才能
フローライト第百十話
一月も残り数日となり、バレンタインデーのためにどこの店もチョコレートの特設コーナーが出来ていた。朔は自分のアトリエにここ数日こもったままで出てこない。天国と地獄の利成との合作のイメージが湧かずに焦っているようだった。
美園が仕事が早く終わった今日、通りかかったデパートでバレンタインのチョコをいくつか購入した。これから一人で黎花のところに行く予定だった。その土産にちょうどいいと思った。今日はこないだのサロンではなく、黎花の自宅マンションに行くことになっていた。
エントランスのインターホンを鳴らすとすぐに「はい、どうぞー」と黎花の明るい声が聞こえた。黎花の部屋はマンションの最上階だった。そこまでエレベーターで上ってもう一度ドアの前でインターホンを押した。
「はーい、いらっしゃい」と黎花がすぐにドアを開けた。
「こんにちは」と美園は頭を下げた。
「散らかってるけど、ま、入って」と気さくに黎花が言う。
「あ、スリッパって使う?」と黎花が玄関のところにあるスリッパを見て言う。
「いいえ、いらないです」と美園は答えた。
「そう?じゃあ、そのままどうぞ」
広めのリビングに入ると確かに散らかっていた。大き目の絵画が壁にかかっているほかは、無造作に床にいくつもキャンバスが置かれていた。
「ごめんね、ちょっと整理してたんだ。ま、座って」とソファを美園にすすめた。
「美園ちゃんはコーヒー飲めるよね?」とキッチンから黎花が叫んでくる。
「はい、飲めます」と美園は返事をしてから周りを見渡した。
(ここに朔はいたのかな・・・)
日当たりの良さそうなリビングに飾られた大きめの花瓶には綺麗に花が飾られていた。
「はい、お砂糖とミルクは?」
「使います」
「じゃあ、これ使って」と黎花がコーヒー用のシュガーが入った入れ物とミルクを置いた。
「あの・・・これどうぞ」と美園はさっき買ったチョコレートの包みを渡した。
「え?何?」
「チョコレートです」
「えーそうなの?ありがとう。気、使わせちゃったね」と黎花が笑顔で言う。それから「じゃあ、早速・・・」と包みを黎花が開けた。
「わ、可愛い。バレンタインデーだね」と言ってから黎花が箱を開けたままテーブルの上に置いた。そして一つつまんで口に入れて「あ、美味しい」と言って美園に微笑んだ。それから「朔、どう?」と黎花はコーヒーはブラックのまま飲んでいた。
「アトリエにこもってます」
「そう。ご飯とかは?」
「食べさせてます。無理矢理」
「そうか、そのほうがいいね。あの子、集中すると寝ないし食べないから」
「・・・そうですね」
「美園ちゃんはどう?調子いい・」
「私ですか?体調は悪くないです」
「そう、良かった。こないだの歌番組、見たよ。新しい曲いいね」
「そうですか?ありがとうございます」
「曲は自分で作るの?」
「はい、大体は」
「そうなんだ、いいなー創作できて。私は音楽は聴くだけなんだ」
「そうですか・・・」
美園はコーヒーを一口飲んだ。香りが良くて美味しかった。
「コーヒー、どう?」と黎花が聞いてくる。
「美味しいです、すごく」
「そう?良かった。朔も美味しいって言ってくれたな、そのコーヒー」
そう言って黎花がまたコーヒーを飲んだ。
「黎花さん、黎花さんは朔が好きなんですか?」
美園が聞くと黎花が少し目を見開いて驚いたような表情をしてから微笑んだ。
「好きだよ、すごく」
「それはどういう風に?」
「どういう風?例えば?」
「男として?芸術家の卵として?」
「んー・・・そうねぇ・・・」と黎花が考えるような目をしてから言った。
「美園ちゃんはどう言って欲しいの?」
「私?私ではなく黎花さんがです」
「アハハ・・・そうよね?」と黎花がまたコーヒーを飲む。
「じゃあ、美園ちゃんはどういう風に朔を好きなのか教えて」
(質問を質問で返すは利成さんの得意技だな・・・)
それを黎花もまた使ってくる。でもま、いいかと美園は答えた。
「私は、朔といると退屈じゃなかったから・・・高校の頃一緒にいたんです。でも、そのうち朔に対して愛しい思いが湧いてくるようになりました」
「そうか・・・うん、私も同じだな」と黎花が言う。
「同じ?」
「そう。朔が愛しいの」
「それがどういう風にですかって質問です」
「ん?そうだね・・・男と女の関係かって気になる?」
「はい」と美園は正直に答えた。こないだの朔とのセックスの時の”黎花さんは中に・・・”がまだ気になっていた。
「うん、正直でいいね。でも残念ながらはっきり割り切って答えれないな・・・というのはね、愛しい思いの中に、同情や母性的な思いや、使命感や、そして男としての思いや・・・まぜこぜなの」
「・・・・・・」
