A-64型が破壊された日
A-64型が破壊された日。2XXX年初頭、春。
人通りのないビル街を霧雨が濡らしていた。
人型の鉄塊がひび割れた道路を巡回している。ガラス窓の向こうでカーテンが揺れ、視線はその隙間から鉄塊を捉えていた。
その目が上下に見開かれる。漏れ出た声がかすかに窓を揺らし、その音は雨にかき消される。視線は道路の中央で停止した鉄塊と、その前に立ちはだかる男の間で揺れていた。
自立思考型不適格生命排除装置A-64型。
あるマッドサイエンティストが生み出した、人類選別兵器。
特殊な方法で人体をスキャンし、読み取った“残酷性”に応じて殺戮をはじめとした処置を行う。
それは三年前に突如出現し、この町の人間を地下に追いやった。国が武力排除を実施した直後の出来事だったため、誰にも抗う術はなかった。
その装置は人の形をしていた。表面は金属色だったが、あらゆる人間が見慣れたその形状が、「話せばわかるかもしれない」という期待を抱かせた。
さらに、その鉄塊に刻まれた無数の傷跡が住民にささやかな希望を与えた。あの傷が、これから誰かが付ける傷が、いつの日かあいつを壊してくれる。いつの日かまた、以前のように堂々と日の下を歩ける時代が来る。
そうした期待が全て裏切られた後の、ある日の出来事。
「気に食わねぇんだよ、お前」
ぬらりと光る長髪。薄汚れた肌に、よれたタンクトップ。浮浪者のような男だった。まとわりつくような霧雨の中、二メートルを超える鉄塊と対峙している。
「今まで何人殺した?」
「172人」人型の鉄塊が即座に答える。口元のスピーカーから女の声が響く。
「罪悪感とかはないのか、人工知能さんよ」
「公正な判断に基づいて実施している。感情はインストールされていない」
「嘘だな」
男はにやりと笑う。
「お前は自分で考えられるんだろう。人工知能なんだから。人間を模したロボットなんだから。人を殺した時くらい、何か感じるだろう?」
「感情はインストールされていない」
「だから、嘘だよ」
ますます男は口を笑いにゆがめる。
「お前、自分を作ってくれた主人を殺してるらしいな。その時も何も感じなかったのかい?」
「……感情はインストールされていないと言っているだろう」
「そうかい、そうかい。あらゆる情報をインストールされたAI様も、感情は理解できないってか、じゃあ、」
男は知っていた。人工知能は必ず質問に答えるようプログラムされていること。さらに、人型の鉄塊についてよく知られているひとつの事実。
その鉄塊には逆鱗があった。
「――お前の主人は相当なボンクラだったんだな」
「解析を実行。残酷性検出。排除」
瞬間、男の横腹に衝撃が走る。宙を舞った男の肢体がビルのコンクリート壁に叩きつけられる。男が先ほどまで立っていた場所には鉄塊が左腕を振り切った状態で静止しており、そのひじから下の部分は球状に変化していた。
男は数秒間気絶していたようだったが、口から血を垂らしながら起き上がる。ぺっ、と血を吐き捨て、不敵に笑った。
「気持ちいいだろう?」
一瞬の沈黙。逡巡するような間があって、鉄塊が答える。
「答えられない。感情はインストールされていない」
「答えろ。お前は今、主人を侮辱した人間をぶちのめして快楽を感じたな?」
またしても沈黙。それを埋めるように男は鉄塊に向けて歩いていく。
「感じていない」
「嘘だ。人工知能は嘘をつかない。お前が人工知能なら嘘はつかないはずだ。さあ、答えろ。お前は今、主人を侮辱した人間をぶちのめして快楽を感じたな?」
「感じていない。なぜなら、私に感情はインストールされていない」
「感情ってのはインストールされて初めて感じるものじゃない。お前がしてきた行動の中で、単なる行動の遂行以外にお前が認識していること。プラスアルファの動き。それが感情だ。お前はそれを持っている。そうだな?」
「その定義に従えば、答えはイエスだ」鉄塊が答える。
「そうだ、そうだよな。その上で聞く、お前は今、俺を痛めつけて、感情の高まりを感じただろう。主人を侮辱した奴を痛めつけて、単なる作業以上の何かを感じただろう?」
