1.お姫様の所有物
最初の方、なにかと主人公が辱められる描写が多いですが、作者の癖なので気にしないでください。
風穴からさしこむ陽の光が、石の床にふす男を照らす。あどけない顔に小柄な体からして、まだ年端もいかない少年だ。
少年は寝返りをうってあお向けになり、首コテンと倒して風穴を見つめる。
(今度はこんな冷たい牢屋で死んじゃうんだ)
少年は昔、自分の死んだ状況を思い出す。この世界といい前の世界といい、あまりにも不幸な死に際にもはや笑えてきた。
(もう二日経つのかな)
正確な時間は分からないが、明るくなったり暗くなったり。それを数えれば二日経っている。
(お腹すいた……水、飲みたいな……)
少年が食料や水を口にしたのはちょうど二日前。この世界に来たばっかりの頃だ。
今頃、自分のことなど誰一人として覚えていない。そんな気がして、少年は絶望にくれる。
「はぁ……」
少年はかすれたため息をつくと、今度は鉄格子の向こうを見る。
(だれか来ないかな)
期待をするだけ無駄なのは少年も分かっている。けれど、まだ死にたくない。
(だめか……)
向こうから音のひとつも聞こえてこない。
少年は視線を真上に向けて、天井をボッーと眺める。それから、あくびを一つこぼす。
(なんだか眠くなってきちゃった)
猛烈な眠気に、少年は重力に任せてまぶたを落とす。
(少し寝るだけだから)
これは死の前兆ではない。ただ眠るだけ、疲れたから。少年はそんな言い訳を心にして、眠ることにする。
少年の体がまどろみに溶けていく。スーッと体の力は抜けていき、意識を手放そうとした瞬間、バタンという大きな音で引き戻される。
少年はおどろいた顔で、鉄格子の向こうを見る。パカパカと、かかとが地を踏む音が近づいてくる。
「貴様、名前は?」
高圧的な女性の声が、少年のほうへ飛んでくる。
少年は目をパチクリとさせて、イマイチ状況をのみこめないでいた。ただ、質問内容は理解できている。
「便透です……」
「そうか。ならタヨリ、なにをしてここにいる」
便はその質問で答えにきゅうする。
(どうやって言おう。あれは不可抗力だし……)
便は迷いながら、慎重に言葉を口にしていく。あくまで不可抗力だと伝わるように、ニュアンスに気をつける。
「の、のぞきです……。でもそんな意思は……」
「おだまり!」
鋭い声はピシャリと便の答えをさえぎる。便はでかかった言葉をのみこみ、それ以上は口にしない。
「最後だ。みじめでも生き続けたいか。それとも、苦しんでこの場で死にたいか。選ばせてやる」
「生きたいです」
たくさんの不幸を経験した便に迷いはない。みじめな一つや二つ、はたまたそれ以上。大した苦痛にもならない。
便は覚悟の宿った瞳で、まっすぐに闇を見すえる。
「……インスマ、開けてやりなさい」
こんなみじめな場所で死ぬことはない。嬉しさが弾けて、便の口角は青天井につり上がる。
ドスドスと、今度は大きな足音が聞こえて、便のいる場所にまで揺れが伝わる。
足音は牢屋の前で止まり、次いでガチャリと鍵の開く音。
耳ざわりなギィという音を響かせながら、鉄格子が開かれた。
これで出れる。便がそう思ったのもつかの間、インスマの手ににぎられた首輪のようなものを見て、不安一色に心は塗りつぶされる。
(あれ、つけなきゃいけないのかな)
できるならつけたくない。ただ、それができるような相手ではなさそうだった。
魚顔でタレ目。いっけん、弱そうな見た目に反して、半袖半ズボンからのぞく手足は筋肉質。それに加えて、背はかなりでかい。
(なんかブロッコリーみたい)
それらの特徴は震えあがるほど怖いのに、髪型は個性的だ。
もじゃもじゃで、その形はまさにブロッコリー。便はつい、見てしまう。
(拒むことは許されないよねぇ)
人相から悪い人ではなさそうだが、ゴリゴリマッチョの体を見れば首を縦に振らざるをえない。
便があきらめて首をさし出すと、インスマの手から首輪が滑るように落ちる。カランとこ気味のいい音を立てて、便の前に首輪は転がってくる。
(え?)
便が困惑していると、さらに便を困惑させる一言が飛んでくる。
「つけなさい」
(じ、自分で?!)
