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夏霞  作者: あかるい
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水族館


梅雨になると今川さんを思い出す。背がひょろーっと高くて丸い眼鏡をかけている。髪の毛はくるくるしていて、二ヶ月に一度、美容院でデジタルパーマをかけているらしい。いつも、今川さんはいやにつやつやした顔でこちらを覗き込むものだから、肌の荒れがちな私は困ったように微笑むしか無かったのを、覚えている。

今川さんはお花屋さんだった。私は職場の送別会で、異動する人たちのための花束を頼まれていた。優しい声色の今川さんが電話に出たとき、ああいい人そうだなと思った。花束六つ、十七時に、お店の裏口に。今川さんは私の言葉を繰り返して、承りましたとスマートフォンの奥で言った。

そのうち今川さんから誘われて、ご飯を食べに行くようになった。最初、今川さんはすごく緊張していたけれど、私はそんなに緊張していなかった。「ふつう」だったのだ。私にとって男のひとが緊張しているのはふつうのことだった。いつだってそうだった。男のひとは緊張するものだと、思っていた。今川さんはお寿司を食べる私を見て、いっぱい食べていいですねと微笑んだ。ばかにしているのかと思ったけれど、そうではないようであった。ただ緊張して何を言っているかわからなかっただけだと思う。

三回目のデート、というやつで、はじめて今川さんと手を繋いだ。デートというのは今川さんが言っていた言葉である。水族館に行った。雨が降っていた。皇帝ペンギンがすいすいと泳いでいた。大きなマンボウが頭をこちらに向けて歓迎した。一緒にお寿司を食べた男とお金を払って(といっても今川さんが払ってくれたのだが)魚を見に行くとはたいへんなことだと思った。周りには手を繋いでいるカップルが多かった。私もつなぎたくなって、つなぎたい、と言ったら、今川さんは変なところを見ながら手を握ってくれた。今川さんは私よりもうんと背が高かった。だから今川さんに寄りかかって私は歩いた。私はよくずぼらとよく言われるけれど、今川さんはわかっていただろうか?

「雨だね、今川さん」

「雨ですねえ」のんびりと、今川さんは言った。

「水族館見終わっちゃったね」

「終わっちゃいましたね」

「どうしよう、どうするかな」

「どうしようかねえ」

「今川さんが見繕ってくれた、お花好きだった」

「それはよかった」

結局時間を持て余した私たちはふつうにラブホテルに行って、普通に短いセックスをした。あとになって今川さんがぽつりと、こんなつもりじゃなかった、と呟いたので、私はなんだか強引な男にでもなったような気分になって、今川さんに対してすまないと思った。

あれから今川さんと数回出かけた。出かけるたびに短いセックスをした。今川さんから、セックスするのはもうやめにしたい、ふつうにあなたと遊びたいと言われたとき、私はどうしてだかわからないけれど、心が踏みにじられた気持ちになった。セックスをしないということは、おまえに価値がないと言われているようだった。セックスをするということが、男から愛されることだと思っていた。今川さんは、あなたの言っていることはよくわからないと静かに言った。かなしそうだった。しかし精神的なつながりなど自己満足でしかない。意味がわからなくてけっこう、と私はきっぱり言った。

今川さんが趣味で書いていたインターネット上の日記を、私は今でも開いてチェックしている。私のことは書いておらず、私ではない、背の高い恋人のことがやわらかく書かれている。

今川さんと見た水族館の魚たちを思い出す。そうして私は、あのとき魚はいったいなにを考えていたんだろうと、今でも思ったりするのである。

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