「美園ちゃんもそうでしょう?これって割り切って言える?」
「私もそうですけど・・・こないだ朔が”黎花さんは中に出させてくれた”って・・・そこが気になってるんです」
「えっ?あの子、そんなことまで言ったの?」
「たまたま盛り上がった時、思わずみたいです」
「そうか・・・ごめんね。そんなこと聞きたくなかったでしょ?」
「いいえ、そこはいいんです。私が気になるのは・・・」
「何でそんなことまでするのか?」
黎花が美園の言葉をさえぎって言った。
「・・・そうです」
「そうだよね・・・」と黎花は考えるように視線をまたコーヒーに向けた。
「まずね、私、子供ができない身体なのよ」
「えっ?」
「だから気にしなくていいのが一つ・・・」
「・・・・・・」
「それと、朔を全部受け止めたかった・・・それが二つ目」
「・・・・・・」
「私とここにしばらく住んでたんだけど・・・ほんとにあの子、生きても死んでもいなかった・・・生死という枠の中から外れたかのように、何も無くなっていたの」
「・・・・・・」
「最初は使命感かな・・・こんなすごい絵を描く子を死なせたらダメだって思ったよ・・・。でも、だんだん美園ちゃんと同じ、愛しくなってきたの。何て言ったらいいのかな・・・自然に涙が出たんだよね」
「・・・・・・」
「夜によくパニックを起こしてたから、添い寝してあげてた。最初はそれだけだったんだけど、そのうち朔が私の身体を触るようになって・・・でも、何だか哀しかった・・・小さな子が母親を求めて触るような感じだったから・・・」
「・・・・・・」
「朔、父親のことは何か言ってた?」
「・・・殺しそうになったって・・・それ以外は何も・・・」
「そう・・・ほんとに殺しそうになったらしい・・・私も詳しくはわからないんだけど、朔のお母さんが朔の進路や生活のことで責められてたらしいの・・・そしてお父さんが朔の絵を全部処分しようとしたらしい」
「全部?ひどい・・・」
「そうよね、朔のお母さんは朔の絵を守ろうとしたみたいだよ。普段はお父さんの言いなりだったのに、その時だけは夫に歯向かった・・・朔のお母さんもきっと朔の絵のことをわかってたんじゃないかな・・・」
美園の脳裏に何も言えずにおどおどしていた朔の母親の姿が思い出された。
「朔はすごい子なんだよね。だから守らなきゃならない・・・。周りの私たちがあの子を守らなきゃって・・・ま、これは私の感傷も入っちゃってるかな」
黎花が微笑んだ。
「黎花さんは・・・私が朔といても平気なんですか?」
「ん?平気って?」
「嫉妬とかないんですか?」
美園がそういったら黎花が「アハハ・・・」と笑った。
「美園ちゃんって、純粋で正直だねぇ・・・でも、私、そういうの好きだよ」と黎花が笑顔で言ってから続けた。
「嫉妬心あるよ。美園ちゃんがテレビに出ているのを見ている時から・・・若くて可愛い美園ちゃんに嫉妬しない女の子なんていないでしょう?」
「いえ、そういうんじゃなくて」
「うん、そうだよね。朔とのことだよね。それも嫉妬心あるよ。朔はいつも美園ちゃんのことを見てたからね」
「いつもって?」
「ここにいる時もテレビを必ず見てたし・・・ネットも見てたし・・・美園ちゃんが出てる雑誌や、こないだ言ったけど写真集も買ってたよ。その時だけ・・・朔が唯一ここで息をしていたんじゃないかな」
「・・・じゃあ、何で連絡くれなかったんですか?」
美園は長い間疑問だったことを口にした。
「・・・そうねぇ・・・できなかったんじゃないかな?自分と違ってキラキラと輝いていた美園ちゃんを見てたら・・・。美園ちゃんがテレビに出る日はものすごく楽しみにして見てたくせに、見た後は鬱っぽくなってたからね。”美園はもう遠くに行っちゃった”って・・・朔は時々言ってたよ」
「そんなの・・・違うのに・・・」
「そうだよね、私もね、美園ちゃんのインスタに朔のスケッチブックが出てた時にそう思ったの・・・もしかしたら美園ちゃんは朔のためにテレビに出てたのかなって・・・」
「・・・・・・」
「どんな番組でも出てたし・・・思い返せばがむしゃらみたいだなって・・・。私がハッと気がついた時、朔も何か感じたのかな?インスタに初めてコメントいれたでしょ?」
「はい・・・」
”ありがとう”ただそれだけだったけれど朔を感じた。
「ちょうどこのままずっと私といるのは良くない・・・朔を一人立ちさせなきゃって・・・それで朔の部屋を借りたのよ。絵の仕事も軌道に乗り始めたし、アルバイトもなんとかやっていた・・・今じゃないかなって、朔をもう一度立たせるのはって・・・そう思った矢先だね、あのスケッチブックを見たのよ」
「・・・・・・」