冷たくて、固くて、大きい。金属でできた首輪は、起伏も特徴もないシンプルな作り。
便は視覚と触覚で、その首輪をしっかりと感じる。だが、潔くつける気にはなれない。便にだってプライドはある。
「つける気がないから用はない。インスマ、戻ってきなさい」
「ま、待ってください」
(生きるためだから……)
しょうがない。便は生きるためだと心を説きふせて、渋々つける。
カチャリという心地よい良い音が聞こえて、便の細い首は首輪にすっぽりと覆われてしまう。
(うぅ……やっぱり恥ずかしい……)
プライドは捨てされても、恥までは捨てされない。
便は恥ずかしさから頬を赤らめて、手で首輪を隠してしまう。
「死にたくないのならこっちを向いて、手をどけなさい」
「はい……」
「やはりいい顔だ……。初めて会った時から、貴様のような人間にはお似合いだと思ったよ……」
(初めて会った時……?)
便はこの人と会っている。
(女性で……変態で……高圧的な声……。あ!)
便には思いあたる節があった。
そもそも、初めてこの世界に来て会った女性は一人しかいない。
「不届き者!」と糾弾され、弁護のしようもなくこの牢屋に押しこまれた。その原因となる女性。
陽の光がさらに伸びて、その顔を白日のもとにさらす。
(やっぱり!)
鮮紅色の髪にだいだい色の瞳。どこか攻撃的な鋭いまなじりを、便ははっきりと覚えている。
「あ、あなたは……」
便がおそるおそる聞くと、女性はほほ笑む。
その笑顔は冷たく、便の血の一滴まで凍りつかせるほど恐ろしい。
「カトランよ。国王の娘にして貴様の所有者。貴様に許された権限は一つ、はいだけよ」
(国王の娘……お姫様!?)
こんな変態がお姫様。雷に打たれたような衝撃が便に走る。
「インスマ、耳を貸しなさい」
「御意」
(なんだろう……)
今までのことから、便にとっていい予感はしない。
カトラン姫はなにか伝えると、そのままさっさと出ていってしまう。
残されたのはインスマだけ。手には、便のリードをにぎっている。
「来い」
クイクイと引かれ、便の首が引っ張られる。
(ダメだ。立てない……)
歩こうとしても、足に力が入らない。便の体にはもう、振りしぼる力が一切ない。
「立てないです……」
「這え」
(え?)
便は耳を疑う。
この場所をはって進めば、ひざや手には青タンができてしまう。
ゴツゴツとして、冷たくて、下手をすれば青タンではすまないかもしれない。
便がなにも言わないでいると、インスマは口調を強くする。
「早くしろ」
「でも……」
「口答えをするな」
「は、はい……」
威圧的な口調で言われ、便は怖気づいて首を縦にふる。
(嫌なのに……)
****
(良かったけど……良くないかも……)
便の恥ずかしい格好は誰にも見られなかった。だが、ひざには痛々しい青あざがあちこちにできる。それに連れてこられたこの部屋には、敵意がバンバンにある男がいる。
(なんか昔のヤンキーみたい)
リーゼントのような髪型をした男はひとしきり便をにらむと、鼻で笑う。
「こいつ生きてたのか。餌やりしてないから餓死したと思ってたわ」
(こ、こいつのせいで!)
便の体の中で怒りが弾ける。便はこの男のイタズラ心で危うく死にかけた。そのことで怒りはマックスに達する。
「なんだお前?」
便が殺意をこめてにらめば、男はドスの効いた声で便をにらみ返す。
(許さない!)
そんな怖い顔をされても、便の怒りは押し負けない。たえずにらみ続けていると、男は近づいてくる。
「っ!」
「立場わかってんの?」
男は便の髪を引っ張り、鬼の形相を近づける。こめかみには、これみよがしに浮き出た青筋。
(知るもんか!)
