「……これはすごい。」
「中佐……?」
中佐は目を輝かせながらページを捲っていく。その瞳はまるで少年のようだ。
「姫川。ここを埋め直したら、急いで帝都に戻るぞ。」
「はっ。」
「これから忙しくなる。」
一冊を姫川に預けた宇佐美は、無言のまま次の本へと手を伸ばした。その背中からは、もはや軍人としての気配は消えていた。二時間後、十四冊の本を選び終えると、彼は何も語らず学生たちに扉の封印を命じた。