【短編読切】鬼の嫁取りは〇〇のはじまり〜いつの間にか囚われていた娘の大人の童話〜
「おっ母さん! 洗濯に行ってくるねー」
村のはずれにある粗末な板造りの家から元気な声が聞こえてくる。やがて引き戸を開けて出てきたのは小袖を着た若い娘。先日も降った雪のような色白の顔に柘榴のような真っ赤な唇が、娘の飾らない美しさを際立たせている。
「気をつけて行くんだよ、凛」
「大丈夫ー! いってきまぁす」
凛は父母と共にコメや野菜を作っては、慎ましいながらも幸せに暮らしていた。しかし近頃は異常なまでの日照りが続き、村の田畑はまるで大蛇のようなひび割れが走るほどにひどく乾いた。
若い村人たちは遠くにある川へ行って水を汲み、それを田畑に撒くことで何とか僅かながらの収穫を得ている。しかし、それも長く続けばどうなる事かと頭を悩ませていたのだった。
「この川の水も随分と勢いがなくなったわね」
以前ならば深くてとても中に入って洗濯できるような川では無かった。だけど今ではふくらはぎの真ん中よりも低い水位しかない川を見て、思わず凛は大きなため息を吐いた。浅い川で洗濯をするには、冷たい水の中に入らねばならない。冬の最中にそれはとても辛いことであった。
「あー! もう、どうにかならないものかしら! 龍神様でも土地神様でも、この際鬼でも大蛇でもいいから雨を降らせて欲しいわね」
腰をかがめて俯き、じゃぶじゃぶと父親のふんどしを洗いながら独り言を零した。冷水に浸かる足はジンジンと痛んで感覚が無くなっている。そんな時、視線の隅っこに何やら赤い物がチラついた。
「え?」
何かの動物かしらと、ふんどしを手に持ったまま腰を伸ばして顔を上げた。すると、凛よりも少しばかり川上に立っていたのは、村の男たちよりも随分背丈が大きくて屈強な体つきの赤鬼だった。
「……鬼?」
突然の事にポカンと口を大きく開けて身体を硬直させる凛に対して、赤鬼は驚いたような表情をしてから顔の前で両手を勢いよく横に振る。その仕草はまるで「何もしない」と訴えているようだったから、凛は叫び声も上げずにじっと動かずにいた。
「な、なにもしない! だから叫んだり逃げたりしないでくれ!」
硬そうな筋肉を覆う皮膚はヒトよりも赤みを帯びていて、赤褐色の髪色は凛が今まで見た事のないような珍しい色味だった。少し癖のある髪の毛の合間からは象牙色のツノが二本生えている。
「何か用?」
ここで鬼が驚いたのは、凛がとにかく気の強い女子だったという事だろう。目の前に屈強な体つきの赤鬼が居るというのに、凛ははじめこそ驚いたが今は訝しげな視線を向けて「何か用か」と問うている。
「お前、俺が怖くないのか? 鬼だぞ」
「だから? あのね、今忙しいの! 見て分かるでしょ? こんな冷たい水の中でおっ父さんのふんどしを洗ってるのよ!」
「ふんどし……」
あんまり凛が物凄い勢いで話すものだから、赤鬼の方がたじろぐ事になった。
「もう! 雨が降らなくて困っているのに、神様も誰も雨を降らせてくれない。それなのに水の少なくなった川で一生懸命ふんどしを洗っていれば、暇そうな赤鬼が現れて。どうせ暇なら雨でも降らせてくれればいいのに……」
再びふんどしをじゃぶじゃぶと洗いながら、凛は雨の降らない苛立ちをぶつけるように大きな独り言を言っている。赤鬼はそんな凛をしばらく見つめていたが、やがて鋭い牙の生えた口を開いた。
「……雨、降らせてやろうか?」
「暇なら手伝ってよ! まだこんなにたくさんあるんだから! 雨さえ降ればこんな山奥の川に来なくても、村の洗い場で洗えるのに……」
「……おい。だからさ、俺が雨を降らせてやろうか?」
「……え?」
とっくにふんどしを洗い終えて、父親の使った手拭いを洗い始めていた凛は赤鬼の言葉に再び顔を上げた。
「あなた……雨、降らせるの?」
「ああ、この辺一帯くらいなら。簡単だ、雷のにちょっと太鼓を借りたらいいんだからな。雷のには貸しがあるから、嫌だとは言うまいよ」
