第十八機動中隊
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果てしなく続く様に見える荒野を二隻の艦は巨体を地面から数メートル浮かせて走っている。
「間も無く扇ヶ谷基地に到着します。」
腰に軍刀を下げた男に、操舵手の茨木中尉がが声をかける。
「ほぼ、時間通りだな。」
この二隻の艦を擁する第18機動中隊の司令、大南智大佐は腕を組んだまま時計を見て応える。
「しかし、東南司令部までもうすぐだと言うのになんで扇ケ谷基地なんかに寄るんですか?」
茨木は不思議そうに尋ねる。帝都からの長い航路を進んできたが、扇ヶ谷と皆原にある東南司令部は目と鼻の先。合理的に考えれば止まる意味はない。
「野田司令の提案で新設された、この第18機動中隊は、政府からも軍務省からも大きな期待を寄せられている。今は平時で、自己紹介がてらに戦場で大暴れという訳には行かない。各所に挨拶回りをして、周りの信頼を得るのも大事な任務のひとつだ。と、野田司令から厳命を受けている。」
「なるほどぉ。」
東南司令部の野田司令は、帝国軍人としては珍しく、細かいとことろに気の利く人間だ。茨木も然もありなんと言った様に首を縦に振る。
「少し艦橋から離れる。艦長、指揮を頼む。」
「はっ。」
顎髭を生やした厳つい中年の艦長が、綺麗な姿勢で敬礼をすると、大南は仏頂面で艦橋を出て行った。もっとも常に仏頂面ではあるのだが、今日は輪を掛けて機嫌が悪そうだった。怒りの籠ったような足音をカツカツと鳴らしながら第一倉庫へと向かう。自分の苛立ちの主因を確認する為である。
「藤間。例の物に問題はないな。」
倉庫に入るなり大南は整備員に声をかける。声をかけられた男は帽子をとって敬礼をすると、チェックをしていた1mほどの高さの"箱"に目を移して答えた。
「はっ。あれなら何も問題ありません。積み込みをしてから特に変わりないです。大佐も心配性ですね。」
「軍属の人間の性かな。」
大南は眉を釣ったまま、不器用そうに笑う。どうにも眉間のシワは、33歳にして取れなくなっているようだった。
「一体何が入ってるんです?」
藤間伍長は脱色した金髪の上に帽子を乗せながら尋ねる。
「機密情報だ。まぁ、俺も詳しいことはまだ知らんのだがな。」
「なんですかそれ。」
「技術は日々進歩していると言うことだ。」
「は、はぁ。」
藤間は不思議そうな顔をする。大南自身もはっきり言って、この"箱"が何故自分に任されたのかと疑問に思うところではあった。
「もう直ぐ経由地に着く。準備急げよ。」
「はっ。」
再び敬礼する藤間を尻目に大南は足早に司令室へと向かった。普段上着を着ないで開襟シャツ姿でで指揮を取っている大南も、補給地である基地の司令に挨拶をするのにそのまま行く訳にはいかない。仕方ないとばかりに上着のボタンを留めていく。詰襟はどうにも息苦しく感じて着る気になれないらしい。シワのないように制服を伸ばし、青みがかった髪を軽く整えていれば、司令室の電話が鳴る。
『司令。帝都航空工廠の大江戸技術大尉より通信です。』
「解った。繋げてくれ。」
しばらく保留音が鳴れば、陽気な声が聞こえてくる。
『やぁ、司令殿。今は、扇ヶ谷基地への寄港へ向けて準備中と言ったところか?』
「解っているなら今掛けてくるな。何の用だ?」
『例の物品に変化はないか?』
階級が三つも違うのに、大江戸大尉はフランクに話しかけてくる。大尉は満山計機から帝都航空工廠へ出向中で、大南とは旧知の中だった。ほぼほぼ彼のワンオフ機となっているMAD-06[S]の基本設計をしたのも大江戸たいいである。出向してきた当初は大南も彼の口調を改めるように言ってきたのだが、現在では諦めた様だ。
「特に問題はない。逐一俺が確認している。今は『鶺鴒』の倉庫の中で厳重に保管してある。」
『そうかぁ。慎重にあつかえよぉ。あれが完成したのは奇跡だ。あのパーツが、見つからなかったら、完成しなかった。』
「パーツ?」
『なんだ、まだ渡した資料に目を通してないのか?』
「司令として初めて作戦行動をしているんだ。あまり時間がなくてな。この後も神田司令への挨拶の準備でてんやわんやだ。」
大南の言葉に電話口でくすくす笑い始める。
