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1.桃太郎と菊姫

 カッ、カッ、カッ、カッ、カンッ

 少しこもった硬い音が続けざまに響く。

人の背丈ぐらいの杭が十五本、不揃いに地面に刺さっている。一人の若者が、その杭を縫うように走り抜けながら、木刀で杭を打ち据えていく。木と木が当たれば、もっと大きな音が響くだろう。

若者は杭に腕ほどの太さで巻き付けられた縄の上だけを正確に打ち抜いていた。

「ほうほう、随分と腕を上げたようじゃなぁ」

 最後の一本の杭を打ちながら、木刀を高々と掲げて走り抜け、くるりと向き直ると同時に木刀を一振りし、ぴたりと中段に構えた若者に、籠を背負った人の良さそうな老人が声をかけた。

養父上(ちちうえ)っ。おかえりなさい」

 若者がまだ幼さも残る満面の笑みで駆け寄る。身体つきは立派だが、若者というよりはまだ少年だろう。老人の背から籠を下ろし、中をのぞき込む。

「わぁ、立派な芋ですね」

「あぁ、偶々見つけてな」

「養父上が山に行くと、必ず偶々、何か見つけますよね」

とおかしそうに言う。

「そうかな、ま、偶々じゃよ。しかし婆さんが見つけたもんには負けるがの」

と老人は少年の頭を愛しそうに撫でる。


桃太郎。

 それが養父と養母が彼に贈った名である。

養母が川で流れて来た桃を拾って帰り、そこから生まれたので桃太郎だと。

桃太郎もそれを鵜呑みにしたわけではない。が、それ以上のことを二人が語りそうにないことは分かっていた。


 彼は田舎の比較的裕福な百姓家で育てられた。

 養父母はやや年嵩であったが、健やかでよく働き、また百姓とは思えぬほど学識も豊かだった。桃太郎は二人を助けて畑を耕し、薪を割り、川で魚を獲り、すくすくとたくましく育った。

また二人から読み書きや算術を教わり、更には史書や道徳についての書も与えられ、繰り返し読んで諳んじることもできるほどになった。


 養父は、年に一度、桃太郎をこの地方の領主の館に連れていった。

 館に詰めている侍たちは、養父の顔を見ると、姿勢を正し、頭を下げる。

「師父、お久しゅう存じます」

などと声を掛けてくるものもいる。

 しかし養父は腰を少しかがめ、首を横に振りながら、

「ただの百姓の爺でございます。お気遣いは無用にお願い致します」

と返すのみである。


 案内された内庭で座して待っていると、領主が縁にまで出てきて、上がるように促す。養父は桃太郎だけを縁の前に進ませ、自分は決して庭の土から膝を上げようとはしない。

「相変わらず頑固だな、爺は」

「御屋形様、年寄りと言うのはそういうものでございます」

これも毎年のように交わされる言葉だ。

 領主様は間近に桃太郎の顔を眺め、

「逞しくなった」

だの

「賢そうな面構えだ」

だのと言う。

桃太郎の顔を見ながら、その奥に誰かの面影を探すような眼差しだと思うが、桃太郎は何も問わない。

「ありがとうございます」

と素直に礼を述べるだけである。


 ある年、いつものように領主の館を訪れると、領主の後ろから小さな女の子が顔を出した。

艶やかな黒髪と、形よく整った面立ち、生き生きとした輝きを放つ目が、まだ蕾であるが、いずれ美しく花開くことを予感させる。

「菊姫、桃太郎殿だ。挨拶をしなさい」

 領主に促されて、少女はつっと前に歩み出た。

「はい。菊と申します。宜しくお願いいたします」

 深々と頭を下げた拍子に、勢いがつき過ぎて、とっとっと前に二、三歩のめると、縁を踏み外して内庭に向かって転落した。

が、その小さな体が宙にあるうちに二本の腕に抱き止められ、抱え込まれた。

桃太郎が咄嗟に飛び出し、両腕で受け止めながら、自らの体を下にして菊姫を守ったのである。

桃太郎はすぐに身を起こし、菊姫を立たせると、その前に膝をつき、

「菊姫様、お怪我はございませんか」

と尋ねた。菊姫は、何が起きたのか分からない、という顔で瞬きをして、それから振り返り、自分が縁から落ちたのだと確認すると、ぱっと顔が輝き頬が紅潮した。

「怪我はありません。桃太郎殿が助けて下さったのですね」

 菊姫はまた深々と頭を下げた。

「ありがとうございます」

「菊姫様、頭をお上げください。私は領内に住まう百姓の倅に過ぎません。私のような者にみだりに頭を下げてはいけません」

「桃太郎殿。私は父に、賢き者、強き者、勇気ある者、心正しい者を常に敬い、教えを乞いなさいと、そのように言われて参りました。そして桃太郎殿はたいそう賢い方と伺っています。ですから私が頭を下げるのは当たり前のことです。それに、桃太郎殿は今、不注意な私が縁から落ちたところを助けて下さいました。助けて下さった方に御礼を申し上げるのですから、頭を下げなくてはなりません」

 菊姫は、私は間違っていませんか、と確かめるように、時折、桃太郎の顔を伺いながら、懸命に言葉を連ねた。

「菊姫様のお気持ちは良く分かりました」

 桃太郎は菊姫の健気さと可愛らしさに、知らず笑みを浮かべて答えた。

「私も菊姫様のお気持ちに応えられる者であれるよう、努めて参りましょう」

「それでは」

と菊姫は桃太郎をひたっと見つめて言った。

「桃太郎殿は、これからも私が危うい時には助けて下さいますか」

「はい、力の及ぶ限り必ず」

 桃太郎は主君に忠義を誓う侍のように深く礼を捧げた。

「いや、菊姫様は本当に賢くあらせられる。まだ六つでございましょう」

「口ばかり達者でな。落ち着きがないから、こんなことになる。桃太郎殿がおらねば大怪我をしておったかもしれん。わしからも改めて礼を申そう」

 見守っていた大人たちの声に、二人は我に返った。菊姫は真っ赤になり、先ほどまでの大人びた振る舞いが嘘のように、大慌てで縁をよじのぼって父である領主の後ろにぺたんと座り込み、そのまま突っ伏すように顔を伏せてしまった。

桃太郎も所在なさそうに後ずさりして養父の横に戻り、下を向いている。ここが館の内庭で、領主をはじめ多くの人々がいることを、二人ともしばし忘れていたのだった。

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