思いもよらない言葉に、凛はその黒曜石のような瞳を煌めかせた。それから赤鬼の近くへと冷たい水を踏んで走り寄る。思わず手を離してしまって、父親のボロ手拭いが川を流れていった。そんな事よりも雨の方が大事なのか、それとも手が離れた事に気付いていないのか、凛は鬼の太い腕を掴んでグラグラと揺らす。
「ねぇ! 確かに雨を降らせると言ったわよ! 本当よね?」
「ああ、お前が望むなら」
そう告げる赤鬼の瞳は髪色と同じ赤褐色で、じっと強い眼差しで見つめられると、いくら気の強い凛でも落ち着かない気持ちになるようだ。急に勢いを無くした視線は僅かに下げられる。
「私が望むなら……って、その見返りは何? 私の家は見ての通りボロしかない貧乏で、赤鬼が欲しがるようなものはないわよ」
「俺は、お前が欲しい」
「わ、私⁉︎ 人柱になるのはいいけれど。こんなガリガリなのに、食べたって美味しくないわよ?」
村に恵みの雨が降るならば、人柱くらいにはなってもいいと。しかし、食べたとしても美味しくはないだろうと心底心配する様子の凛を見て赤鬼は上顎の牙を見せて笑う。
「お前に惚れたんだ。だから俺の嫁になれ」
冬場の冷たい水の中で突然求婚された凛は呆然としていたが、やがてブルリと背中を震わせた。それは寒さからか、それとも訳の分からない恐怖のようなものなのか。それを見た鬼は突然凛を優しく横抱きにして川から上がる。
「や……ッ、何するのよ!」
「川の水が冷たいんだろう。あとは洗濯してやるからそこで待ってろ」
「へ……?」
よく見れば長く川に浸かっていた脚は紅潮して冷え切っていて。まだ洗濯物は途中だったから、洗えていない手拭いがいくつか残っている。それを赤鬼はじゃぶじゃぶと勢いよく洗うものだから、使い込まれたボロの手拭いは全て破れてしまった。
「あー! ちょっと、もういいわよ! それでなくともボロなんだから!」
「すまない。ヒトの物は手加減が難しいな」
「……いいわ。ありがと」
礼を言えば赤鬼はその目を細めて微笑んだように見えたから、つられて凛も思わず微笑みそうになる。だがすぐに笑みを引っ込めて真面目な顔つきになった。
「鬼の嫁だなんて言ったって、人間の理とは違うのかも知れないわね」
ポツリと声にならぬほどの声で呟いた凛の言葉は、川の流れにかき消されて鬼には聞こえなかったようだ。
「家まで送って行こう。お前の家族にも、お前を嫁に貰うと告げたい。ヒトというのは婚礼の時にそうするんだろう」
「どうしてそんな事を知っているの?」
不思議だった。鬼がそのような人間の慣習を知っているなんて、どういうことなのか。
「青のに聞いた」
「ふーん。でもおっ父さんとおっ母さんは、あなたを見たらきっととても驚くわ。もしかしたら心の臓が止まってしまうかもね」
「……それなら、どうしたらいい?」
赤鬼が少しばかり困った顔になったの見て、凛は「何だか可愛らしいわね」と呟いた。そして腕組みをして、うーんとしばらく首を傾げてから「そうだわ!」と手を打つ。
「私が先に帰っておっ父さんとおっ母さんに事情を話すから、あなたは夜になったら家に来てくれる?」
「お前の家がどこか分からない」
「それはそうね。じゃあ……」
そう言うと凛はその辺に咲いている野花をたくさん摘み始めた。赤鬼も、よく分からないながらも凛を手伝って長い爪の生えた手でプチプチと小さな野花を摘んでいる。
「いい? 私が今からこの花を落としながら帰るから、あなたは夜になればこの花を辿って私の家に来ればいいのよ」
「なるほど。花を辿るとお前がいるんだな?」
「そう。こんな野花が落ちていても誰も拾ったりしないから大丈夫だと思うけど、一応家の前に出て待っているから。私の家は村はずれにある小さな家よ」
二人で大量の野花を摘み終えた後は、凛がその内の一本を赤鬼に差し出した。小さな黄色い花びらをつけた花を、赤鬼は愛おしそうに手に乗せる。
「月の光しかないけれど、どうか目印を見失わないでね。それと、私の名は『お前』では無くて『凛』よ」
