贋作『扇の的』
その後、俺が任官されてから初めての休暇が来た。俺は申請を出し、司令部の外への外出許可を得て駅へと向かっていた。司令部直結の東南司令部前駅から数駅、官営帝都鉄道東南線に乗り扇ヶ谷駅を目指す。
『まもなく、扇ヶ谷。扇ヶ谷です。』
アナウンスの後、ゆっくりと電車が駅に停車する。改札を出れば、扇ヶ谷の市内はあの日の土曜日の昼下がりのままだった。市街の花屋で花を買った後、閑静な郊外に出れば、そこには軍の共同墓地があった。比較的年季の入った石碑の中に、目立つ新しい墓石が二つ。両方に花を手向けて、手を合わせる。
“春日井将伍"
そう書かれた石碑の前で、俺は少し傷の入った扇をひらく。思い出されるのは懐かしき日の記憶であった。
***
さてもさても、下岐国扇ヶ谷に侍りし、良家の公達
……って違うか。
これは、俺がまだ幼年学校に入学して間もない頃。将伍と出会ったばかりの頃の話だ。入学して直ぐの頃、俺は周りと6学年も違うという事もあってか、若干……いや、相当浮いていた。逆に精神年齢で言えばこちらの方が余程上だった事もあり、仕方のない事ではあった。帝国の幼年学校の学生と言えば良家の出身のものも多く、鳴海中佐が後ろ盾についているとはいえ、実質的には孤児同然であった俺たちへの風当たりは、相当強いものだった。
「おい、橿原弟。今日も姉ちゃんと仲良しこよしか。」
声を掛けて来たのは平田。この頃は絵に描いたようなクソガキだったな。
「おい、クソガキ。文句あんならやるか?」
「お前みたいなチビガキが、俺に勝てると思ってるのか?な?大。」
「う、うん。」
この大って言うのは、金澤のことだ。昔は身長も今ほど高くなく、平田の後をいつも付いて行っていたな。
「だいたい、何でこんなクソガキと一緒に俺たちは勉強しなくちゃいけないんだ。託児所じゃないんだぞ。」
「盤上艦隊戦で俺に勝ったことも無いくせに、偉そうな口きくじゃ無いか平田君よぉ。」
「おい、朝から何やってるんだ。総介も子供を揶揄って恥ずかしく無いのか。」
遅れて寮からやって来た将伍が止めに入る。将伍君よ、その宥め方も違うんじゃ無いか?
「けっ。将伍も何でこんな奴の肩持つんだよ。」
「春綺は優秀だ。俺たちと違って6年も先の事を勉強してるんだ。体が小さくて少しハンデがあるかもしれないが、それを苦にせず日々努力してる。」
「お前なぁ、こんなガキと一緒にされて悔しく無いのか?」
「それは、春綺の努力の結果だ。俺たちもより一層努力しないといけないな。」
「けっ。行こうぜ。大。」
「あ、待ってよ総ちゃーん!」
つまんねーのと言って小石を蹴りながら、平田が去って行く。
「ありがとう。春日井。」
「当然の事をしたまでさ。」
あぁ。何て真っ直ぐな少年だろう。そう思った時、この少年が帝国軍幼年学校の学生であると言う事実に少し胸が痛んだ。
昼休みになると、俺はいつも購買で適当なおにぎりや弁当を買って、校庭の隅の池の近くで食事をとっていた。周りとは話は合わないし、冬霞と居ても囃し立てられるだけだしな。図書館で借りた適当な超伝導に関する本を読みながら、今日の日替わり弁当を口にする。
「こんな所でコソ勉か。」
「春日井。」
「何読んでるんだ……基礎超伝導理論応用?基礎なのか応用なのかよくわからない本だな。」
「学術書なんてだいたいそんなもんさ。どうしてこんなところまで?」
「いや。春綺はいつも1人で何してるのかなって。クラス委員として気になってね。」
なるほど。おせっかい学級委員長って訳だ。
「別に、何をしてるって訳でもなく、昼ごはん食ってるだけさ。」
「こんな所で?」
「案外いい所だぞ、小鳥の囀りは聞こえるし、池には鯉が泳いでる。」
扇ヶ谷から北は砂漠地帯の中でも緩やかな気候で扇ヶ谷近辺にもそこそこ緑地化された土地は存在する。そんな砂漠の中に作られたこの池の周りはなかなかの癒しスポットだ。
「そう言えばこの池の噂聞いたことがあるか?」
「噂?」
「実は底なし沼で河童が住んでるらしいぞ。」
「何だそれ。今時そんな話小学生でも騙されないぞ。」
「だよな。でも、藻が張ってて深さがわからないんだよなぁ。この池。」
「せいぜい深くたって2mぐらいだろ。」
「なら調査してみるか?あの船に乗って。」
将伍は池の近くに放置された、管理用の薄汚いプラスチック製のボートを指差す。
「嫌なこった。そんなことして、罰則喰らう以外の末路が見えないな。」
「はは、釣れないな。」
おそらく将伍だって、本当に池の深さが気になっていた訳ではなく、ただ話のきっかけが欲しかっただけなのだろう。はぐれ物の俺とコミュニケーションを取る為に。ほんと、不器用な奴。
「ほら、さっさとしないと、次の授業に遅れるぞ。」
そんな将伍をよそに、俺は立ち上がって校舎に向かって走り出す。
「あ、ちょっ。」
「ほら、急がないと罰走だぞ。」
思えばこれが将伍とちゃんと話した最初の出来事だったのかもしれない。
それから時が経って放課後。校舎の外で冬霞を待つ。しかし、10分、20分と待っても冬霞はやってこない。どうしたんだと思っていると将伍がやってくる。
「あれ、春綺。どうしたんだ、こんな所で。」
