終末と戦車 3
横に吹く風、私を追い越す風、向かってくる風、この街に吹く風はいつもどんなときも冷たくて乾いてる。
ホネスケ軍人さんからもらった地図はすごく正確で、道に迷うことはなさそう。 もともと、こんな世界だから迷うっていう考え方はないんだけれどね。
んー、この辺り食料はあっても、水が全然ないな。 地図は建物のことしか書かれてないから水のありかなんて分からない。 どうしよう。
進んでも進んでも、水の気配なんか全くない。 もしかしたら、戦車に乗ってるから気付かないんじゃないかと思って、周辺を歩きで探索することに。
う~、お尻が痛い。 ずっと戦車の硬いシートに座ってるから、腰とか背中とかお尻とかもう。
移動は楽でいいんだけど、私はやっぱり歩きがいいかな。
とかなんとか、そんなことを考えつつ、ライトとバッグを持って、さあ出発。
さすがに地図には水のありかは書いてないな。 自分の足と勘だけが頼りって感じ。 水のボトルか、水溜まりがあればいいんだけど。
うーむ、この十字路は右に行くか左に行くか、それとも真っ直ぐか。 悩ましい。 ここは、右かな。
この判断はあたりかはずれか、すこし楽しみつつ軽快に進んでいた私。 だったけど。
あちゃー。
倒れたビルが大通りを完全に塞いでしまっていて、ネズミが通れそうな隙間や穴がいくつかあるだけだった。
はじめは倒れたビルを登ろうかとも考えたりしたけれど、脆く崩れやすいのでやめておくことにする。
引き返すのはいいんだけど、どっち行こうかな。 ん。 この音、なんだろう。
あー。 これは。
突如、聞こえてくる音を頼りに全力懸命に走り始めた。
バッグの中身がガシャンガシャンと暴れてぶつかり合っている。 しかし、私はそんなことを気にしないで走った。
そして、たどり着いた。 音の正体。 それは、川だった。 土のない、と言うより、すべてをコンクリートで覆われたこの街での川は、コンクリートの窪みを流れる水のことを言う。
やっぱり。 川だ。
どこから流れてきているのか不明なこの水だが、決して汚くはない、それどころかとても透明度が高く例えるならプールのようだ。
深さは1.5メートルくらい、幅は12から13メートルと、そこそこ大きい。 流れは遅く、泳げそうな川だ。
これで、汗臭い服が洗えるし、飲み水も確保できる。 それじゃあ、ついでに。
ザッパー
泳いじゃおう。
下着だけになって川へ飛び込んだ。 なかなかに冷たかったけれど、疲れ汚れたこの体にはそれが、気持ちよく感じた。
川につかりつつ汚れた服のお洗濯だ。
ジャブジャブジャブジャブ
お洗濯。
フヒュウー
川と平行に駐車している戦車。 その折れ曲がった砲身に良い感じに洗濯した服を干している。
私は、下着姿のまま戦車の上で大の字。 つまり、私も、干している。
フヒュウー
ビルの間を駆け抜ける風の音。 そばを流れる水の音。 うん、なかなかいい。 ちょっと肌寒いけど。
改めて、コンクリートに覆われビルが立ち並び、あちらこちらに放棄された戦車や墜落した戦闘機や無人偵察機があったり、空には戦艦が飛んでいたりするこの街は面白い。
こうして、なにもない時間も、この街は。 いや、流石になにもないと暇だな。
それから、たぶん二時間くらいたったから、そろそろ乾いたかなと思い、起き上がった。
うん、乾いてる。 それじゃ着替えてしゅっぱ。
何度でも確認する。 ここは、いろいろあるのに何にもない街。 動物にも人にも、会うことはない。 そんな街。 そのはず。
それなのに。 もし私が戦車の上で寝転がっているうちにうたた寝して夢でも見てるのならあるいは。 でも、こんなにも意識がハッキリしていて現実味のある夢なんてそうそうない。
私は開いた口が塞がらなかった。 対岸を歩くその人を見たから。 赤い髪で白いボロボロワンピース。
この街で生きた動物、生きた人を見ることがあるとは思っていなかった。 それに加えて、容姿があのガソリンスタンドのホネスケ軍人さんの書き残しと一致するところが多いときた。
女の子、という年でもなさそうだけど、ホネスケ軍人さんが書いたと思われる時期を考えるとそれ相応かも。