そう言って笑う凛はとても美しかった。雨が降れば村は助かる。その為に自分はこの鬼の嫁となるのだから本望だと思っているのかも知れない。
「分かった。ではまた夜にな、凛」
「ええ、それじゃあ帰るわ! またあとでね、赤鬼さん!」
そう言って、来る時よりも心なしか軽い足取りで帰って行く凛の背中を、眩しそうにして赤鬼は見つめていた。手には黄色の小さな花を握って。
「お……?」
だいぶ遠くまで歩いて、突然クルリと向きを変えた凛が小走りで帰って来ると、赤鬼は不思議そうな顔で首を傾げる。
「はぁ……はぁ……、忘れる……とこだった……。あなた、名前は?」
「名前? 俺のか?」
「そうよ……、はぁ……。名前くらい、あるでしょ?」
息切れをするほどに走ってきたと思えば、そんな事だったのかと赤鬼は頬を緩めた。その表情は本当に優しいもので、懸命に首を伸ばして見上げていた凛は思わず見惚れてしまう。
「俺の名は……赤鬼だ」
「は⁉︎ 赤鬼って、そのまんまじゃないの!」
「だが、それ以外に名など無い。他の鬼には『赤の』とか呼ばれているが」
すると少しの間目を閉じて、やがてふうーっと大きく息を吐いた凛は、ビシッと人差し指で赤鬼を指して言った。
「名前が赤鬼なんてダメよ! これからあなたは『紅葉』ね!」
「いや、その名は嫌だ」
真面目な顔で即答する赤鬼に、凛は思わず膝をがくりと折った。すると赤鬼は慌てて言い訳をする。言い訳などしなくとも良いのに、よほど凛に嫌われたくないのか。
「紅葉という名の鬼女が居るんだ。そいつと同じ名は嫌だと思ってな」
「なるほど、確かにそれは嫌よね。では秋にしましょう」
「あき……」
こうして赤鬼は凛によって『秋』と名付けられ、夜になれば野花を辿って村はずれの凛の家に向かうこととなった。
◆◆◆
「凛、それは本当なのかい?」
「本当よ、おっ母さん。赤鬼が……秋が、約束してくれたの。きっと雨を降らせてくれるから」
凛は屋根に木の板と石を乗せただけという粗末な家に戻ると、早速おっ母さんとおっ父さんに事の次第を話した。雨を降らせてくれると聞いて二人は目を丸くし驚いたものの、それよりも可愛い一人娘を鬼の嫁にやるなど嫌だと泣いた。
「でも、このまま雨が降らないと村の人達もおっ父さん達も飢えて死んでしまうわ」
「それはそうだが、凛が犠牲にならなくてもいいじゃないか」
そう言ってしばらく縋り付く父母も頑固な娘が言うことを聞くはずがないと悟ったのか、やがて諦めたように見えた。
「それでは今日は家族で揃う最後の夕餉だね。とっておきの玄米と焼き魚にしようか」
「おっ父さんも、お前の好きな梅干しを壺から取ってくることにしよう」
両親が涙目でそう言うのを感慨深げに見ていた凛は、夜になる前になるべくたくさんの繕い物をしておく事にした。凛が居なくなってもしばらくは困らぬように。
◆◆◆
夜になって赤鬼の秋は、月明かりに照らされている野花を頼りに家の戸口を叩く。
村は久しぶりの雨に皆が喜んでいる頃であった。秋はきちんと約束を守ったのだ。
「すまない、凛はいるか」
秋がそう話しかけると、やがてガラガラと音を立てて戸口が開く。そこから顔を出した凛の母親は、恐る恐る一握りの豆が入った小さな升を秋へと手渡した。
「この豆から芽が出た頃に迎えに来てください。凛は今、嫁入りの支度を整えております」
「……分かった。ではまた来よう」
凛の母親だと思えば手荒なことも出来ず、秋は一旦寝ぐらへと戻って行った。その背中は心なしか元気が無く、自分の降らせた雨に濡れながらトボトボと帰って行く。
「ふぅ、良かった。確かにあの鬼は私たちに手荒なことはしないようだね」
「凛もよく眠っているよ。眠り草がよく効いたようだ」
実は夕餉に眠り草を盛られた凛は、秋が迎えに来たことも知らず眠っている。そして母親が秋に手渡した物はよく炒った豆であり、絶対に芽が出ることはないのだ。
「あの赤鬼にも気の毒なことをしたかも知れないが、凛は私たちの大事な娘なんだ」
「凛がよくても、おっ母さんは鬼の嫁だなんて心配だから嫌だよ」