「いや、冬霞と待ち合わせをしていたんだけど全然こなくて。」
「冬霞?冬霞ならさっき総介と一緒にいる所を見ただけど。」
「平田……?なんで?」
「さぁ……」
2人して首を捻っていると、俺たちの前に金澤が現れる。
「お、お前の姉の!と、冬霞は預かった!か、か、か、返して欲しければ!底なし沼まで来い!」
それだけ叫ぶと金澤はくるりと回って去って行ってしまう。今の出来事に将伍と顔を見合わせる。ありゃ、平田に言わされてるな。今時果たし状なんて、古風なことしてくれるじゃないの。てか、今考えれば、平田は好きな女の子についついイタズラしちゃうタイプの男の子だったんだな。
「と、言う訳だ。ちょっと行ってくるよ。」
「……俺も行くよ。」
「え……?」
「俺も行く。」
この時、将伍が行くと言った理由は、正義感故なのか、それとも冬霞への恋心だったのかはわからないが、その時の将伍の顔は今でもよく覚えている。
池の中央に浮かぶ、古びたプラボート。風に揺れながら、静かに漂うその舟には、平田と冬霞の姿があった。舟の中央には一本の棒が突き立ち、その先にはまるで儀式のように、一振りの扇が立てられている。おいおいこれって……
「おい橿原弟!お前の姉貴は預かった。返してほしければ、そこの弓を使ってこの扇に当ててみろ!外した時は、冬霞はこの底なし沼の河童の餌食だ!」
わぁ、居たよ。ここに。小学生でも信じない嘘信じてる奴が。
「春綺!助けて!河童は……河童は……」
あぁ、もう1人居たわ。しかし河童は居ないとはいえ、かわいい姉をあの冷たい池に放り込ませる事は許容できないなぁ。
「あの……これ。」
金澤が恐る恐る長弓と、先に鏃のついた矢を差し出す。
えっ……思ったより弓デカいな……ピンと張り詰められた弦を何とか引こうと試みる。
「あれっ……えっ………」
やはり俺の体では引けない……こいつ、最初から引けない事を前提で弓を用意しやがったな。矢にも鏃がついたままだし。
「どうした!引けもしないか!橿原弟!」
「クソ……」
「貸してみろ。」
そう言って、将伍は俺から弓と矢を取り上げた。将伍は弓を軽く触り引ける事を確かめると、矢を弦に掛けた。
「お、おい。」
「大丈夫だ。俺がやる。」
「バカ言え、鏃が付いてるんだぞ、外したらどうする。」
「大丈夫だ。」
将伍は微笑むと弓を構えた。
「ちょ!待て!おい!将伍?!」
船の上の平田が鏃の付いた矢を見て慌て出す。
「おい、総介、あんまり暴れるな。動くと当たるぞ。」
その言葉に、平田がピタリと動かなくなる。おいおい、こっから40m以上距離があるんだぞ。本気で当てるつもりか?風も強くて船も揺れてるんだぞ。将伍は目を瞑ると一度弓を下す。
「南無八幡大菩薩、そして、石垣の国、山田に安置され奉る天照大御神を始めとし、東桜三十余州の神々に敬って申す。殊更、上岐国の猿島の湯泉大明神は弓矢に妙のある御神と承る。何卒あれなる扇を射落させ給へ。射る事能わざれば矢を放たん。その内に天空の彼方まで沈めたまい、空神の餌食となさしめ給へ。」
将伍が祝詞をあげれば、ピタリと風が止んだ。この国には八幡大菩薩も天照大御神もいるのかよ。
将伍が矢を放つと、真っ直ぐと的に向かって飛んでゆく。さぁ、この矢はどうなるどうなるとあたり人間たちは目が離せない!矢は当たるのか!当たらないのか!?
って……まぁ、当たるよね。この流れなら。
矢が当たった扇はひらひらと船の床へと落ちて行く。恐怖のせいか、平田はぺたりとその場に腰を落とす。冬霞はやったやったと両手を挙げている。
「総介もこれでちょっとは反省するかな。」
「あはは、いい薬になったんじゃないか。」
「あぁ。当たってよかったよ。」
「ちちすわい、ちちすわいってな。」
「え……?」
「お前にはまだ早かったわ。」
冬霞は、気の抜けた平田からオールを奪い返したようで、船を陸まで漕いで降りてくると、扇を持ってこちらに駆け寄ってくる。
「はいこれ。将伍が持ってなよ。」
「あ、あぁ。ありがと。」
「あぁ、何だか緊張して喉乾いちゃった。飲み物買ってくるから、ちょっとそこで待ってて。」
「おう。」
冬霞は風のようにドタバタと去って行く。あいつも、両親が死んでから半年以上経って、随分元気になってきたな。
「……なぁ、将伍。」
「ん?どうした?」
「その扇くれよ。」
「え……別にいいけど、どうして?」
「思い出さ。」
「……なら、大事に持ってろよ。」
将伍は俺に扇子を手渡すと頭を撫でる。
「あぁ。帝国軍人は約束は守るものさ。」
***
懐かしくも、美しき日々。今はそれが、全て思い出。砂の上に浮かぶ春の夜の夢の様だ。
「将伍よぉ。お前はそう言う英雄だったろうに。」
あの時から、将伍は俺の英雄だった。人を惹きつける魅力があった。それは決して、誰かを助ける為に命を捨てたからではない。ただ、俺の姉が水浸しになる事を防いだからだ。そんな君を英雄にしてしまった事を俺は背負って生きていかなければならない。
人生は重き荷を背負って、遠き道を行くが如く。
ってねぇ。あれ、これ誰の言葉だっけ。とにかく、贋作『扇の的』これにて、読み終わりでございます。
青春立志編(完)