便はギュッと口をつぐんで黙りこむ。こんなやつの下だとは、意地でも認めたくない。
「うぜえんだよ!」
男は便の腹を蹴りあげる。便の目は見開かれ、口からはだ液が飛び散り、体はくの字に折れる。
(息が……)
肺の中の空気は外に押し出され、数秒だけ息が止まる。
やっと呼吸ができる頃には遅く、今度は男の手が首に伸びる。
「やめ……て……」
ギチギチと首はしまり、気道は圧迫される。
(苦しい……)
弱りきった体では男の手など振り払えず、便は爪をたてて健気な抵抗をしかできない。
男は依然としておさまりがつく様子はなく、顔はゆでダコのように赤い。
みるみる便の顔は青ざめて、目じりから涙がつたい落ちる。目に宿る生気は失われ、左手はするりと男の手から落ちていった。
(死にたくない……)
「ダルバ、そこまでにしろ」
便の右手が落ちる手前、男の手がはなれていく。
インスマは便とダルバの間に割ってはいると、鋭い目つきで両方を牽制する。
(助かった……)
欲していた酸素に、便は体全体でかき集める。落ち着きのない呼吸をなんどと繰り返し、必死に呼吸を整える。
ダルバはその様子を後目に、不満をインスマにはきつけた。
「お前にとって人間は目の敵だろ。なんで助けた」
「今はカトラン姫様の所有物。壊すことは許されない」
インスマが淡々と答えると、ダルバは大きな舌打ちをこぼす。
「そうかよ。さすがは隊長様だ」
(仲が悪いのかな)
明らかな皮肉を言っても、インスマは顔色ひとつ変えずにじっとダルバを見る。
「なんだよ」
さすがの視線にダルバはこたえたのか、適当な言葉で紛らわす。
「ダルバ。カトラン姫様からの命令だ」
「先に言えよ」
(ギスギスしてる……)
さっきまで中心であった便は、今では邪魔者のようになっている。
それほどに二人の亀裂は深く、他を寄せつけないほど根深いもののようだ。
(この空気って居心地悪い……)
逃げれるのなら逃げてしまいたいが、便はそうにもできない。嫌でもこの場に留まるしかない。
インスマがダルバに命令を伝えると、ダルバは部屋の奥へと向かう。
(なんだろう)
便は胸中穏やかではない。あのカトラン姫、首輪をつけさせたド変態の命令はろくなものではない。そんな気がした。
(ご飯だ!)
便の予想を裏切り登場したのは、喉から手が出るほど欲しかった食料。
木の皿には野菜が山盛りに盛られて、便のお腹が鳴る。
便にとって二日ぶりの食事。食べられるなら、この際見た目や味はどうでもいい。
(あれ、はしとかフォークって……)
食べる道具がなくては、食事ができない。手で食べようにも、便の手は道中の汚れを吸着している。
「あ、あの……」
「ああ?」
ダルバは不満そうに、しゃくり上げる声で便をにらみつける。インスマにいたっては、じっと見下ろす。
場の空気が言うことを悪としているようで、便はなかなか口を開かない。
(怖い……でも!)
「どうやって食べるんですか……」
その言葉にダルバもインスマも唖然とする。
(変なこと言ったのかな)
返答がなく、便が不安になっていると聞こえてきたのはインスマのため息。
インスマは歩み寄ると、膝を落とす。
「手でつかみ食べる」
(手食文化!)
インスマはジェスチャーで示して、便は納得する。
便の育った世界との食の文化がまるで違う。ならばと手を伸ばそうとするも、手は止まる。
(汚いんだった……)
このまま食べたら、腹は満たせても病気にならない保証はない。
(手を洗いたい)
便がそう思っても、よしとするのはまずなさそうだった。
食事の文化を教えてくれた空気を思い出せば、許容されるようには思えない。
(こうなったら……!)
便はならばと、おもむろに口を伸ばす。はしたないことは百も承知で、犬のように食べ始める。
(幸せ)
恥とか惨めは、幸せによってホロホロにされた便にはどうでもよい。腹を満たせる幸福を、野菜クズを噛みしめることで実感していた。
食べに食べて、もう半分もない。
(あれ……?)
そこにきて、便は異変に気づく。
(眠い……)
まぶたが重い。それもかなり。今、こうしてあごを動かすのもやっとなくらいにボッーとする。
便はウトウトとし始めるも、口は止まらない。
(もうダメ……)
ついに眠気が限界に達して、便はパタリと倒れる。
スースーと呑気な寝息を立てて、この場の状況などつゆ知らず。
インスマとダルバは、悪い顔をして便の上に立っていた。
次は2週間後の22日を予定してます。私が存命であれば、遅れる場合はここでお知らせします。
この作品は手を加えましたが、次の作品は未着手です。もし、この作品が期待にそう代物で、次を期待している人がおられましたら、申し訳ありません。9月7日(月)までには直す予定です。