『泣き言いうなよぉ、大佐殿。あれ、司令殿の方がよかったか?』
「……とにかく、作戦に問題はない。」
『問題があったら困るから、わざわざお前にその"箱"を任せたんじゃないかぁ。そうじゃなかったら、わざわざ帝都から戦艦に乗せて運ばせたりしないさ。とにかく、精密機械だ。傷一つつけるなよぉ。』
「……了解した。」
『あと、渡した資料は東南司令部に着くまでに読んでおけよ。』
「了解……」
『あとは最後の調整だけなんだ。"箱"の所有者として、よろしく頼むぞぉ。』
「あぁ。」
大南は諦めたように短く返事をし、受話器を置いた。帝都を発つ際、大江戸から託されたのは、ひとつの“箱”。それを東南司令部まで無事に運ぶことが、いまの彼に課された第一の任務である。聞けば人型の兵器だというが、果たしてそんなものがどこまで通用するのか。こんな平時に新兵器など、軍令部や軍務省の上役は何を考えているのかと、思わず訝しみたくなる。
届いた設計資料にはまだ目を通せていない。慣れない司令職に就いたばかりで、机の上には報告書が山積みだ。大南はポケットから、カード型の“鍵”を取り出す。一瞥しただけでそれを仕舞うと、艦橋へは戻らず、静かに艦内の格納庫へと歩を進めた。
「おや司令。こんな所でサボりですか?」
大南の姿を見つけた40代ぐらいの作業着姿の男がニヤニヤと笑っている。
「コイツにこんなに乗ってないのも初めてだからな。」
大南は親指でMAD-06[S]を指差した。この機体は、通常のMAD-06よりも加速性能が高い。それは様々な機体をオミットした結果であり、所謂ピーキーな機体へと仕上がっている。本人は気に入っているが他に乗りたがる人間がいないのもまた事実である。
「誰も乗らないからってわざわざ持ってくることもないのに。司令自らコイツに乗って戦場へ出ることになったら、もうウチの艦隊はおしまいですよ。」
作業着の男は呆れた様に、鷹のマーキングが施してある機体を見上げる。
「そう言うな。佐倉中尉。コイツの一緒にわざわざ君を第四艦隊から引っ張ってきたんだ。」
「そりゃ嬉しいんですけどね。だからって、技士長にしなくたっていいじゃないですか。」
「俺にも、慣れない仕事に悪戦苦闘する仲間が居ると思ってな。」
そう言うと大南ニヤリと笑う。
「全く……」
佐倉中尉が何かを言いかけるが、ハンガーの受話器が鳴る。
『こちら艦橋。そこに司令はいますか?』
「えぇ。いますが。」
『あ、やっぱりそこにいた。ちょっと変わってもらえます?』
「あ、はい。大佐。副長からです。」
先程まで穏やかだった大南の表情が再び曇る。
「わかった……もしもし大南だ。」
『いやー、困りますよ。艦橋に戻ってきてもらわないと。いやねぇ、俺はいいんですけどね。石動艦長がねぇ。』
あまり締まりのない声が大南に語りかける。
「解った。すぐに戻る。」
『頼みますよー。司令殿。後10分で扇ヶ谷基地に到着するんで、その後の指示をお願いします。』
そう言うと、向こうのほうから通信が切れる。
「さっさと戻ったほうがいいですよ。大佐。あまり君島副長困らせちゃ可哀想ですよ。」
「その様だ。」
大南が艦橋に戻ると、すぐに石動艦長が姿勢を正して迎える。
「司令、指示を。」
「寄港後、俺はすぐに神田司令への挨拶に向かう。その間、鶺鴒、虎鶫、両艦ともに準待機だ。」
「準待機ですか?」
手にパッドを持った長髪の女性士官、船務長の能見大尉が聞き返してくる。
「そうだ。いつでも発進できる様にして待機だ。」
「わざわざの寄港するのに何で準待機なんですか?」
操舵手の茨木が口を尖らせて質問を飛ばす。
「寄港の目的は神田司令に就任の挨拶をするだけだ。予定を早めて直ぐに東南司令部に向かう。」
「なんだよ、買い物くらいできるかと思ったのにさ。」
茨木が不満を口に漏らせば石動艦長が咳払いをする。それを聞いた茨木は肩を窄める。
「いいえー。なんでもございません。さて、そろそろ着きますよー。寄港準備はいりまーす。」
「司令は降りる準備を。」
「あぁ。」
大南は軽く頭を抱えながら艦橋を後にした。
「おぉ、大南くん待っていたよ。ささ、座って、座って。」
神田司令はにこやかな表情で大南をソファへと促した。司令室には様々な調度品が置かれ、大南の部屋とはまるで違う雰囲気を醸し出している。これは長く管理組で過ごした人間の部屋にありがちな光景だ。