「あの子、大喜びしてたよ。美園ちゃんが朔のことを憶えててくれて・・・おまけにスケッチブックを大事に持っててくれたって・・・。美園ちゃんがすぐに朔のところに来てくれて、以前と同じように朔のことを思っててくれて、セックスもしてくれたって・・・。大喜びで私に報告してくれた。でも、私はちょっと危惧したの。美園ちゃんは別れてからの朔を知らない・・・以前と同じだと思われて、何かがあったら・・・」
「・・・・・・」
「でもそんな危惧も束の間で・・・あっという間に朔は美園ちゃんから離れられなくなったのね。連絡も来なくなって、・・・」
「・・・朔は、再会した時、父親といたって言ってたけど・・・実際は黎花さんとずっといたんですか?」
「朔のお父さんも一時的に精神をおかしくしたらしくて・・・朔がうちの会社を尋ねてきたのよ。どこにも行くところがなかった時、私の名刺を見つけたらしいの。いつでも来てって私は言ってあったから・・・それからだから・・・そうね、ずっといたことになるのかな」
「そうですか・・・」
「重く取らないで欲しいんだけど・・・今、朔は美園ちゃんと一緒にいたいってそのことに執着することで生の中にいる・・・ところが皮肉なことに、「生」が現れると同時に「死」も現れることができるようになる・・・美園ちゃんといることが朔の「生」になったのなら、失うことは「死」に奪われることになるのよ。人は「死」に見張られているんだよね・・・わかるかな?」
「・・・わかります。人は「死」を信じてるから生きようとするんだって・・・奏空が・・・あ、一応私の父親の立場にある人です」
「そう・・・奏空さんって、○○〇のメンバーの方よね?」
「はい・・・」
「そうかぁ・・・美園ちゃんは利成さんや奏空さんに守られて育ったんだね」
「さあ・・・どうなのかな・・・」
「・・・美園ちゃんを見てたらわかるよ。さて、最初のお話・・・”嫉妬心”についてだけど、これは自分への執着だと思わない?」
「自分へのですか?」
「自分が他の誰かより愛されていないと思う、私の方が負けてる気がする、そんなザラザラした思いでしょ?それは全部”自分”と言うものにベクトルが向いている証拠、それは悪いものではないと思うのよ。今の朔にとっては特に必要なものが”執着”なようにね。だけど一定期間味わったのなら、そろそろ終わりにしましょうかって、そう言う時が必ずくる、その時に綺麗に手放したいものだね」
「・・・・・・」
「朔は必ず偉大な芸術家になる・・・それは、よく言う”今までの苦しみを糧に”みたいなことじゃないし、また悲しみや憎しみを乗り越えようと、他人を蹴落としてまでものし上がることでもない・・・ただ元々あった本質の光が現れてくるだけ・・・朔はそんな子なの」
「本質の光・・・」
「それには朔だけじゃない、私も美園ちゃんも成長が必要なんだね」
黎花が美園を見て微笑む。
「あがいているのは朔だけじゃない、私も、美園ちゃんもでしょ?・・・天国が現れたなら、同時に地獄も現れることを許すことになるんだって・・・でも私たちはそれをおさめなければならないんだね」
「ただいま」とマンションの部屋に入ると「おかえり」と朔がキッチンに立っていた。
「あれ?どうかした?」と今までずっとアトリエにこもっていた朔に言った。
「喉渇いちゃった」
「そう?水しかないかな・・・」
「ビールある?」
「あ、ごめん、冷えてない」
「そう、じゃあ、水でいいや」と朔が冷蔵庫からペットボトルの水を取り出した。
「イメージ湧いた?」と美園はコンビニで買ってきたものを袋から取り出した。
「んー・・・何、あれ」と朔がリビングのテーブルの上に置いた紙袋を見ている。
「あ、あれチョコレートだよ」と美園が言うと「チョコ?」とリビングまで行って袋を開けている。
「どうしたの?貰い物?」
綺麗に包装されているチョコレートの包みを朔がひっくり返している。
「デパートで買ったんだよ。バレンタインデーでしょ?」
「え?バレンタインって一月だっけ?」
「いや、二月だよ」
「そうだよね。自分で食べるの?」
「うん、朔も一緒に食べよう」
「うん・・・バレンタインチョコって俺貰ったことない・・・」
「そうだっけ?じゃあ、それあげる」
「・・・美園って・・・」
「何?」
「何かガサツ・・・」
「悪かったね、食べたくないなら食べなくていいよ」
そう言ったら朔が「いや、食べる」と言って包装紙を破り始めた。
(ガサツ・・・かも・・・)と自分でも自分のことをちょっと思う。
夕食に卵焼きを作ったら朔が何だかすごく喜んだ。
「えー美園が作ったの?」
「そうだよ」
「すごい・・・食べていい?」
「いいよ。すごくないし・・・」
「えーすごいよ。初めて食べる」
(そうだっけ?)