い、いったい。 あの人は。
女の人はどうもバケツで水を運んでいるみたい。 たぶん、こっちに気付いてる、と思う。 でも、とくに驚いたりする様子もない。 そして、止まる様子も。
私は、その女の人の向かう先を把握すると、すぐ服を着て、外に出ている荷物を適当に戦車に積み込んだ。
戦車は全速で近くの橋を渡り女の人のところへ。 女の人のすぐ横まで来ると、私は頭を出して声をかけてみることにした。
「あ 、 ちょっと、そこの人!」
声出すのが久々過ぎて最初声が出なかった。 しかし、どうやら私の声が聞こえたようで、立ち止まりこちらに振り向いてきた。
しかし、私はこの後のことを考えてなかった。 なんて、話せばいいのか。
「え、えっと。 あ」
モタモタしていたら、何を思ったのか女の人は再び歩き出してしまった。 仕方ないから、その人の後ろを戦車でついていくことに。
あの人、どこに水を運んでるんだろう。 それ以前に、どうして私を見て驚かないんだろう。 どうして何も話さないんだろう。
しばらくついていくと。
これは、驚いた。
このコンクリートとビルと兵器だらけのこの街にとって珍しい。 土の地面のある場所に出た。
この街唯一、植物のある場所だと思う。 貴重なので傷つけないように戦車は土の地面の手前に止めた。
最低限の荷物をバッグにつめて戦車から降りると、その凄さはさらに伝わってくる。
よく分かんないけど、この外と比べると空気が綺麗な気がする。
この土の地面はよく耕されていて、あらゆる作物が植えられている。
女の人は植物に夢中になっている私を無視して、この土の地面の端に建てられた家に入っていった。 と思ったらすぐに手ぶらで手できた。
どうやら、水バケツを中に置いてきたみたい。
「ねえ」
呼び掛けに応じるようにこちらを見てきたので今度こそ。 話さなきゃ。
「えっと、これを育ててるのはあなたなの?」
「はい」
「ここに住んでるの?」
「はい」
んー、会話が続かない。
「他に、誰かいないの?」
「います」
「どこに?」
「二階、一番奥の部屋に」
「入ってもいい?」
「はい」
「ありがとう」
女の人は畑へと歩いていった。
普通に話せているようには思えるけど、それが逆に異常。 こんな街で普通に話せないことこそ普通なのに。
ホネスケ軍人さんが言った違和感って、このことなのかな。
そう考えつつ思いつつ、家の中に入ってみる。
「失礼しまーす」
あれ、誰もいない。
家のなかは埃が積もってたりしてなくて清潔だけど、あんまり生活感がない。 唯一それを感じれるとしたら台所ぐらい。
他はとくになにもなさそうだし。 二階の奥、だっけ。 行ってみよう。
一階はあんなにも綺麗に保たれていた。 にも関わらずどうしてなんだろう。 階段の途中から二階すべて、まったく掃除されていない。
最近、誰かがここを通った形跡もない。 本当は誰もいないんじゃないかと疑いたくなる。
一番奥、この部屋に人がいる。
コンコン
返事がない。 もしかして、寝てるのかな。 これは、勝手に入っていいものなのか。 うーん、悩む。
それにしても、寝てるにしても何してるにしても、物音がないというのは、ちょっと不自然。
「は、入りますよー」
部屋はそこそこ広め。 ベッドと本棚がひとつづつ、壁に設置するタイプのちょっとした収納がふたつ、そして両腕いっぱい広げたくらいの大きさの窓がひとつ。
あとは、机と椅子。 机にはたくさんの紙が無造作に置かれていて、椅子には人が座っていた。
しかし。
とても「なにか用かね。 お客人」とは、言ってくれそうにない。
床に、髪の毛が散り落ちている。 改めて説明すると、椅子に座っているのは、ホネスケさんだ。
さっきの女の人、気づいてないのかな。 紙、なにか書いてある。 リピト持ってきて正解だった。
「まず、見苦しいものを見せてしまって、すまない。 しかし、ここ以外であってはならなかったんだ。 これを読んでいるということは、君は女の子に会ったと思う。 その子に私の醜い姿を見せないためにここを最期の場所にしたのだ。 許してくれ」
自殺。