「ありがとうございます。」
大南は軽く会釈をして椅子に座ると、神田司令は自ら淹れた紅茶を差し出す。
「あ、それ、共和国から取り寄せた紅茶だから、良ければ飲んで。しかし、大南君が態々うちに挨拶に来るとは、思いもしなかったよ。ありがたいねぇ。君は生徒の憧れでもあり、目標でもあるからね。ぜひゆっくりして行ってくれ。」
「お気遣いありがとうございます。ですが、今回は直ぐ東南司令部に向かわせていただきます。任務がありますので。」
「それは残念だ。まぁ、君たち第18機動中隊も東南司令部所属になったんだから。いずれゆっくりできる機会もあるだろう。それで、今回はどの様な任務なんだい?」
「申し訳ありません。今回は軍務上、深い事は……」
大南がバツの悪そうな顔をすると、神田司令は笑顔で返す。
「いや、いいんだ。軍ではよくあることだ。だが、33歳で司令とは、羨ましいことだ。私なんて司令になったのは50も後半になってからだ。」
「いえ、早すぎる出世というのもなかなか……」
武勲を挙げて大出世をした大南ではあるが、自身は一兵卒として収まっていたかったというのが本音だ。しかし、周りがそうさせてはくれなかった。あれよあれよと言う間に階級は大佐まで上がり、周りから疎まれることもしばしば。だがそれよりもなによりも、今回のようにやたらと煽てられることに、妙な居心地悪さを感じていた。
「あはは。私には縁のなかった悩みだ。しかし、若いと言えば、この基地の士官学校にも活きのいい学生が居てね。」
神田司令は紅茶の香りをゆっくりと味わいながら口に運ぶ。どことなく気品漂う雰囲気が、この人はエリートなのだなと、改めて大南に思わせた。
「どんな学生がお伺いしても?」
「いや、うちには帝国最高記録の6学年飛び級で士官学校に入学した学生が居るんだ。」
「あぁ、存じております。」
「その橿原って学生、この間の青白戦で青組の大将をやってたんだが、いいや、これがなかなか見事な采配ぶりだった。久しぶりに感服したよ。」
「ほぉ、年上に混じって大将として活躍とは中々優秀ですね。」
「いやぁ、何れは軍令部総長になると息巻いていたからね。なかなか威勢もいい。」
「それは、なかなか大物ですね。しかし、後方志望とは勿体無い。」
「やはり君も勿体無いとおもうかね?」
神田司令がグッと前のめりになる。
「えぇ。それだけ指揮能力のある人間ならば、前線に出なければ勿体無い。」
「いやぁ、私もそう思ったんだよ。どうだろう君のところなんて。」
「優秀な人材ならいつでも大歓迎ですよ。」
「確か、君のところに居る鳴海君の養子だったはずだ。尚の事もってこいじゃないか。」
「……あぁ、鳴海のところ子でしたか。通りで噂に聞いたことがあるわけだ。」
「いやぁ、鳴海君はね。私が士官学校の指導教官をしていた頃に教えてたんだが、まぁ、悪ガキでねぇ。今では随分とまともになった様だが、手を焼かされたもんだ。」
急に部下の過去の話を聞かされ、大南も思わず笑みが溢れる。
「それは知らなかった。今度本人に聞いてみます。」
「まぁ、本人ははぐらかすだろうが。とにかく、私も今からでも配属希望を変えるように念を押してみるよ。」
「わかりました。志望が上がってくれば是非うちに。」
「私がここにきてから四年以上経つが、彼ほど目につく生徒はいなかったな。」
「四年もこちらにいらっしゃるのですか。」
普通、名誉職である内地の基地の司令や士官学校の校長など、一年や二年で終わるものだ。それが四年ともなればなかなか長い。
「私の希望でね。若い頃は自分の戦功ばかりを考えていたが、部下を持つ様になって、下の者達を見送るのはなかなか辛いものだと思ったよ。せめて、自分がここまで生き延びてきた術を若者に教えたいと思ってね。大南くんも、司令ならこの気持ちわかってくれるかな。」
「申し訳ありません。自分は部下を預かる様になってから日が浅いもので。ただ、とても素晴らしいお考えだと思います。」
大南はようやく少し冷めかけの紅茶に口をつけた。自分とは違うが、このような上官も悪くはないなと思った。
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