「美味しいよ」と朔が言う。
「まあ、卵焼きだから失敗はあまりないからね」と美園も一口口に入れた。
「そんなことないよ。味噌汁も美味しいし」
「そう?それも適当だよ」
「適当でも美味しい」
あんまり喜んでくれるので、次回もやろうかなどと少し調子に乗る。
食べ終わると「お風呂、入ろうよ」と朔が言って来る。最近お風呂に入る時は、一緒に入ろうと必ず言って来るのでゆっくり一人で入れない。
(でも、ま、仕方ないか)
そんなことで朔の気持ちが安定するなら大したことではない。
「美園って温泉好き?」と湯船に入ると朔が聞いてきた。
「好きだよ」
「行ったことある?」
「あるよ。子供の頃咲良と奏空とで」
「そう・・・」
「朔は?いつ頃行ったのが最後?」
「んー・・・いつだろう?一年ちょっと前?くらいかな」
「ふうん・・・黎花さんと行ったの?」
一年前なら黎花と一緒にいたはずだ。
「・・・うん・・・」と朔が急に気まずそうにした。
「泊まり?」
「うん・・・」
「今度行く?」
「美園と?」
「そうだよ」
「え?美園と?ほんとに?」
「ほんと。でも、温泉はお風呂別々だよ」
「だって部屋についてるところとかあるよ」
「あ、そうか。家族風呂みたいな感じかな・・・それならオッケーだね」
「うん、行きたい・・・」
「でも今は無理だね。利成さんとの合作が終ったら記念に行こうか?」
「うん、ほんとに?」
「ほんと」
朔はやたら素直に喜んだり、逆に完全にひねくれてたり、色んな表情をみせてくれる。夜、普通に寝室に入って来たので美園は「絵はいいの?」と聞いた。昨日まではアトリエでそのまま夜を明かしていたのだ。
「うん・・・イメージはだいたいわいたし・・・」
「そうなんだ、良かった。じゃあ、次の休みにでも利成さんところ行こうか?」
「うん」
ベッドに入ると朔が口づけてきた。今日はいつものように舐めるようなキスだった。
── それと、朔を全部受け止めたかった・・・それが二つ目・・・。
不意に黎花の言葉を思い出した。
(ああ、やっぱり黎花さん、朔のこと相当好きだよね・・・)
朔が執拗に美園の敏感な部分を舐めてくるので美園は少し身じろいだ。
「朔・・・もう、いいよ・・・」
そう言っても朔はやめないので、だんだん変な感じになってくる。おまけに「あっ・・・」と声がでてしまった。
「気持ちいい?」と朔が言う。
「ん・・・」と美園が言うと、朔がまた激しく舐めてきた。
(あ・・・もう・・・ダメ・・・)
「あっ」と大きな声が出て美園は絶頂感に達してしまった。朔が気がついて唇を離す。
「美園、いけた?」
「・・・ん・・・」
「ほんと?良かった」と朔が喜んで口づけてくる。
(あーだからその後のキスは微妙・・・)
「ちゃんとゴムつけるね」と朔が言ってパジャマのズボンと下着をおろしている。
(あー私は朔を全部受け止めれるのかな・・・?)
── 私も美園ちゃんも成長が必要なんだね・・・。
黎花の言葉だ。そして奏空はこういった。
── 自分のフィルターから出て、どれだけ朔君と同じ視点で見ることができるか・・・それを”成長”というんだよ」・・・。
そうか、愛情も育てていくものなんだ・・・。
美園はそう思った。