獄炎
俺とクレアを乗せた薄緑色と水色の飛竜が空を駆けること約一時間。
報告のあった東の渓谷が視界に入ってくる距離まで進むことが出来た。
一見、変わった様子のない渓谷だが、その上空には多数の飛竜が警戒している様子で徘徊している姿があった。
「飛竜の数が多いな」
「報告にあった通り、飛竜が襲われたみたいね」
仲間の意識が強い飛竜は、群れの一体でも外敵から攻撃を受ければ群れとなり反撃に出る。
現状は、その相手を探している最中なのだろう。
同じ飛竜を従えているとはいえ、怒り心頭の状態の飛竜に近づくのは危険なので、騎乗した飛竜の首を優しく数回叩くと目的の大地を指さして誘導する。
クレアの飛竜も従うように降下を始めた。
地上に着地すると、万が一の際は竜たちが逃げれるように手綱を固定することはせずに、最低限の荷物を手に飛竜の群れが浮遊する場所へと歩みを進めた。
「随分と警戒しているわね、上空の飛竜は」
「もしかしたら、あいつじゃ手に負えない竜なのかもしれないな」
ルイガ大陸において、飛竜は飛行生物としては屈指の力を持つ。
その飛竜が空を旋回しているだけで降下してこないのは、手の負えない理由でもあるのだろう。
警戒を強めて、二人肩を並べて道なき道を進む。
情報では、渓谷の最奥に竜とおぼしき姿を確認したらしい。
この渓谷は暴風を度々生み出すので、地上に動物などの影はない。
周りの観察をしながらも渓谷を進むが、竜の姿は見つからず進行を妨げる大きな岩山にぶつかる。
「大きな苔岩ね……これを超えて進むのは難しそうだわ」
クレアが指先で岩をコンコンと数回叩く。
確かに、十メートル以上ある岩山を超えて先に進むのは一苦労しそうだ。
一旦引き返して、この先は飛竜に乗って確認をした方が良いと二人の意見がまとまり、引き返そうと踵を返す。
「グォ……」
「何よ、変な声出して、構ってほしいのかしら?」
「いや、俺は何も言ってないけど?」
突然、クレアが俺に言った。
心当たりのない会話に、首を傾げて答えると彼女はいやいやと首を振る。
「グオグオ言ってたじゃない」
「だから俺じゃないって、空の飛竜とかじゃないのか?」
空を指さし、上空を見上げる。
しかし、先ほどまでいたはずの多数の飛竜は姿を消していた。
周囲を見回すと、一斉に俺達の乗ってきた飛竜が降下した方向へと空を駆けていた。
「ほら、あなたじゃない」
そう言って、自信に満ちた笑みを浮かべてニヤニヤとしているクレアに、そんな理不尽な……と思いながらも、これ以上の問答は不毛と思い後退する歩みを再開しようとする。
その時、確かに俺とクレアの耳に届く音があった。
「グルルルっ……」
一瞬、彼女が腹でも鳴らしたのかと見やるが、彼女も同じような考えを抱いたのか視線が交差する。
そして、腹の音が鳴ったにしては大き過ぎやしないかと、奇妙な疑問に突き当たる。
音が聞こえた方向、それは岩山に遮られた方角で二人で顔を後ろに向けると、苔の生えていた岩山は少しづつ動き始め、その形を変えていく。
「……」
「……」
暫くして、岩山があった場所には一匹の竜が佇んでいた。
翼は飛竜の倍以上の大きさがあり、鱗は鉱石のように光り輝く。
見え隠れしている尾には、岩を砕く剣山が生えている。
「飛竜を超える巨体に深緑の鱗、尾には剣山のような棘……こいつ、史実に出てきた“ファフニール”よっ……!」
あわあわ、なんて効果音が聞こえてきそうな素振りでクレアが指をさして、三つの条件から導き出した答えは、ファフニール。
かつて、神々が支配していた時代にこの空を駆っていた竜の一匹だ。
「史実上の竜がなんで? 上位の竜なら人の言葉も理解しているって聞いたことがあるけど」
「ッ……! 言い伝え通りならね、でもなんだか普通じゃなさそうね」
すぐに後ろに下がり、距離を取ってから俺はクレアに尋ねた。
だが、彼女も状況の理解に追い付いていないのか、額に一つの汗を流して言った。
岩山に擬態していた際には微塵も感じなかったのだが、目の前に佇んだ瞬間伝わるただならぬ魔力。
内包している魔力が飛竜の比ではない。
「飛竜が手を出せないわけだ……」
苦虫を嚙み潰したように、喉の奥から絞り出した一言にクレアも小さく頷く。
「グォォォォォ!!」
大地が揺れ、崖は所々が崩壊するほどの大きな咆哮。
両手で耳を覆うが、反響した音とその振動で僅かに動きが固まる。
ファフニールは、俺とクレアの姿を視認すると大気の空気をその巨体に集める。
口に収束された空気は、次第に緑の魔法粒子を纏い輝く。
風の咆哮だっ……!
クレアも同じ判断をして、腰に携えた金色の細剣を抜き放つ。
俺も同様に、黒剣を手に取るとすぐに魔力を込めて切っ先を前方へとかざした。
「来るわよ! 炎華花弁!」
「クソッ……審判の輪!」
炎の花びらが舞い、ファフニールの体に触れると爆風が吹き荒れる。
その間に、俺は審判の輪を形成して魔剣の能力範囲を広げた。
人が受ければ、一枚でも気絶してしまう炎の花びらでも、その巨体と鱗の前では意味をなさず、口元に魔力を溜める竜の動きを封じることは出来ない。
溜めた魔力を足元の魔族二人へと照準を合わせて、風の咆哮は躊躇うことなく放たれた。
「拒絶!」
「炎華障壁!」
大地を砕く一撃を、拒絶の能力で魔力を消し去るが、咆哮は止まらない。
クレアの炎華障壁が、激しい火花を散らして盾を成す。
堅固な障壁も、ただの咆哮一つで亀裂が入り砕ける寸前まで追い込まれた。
崩壊寸前のところで、竜の口から放たれた咆哮が収まり、巻き上げられた砂埃が一帯を覆う。
「見境なしね、これでは言葉が通じているかも分からないわ」
彼女が呟いて後ろを振り返ると、本来そこにはあるはずの道や岩々は一片すら残すことなく粉々に破壊された後だけが残る。
これには、流石に笑うことが出来ない。
「悠長なことをしていたら、こっちがあの世行きだな」
「分かってるわよ! まる焦げになっても知らなんだから、魔剣カイム!」
クレアが握る魔剣は、真名を口にすると一層の輝きを増し燃え盛る炎が刀身を覆う。
その炎は大炎と変わり、渦を巻くように彼女の周りを包み込む。
魔剣カイム、炎を司る魔剣であり魔族の中でも最大の火力を誇る。
主の意思に従い、大炎は収束し一つの球体へと変わる。
「炎華炎獄……地獄の業火!」
細剣の剣先へと収束した炎の球体はその枷を外し炎の柱となりファフニールを覆い、さらには空に広がる雲すらも霧散させる一撃が放たれる。
クレアを中心に、炎が届いていないはずの地上の草木もその炎熱に燃え上がる。
獄炎の王女クレア。
魔族の王女が放つ獄炎は、一帯を焼土と化す威力の一撃だった。