◆◆◆
翌朝、気持ちよく目が覚めた凛はまだ外で雨音がする事に喜んだ。しかしよく見れば明かり取りの窓の外は明るく、とても夜には見えない。
「え⁉︎ 秋は⁉︎」
すぐに飛び起きてから、一気に不安になった凛は父母に尋ねた。父母は不自然なほどに目を逸らし、凛の方を見ようとしない。
「ねぇ、秋はどうしたの? 迎えに来なかったの? 迷ったのかな……」
心配そうな顔をして尋ねる娘に、二人はとうとう口を開いた。昨日の夜に確かに赤鬼が凛を迎えに来たこと、そして豆の芽が出たら迎えに来るよう伝えたこと。よく炒った豆は芽を出すことが無い豆だということ。
「何でそんな事を? 秋は確かに雨を降らせてくれたのに」
約束を違えた事で秋が悲しんでいるんじゃないかと思えば、凛は居ても立っても居られないで思わず家を飛び出そうとする。
「私は凛が不憫だと思って……! 村の為に犠牲になるなんて……」
「それに、一人娘のお前が居なくなってしまったらおっ父さんもおっ母さんも寂しいじゃないか」
「せめてもう少しだけ時間が欲しかったんだよ」
貧しいながらに大切に育ててくれた両親の気持ちも痛いほど分かる。だけど、約束を違えても村に雨は降り続けていた。それはきっと秋の優しさなのだと凛は思う。
「秋……!」
凛はやはり秋を探しに行こうと考えた。必ず嫁に行くからと、もう少しだけ待ってくれと伝えたくて。そうして戸口に手を掛けてガラリと戸を開けた時、そこに居たのは秋だった。赤褐色の髪から雫が滴り落ちて全身はずぶ濡れ。それでも虎の皮で包んだ物を大切そうに手に持っている。
「秋! どうしたの⁉︎」
「あぁ、凛」
「とにかく中へ入って! ずぶ濡れじゃない!」
秋の大きな身体はこの家に似つかわしくなく、戸口をくぐる時には随分と背中を曲げてお辞儀するようにしなければならなかった。
土間を進んで囲炉裏の前に座らせると、せっせと凛は手拭いで身体を拭いてやった。その際秋は嬉しそうに目を細めたので、凛も思わず頬を染めて気恥ずかしそうにした。
「昨晩は突然現れて済まなかった」
まだ湿ったままの赤褐色の頭を下げて唐突に謝罪の言葉を述べた秋に、少し距離を取って座っていた父母は驚いた。手拭いで未だ濡れる背中を拭いてやりながら、凛はことの成り行きを見守っている。
「凛を早く欲しいばっかりに、父上と母上の気持ちを考えずに迎えに来てしまった。ヒトの気持ちを慮れず済まない」
再び謝る秋の背中に、凛はそっと手を添えた。自然と手が伸びて、そうしてやりたいと思ったのだろう。
「いや、こちらも……その……」
突然の事に口籠る父親に向かって、秋は言葉を続けた。
「それが、『この豆の芽が出たら迎えに来てくれ』といわれたのだが、どうやらこれは芽の出ない豆らしい。鬼の仲間がそう言ったので、きっと凛の母上が間違えて渡したのだろうと思って持って来た」
そう言って秋は濡れないようにと気をつけて虎の皮に包んで持ってきた升を差し出す。中には炒った豆がきちんと入っており、一つも濡れていなかった。
「それは……」
母親が思わず俯き、父親も小さく呟いたきり話せなくなった。あんまり鬼が穏やかな口調で話すから、自分達のした事が恥ずかしくなったのかも知れない。
「秋、おっ母さんはどうやら間違えて炒った豆を渡してしまったみたいなの。ほら、夜だったし私の家は貧しいから暗くて見えづらかったのよ。ごめんね」
父母の気持ちも分かるけれど、もう凛はこの優しい鬼の元へ嫁ぎたいと決心した様子。キリッとした黒曜石のような瞳は強い意志を持って、父母に視線でもって自分の気持ちを伝えている。
「おぉ、やっぱりそうなのか。それじゃあ持って来て良かった。いつまで待っても芽が出ないとなると、凛を迎えに来れないところだったな」
そう言ってフッと笑った赤鬼は、人間よりも人間らしい優しく穏やかな笑顔であった。
「うん、すぐにでも秋のところに行くわ。そうだ、雨を降らせてくれてありがとう。まだ伝えてなかったわね」