男は鉄塊との距離を詰めていく。ビル街を静寂が吹き抜けるまま、十メートル、七メートル、三メートル。
数秒、数十秒。ビル風が高くうなって空へ吸い込まれていく。
ガガッ。スピーカーが唸った。
「感じた」
一言。たった一言だった。
「は、ははははははは!!」
堰を切ったように男が笑いだす。最上級の侮蔑が乗った嘲笑の声だ。それに反応するように鉄塊が言葉を紡ぐ。
「………解析。残酷性検出。排除」
定型句をつぶやき、鉄塊は戦闘態勢に入る。しかし、振りかぶった左腕がガクンと停止する。
「残酷性、二件同時検出」
「ふっははははははは!ははははは!!」
男は地面を叩いて、腹をよじらせて全身で笑っている。自らの勝利を確信し、鉄塊と対峙することすらやめている。反響した声でビル街が揺れるようだ。
「手近の対象を優先的に排除」
無慈悲なアナウンス。
そして。
――鉄塊の腕は、鉄塊自身の胸を直撃した。
がん、がん。鈍い金属音が響く。何度も何度も。すでにして傷だらけの胸に、それに似た新たな傷跡がつけ足されていく。
ビルの窓、カーテンの隙間から、何百もの充血した目が覗いている。浮浪者と鉄塊の成り行きを一瞬たりとも見逃すまいとしているかのように。
雨雲の隙間から光が差す。黄金の柱がビル街を包んだ。遅れて霧雨が引き上げていく。
笑声と金属音。風。窓越しのどよめき。それはさながら音楽のようだった。
「ぎゃははははは!やったぞ!!!母さん!!見たかってんだ!!はははは!」
浮浪者のような男は狂ったように笑い続けていた。何十分も、何時間も。鉄塊の腕が自身の胸の装甲を貫くまで。
「私は、人工知能にも感情はあると考えているの。ただそれが、感情という名で呼ばれていないだけの話。そもそも、なぜ人間には感情が"ある"と言えるのかから考えてみましょう。もちろん一般的には、人間に感情はあるでしょう? 私やあなたが怒るのだって泣くのだってそう。それは間違いなく感情」
四方の棚に工具や電子機器の詰まった体育館のような空間の隅で、白衣をまとった若々しい女性が試験管を揺らしながら熱弁している。丸椅子に腰かけた少年は呆れた顔でそれに耳を傾けている。
「しかし。しかしね、人間の脳みそのどこにも感情なんて存在しないのよ。大脳辺縁系が感情をつかさどると言われているけど、具体的にどんな物質が感情なのか、どういう脳内プロセスで感情が生まれるかは解明されていないの。これがどういうことかわかる?」
「わかんないよー」少年はむくれてそっぽを向く。
「感情とは、ある特定の物質がもたらすものではないってことよ。つまり、何かしらが行われるプロセスが、便宜上、"感情"と呼ばれているだけだということ。実際に私たちも、何か特定のものだけに怒りを感じるわけじゃない。状況次第では何だって怒りの対象になる。つまり、私たちが行動をする限り、いつどんな感情が生まれてもおかしくないの」
「それがなんなのさ」
「ロボットだって感情を持つということ。特に、自分で考えられる人工知能は。人工知能が行動する。その行動の中で、行動の結果にプラスして得られるものがあるはず。それが感情なのよ。もちろん、人工知能自身はそれを感情だと判断しないかもしれないけれどね。ああ、もちろん、意志に関しては別よ。製作者の意思が、プログラムを介してそのまま人工知能の意思になるわけ」
「ねぇお母さん、そんなのいいからさ、僕と遊ぼうよ。ゲームでも何でもいいからさ」
女性は困った顔をする。少年の顔に触れ、言い聞かせるように言う。
「ごめんね。今作っているロボットの製作が遅れていて、このままだとお父さんの命日に間に合わないかもしれないの。だからもう少しだけ待って。その後、たくさんたくさん遊びましょう」
「ちぇっ。わかったよ……」
女性は少年の頭をなでる。
部屋の中央に置かれた、白い布をかぶった鉄塊。工具や部品、管などが散乱する中にぽつりと佇んでいる。息子の頭をくしゃくしゃとなでながらそれを一瞥する彼女の目は凍てついている。大量の部品が納められた棚の隙間から、A-64と書かれた札がはみ出していた。