「ああ、雷のに頼んだらすぐ太鼓を貸してくれた。これで貸し借り無しになると喜んでいたな」
「そうなの。本当にこれで村は助かったわ。田畑も潤って飢えずに済むもの」
父母も涙を浮かべながらただ黙って秋に向かって頭を下げた。秋はそんな二人を見てどう思ったのかは分からない。
「凛のために寝ぐらを変えたんだ。今度は少しばかり広い屋敷にしたから、凛と離れて寂しいならば父上と母上も一緒に来てはどうだろうか?」
「え……っ、いいの?」
「凛も、父上達と離れるのは寂しいだろう。お前の望みは全て叶えてやりたいんだ」
赤褐色の瞳は優しく凛を見つめている。家族以外にこんなにも凛のことを考えてくれる人など居なかったから、凛は思わず涙を零した。もちろん凛だって、父母と離れるのは寂しかったのだから。
「おっ父さん、おっ母さん。秋もこう言ってくれてるんだし、一緒に行こうよ」
そう言うと、父母は遠慮がちに秋の方をチラリと覗き見た。秋は鷹揚に頷くと、口の端を少し上げた。
「ありがとう……ございます……!」
父母は手をついて頭を下げて秋に感謝した。元々悪人では無いし、娘を想う人間らしい夫婦だ。凛も父母と秋が上手く折り合ってくれて良かったと、そっと胸を撫で下ろした。
◆◆◆
「秋、ちょっと子供たちとお花を摘んで来るわ」
「あぁ、気をつけろよ。あまり遠くに行かないようにな」
「うん、大丈夫よ! 青さん、ごゆっくりなさってくださいね」
小さな子ども二人の手を引いて、凛は屋敷の縁側を離れて行った。残されたのは酒を酌み交わす赤鬼の秋と、青鬼。
「それにしても、まさか凛の家族まで引き連れてくるなんてな。あの升に入った豆を持って帰った時のお前ときたら、今思い出しても傑作だった!」
「青の、笑い事では無いぞ。お前から『炒った豆など芽が出るものか。かつがれたんだよ』と言われた時の俺の気持ちなど分かるまい」
あの豆を持ち帰った日、寝ぐらには雷のと青のが居た。赤鬼の嫁を一目見ようと集まっていたのだ。それなのに持ち帰ったのは升に入った豆のみ。しかもそれは炒った豆で芽が出るわけもなく、人間に騙されたのだと秋を諭した。
「だけどよ赤の、お前もよほどあの凛という女が好きだったんだな。騙されたフリをしてまでまた迎えに行くんだからよ。俺なら腹が立って父母ごと喰ってるぞ」
「そんな事をしたら凛に嫌われるだろう。ヒトというのは鬼よりも情に厚い生き物なんだ。俺は凛の為ならあの父母を喰らうのを我慢できる。今だってあの二人には豪華な部屋と食い物、それに着る物だって与えてある」
父母はこの秋の建てた豪華なお屋敷で、何不自由ない生活を送れていた。近頃は少しばかり欲張りになってきているが、まぁそれは仕方あるまい。彼らも慣れぬ贅沢に目が眩んでいるのだ。
「凛のために、よくもまぁそこまでやるなぁ。一目惚れだったんだよな?」
「……そうだ。初めて凛を見てから声を掛けるまでに一年かかった。やっと手に入れたんだ。父母を養うくらい大したことは無い」
「だけどなぁ、近頃はちぃとばかし我儘が過ぎてるようだぜ? ま、邪魔になったらいつでも言えよ。攫って喰ってやるからよ。豪華な飯食って、あんだけ太ってたら美味いだろうなぁ」
青鬼はそう言って牙を剥き出しにして舌舐めずりをする。秋はそんな青鬼の方を見ながらも、僅かに笑っただけであった。秋にとっては凛と子ども達以外はどうでも良くて、父母は凛のために一応生かしてあるだけ。
「今のところは凛と俺の仲をどうこうしようとしている訳ではないからな。出来ることなら凛の悲しむことはしたくない。無いとは思うが、万が一邪魔をするようになればその時は青のにやるよ」
「そうか、楽しみにしてるよ」
そう言ってまた赤鬼と青鬼は縁側で酒を酌み交わす。
「秋ー! ほら、この花懐かしいね!」
子ども達と共に帰ってきた凛が秋に渡したのは黄色い小さな花びらが可憐な花。美しい妻は秋に優しい眼差しを向けた。そこには常に愛が溢れていて、秋は幸せを感じる。
「ああ、懐かしいな。道しるべの花だ」
〜fin