「こうしようと思った理由を書く。 興味がなければとばしてくれていい。 だが、ひとつ頼みたいことがある。 それだけは、どうか読んでくれ。 それは最後に書いてある。 では、まず理由を、私はある大きな間違いを犯した。 取り返しのつかない間違いだ。 世界がこうなる前、あの女の子は戦災孤児で私は外科医だった。 大ケガをしたあの子が病院に運ばれてきて、私はその子の主治医となり懸命に治療にあたった。 みるみるうちにあの子は回復していった。 しかし、それと比例するように戦争は苛烈を極め、とある夜、病院は空襲によって破壊された。 突然のことだった。 あのとき病院で、街で生き残ったのは、おそらく、私とあの子だけだった。 その夜から私はあの子はたった二人だけで、この世界を旅をすることになった。 はじめは人に会うこともしばしばあったが、今は誰にも。 旅をはじめて約2年。 この場所を見つけた。 土もある水も近くに、家だってこんな立派なのが。 この世界に残った、唯一の安息の地だと思ったよ。 だが、あの子の口から出た言葉は安堵のそれではなかった。 「この世界は終わったの?」と、聞かれたんだ。 「ここ一年、誰も見なかった。 病院を壊した空襲も、あれきり。 ねえ、世界は終わってしまったの?」 私は、分からないと言った。 私には分からないとしか。 それしか、言えなかった。 情けない話だ。 それから半年、私達は平穏な暮らしを送っていた。 土に植物を植え、食料はそこから。 近くの川から水をくみ、なんとか生きてきた。 その間もたびたびあの質問をされた。 同じ答えしか返せなかった。 そして、ある夜のこと。 あの子は、自殺しようとしていた。 ナイフを首に向けていたんだ。 どうにか阻止することができた。 どうしてこんなことをしたんだと問い詰めると「殺させて殺して怖い。 もう耐えられない。 感情なんか、なければ」と、震えながらそう言った。 私は医者。 医者の勤めとは病気を治すこと。 外科医なら外科医のやり方で、病気を治さなければ。 あの子から恐怖を取り除かなければ。 あのとき私はそう考えた。 感情など、終わった世界において、邪魔であると、そう考えた。 感情があるから死にたいと思う、恐怖を感じる、耐えられなくなる。 感情は病巣だ。 今思えば、それは狂気的で血迷った考え方だと分かっている。 あのときは、短絡的に一方から考え過ぎた。 あの子のことをちゃんと考えていたら、前頭葉の切」
私は思わず、リピトのボタンから手を離した。 続きを聞くのが、とても怖かった。
あの女の人が、こんな世界で、普通にしていられる理由が、これだと悟った。
大きく深呼吸をして落ち着いてから、再びボタンを押した。
「前頭葉の切除など、しなかったのに」
そんな。
「あの子は、はじめてあの質問をしたときから、いや、それよりももっと前から。 世界が終わったんだと気づいてたんだ。 それでも、嘘でもいいから、私に、大丈夫と言って欲しかったんだと思う。 いや、言えなくとも、笑っていれば。 どんなに絶望的状況でも押し潰されてしまいそうでも、大人が子供に笑顔を見せられないなどあってはならない。 あの女の子に、恐怖と苦しみを与えていたのは、この世界じゃない。 臆病な私だった。 それなのに、原因は感情などと。 それが、私の後悔。 自殺の訳だ。 そう、自殺をしようと考えたときから、私はあの子に、私の部屋に入らないように言った。 それと、生きるように言った。 植物を育て、水をくみ、育った作物を食べ、生きろと。 それを、一人でやるんだと。 今も、生きているなら私の言いつけを守り、いつも変わらない日を送っているだろう。 私は死ぬ。 あの子は生きる。 何十年も、こんな世界を、ずっと一人で。 嫌なことはすべて他人に押し付けて、自分は自殺で終わりにしてしまうなんて、腹立たしい話だとは理解している。 しかし、私にはできないのだ。 あの子のあの目を見るとどうしても、できないのだ。 引き金を引くなど私には。 だから頼む。 あの子を、終わらせてあげてくれ。 私にはできなかった」
─もし、この先、この街のどこかで、赤い髪で白いワンピース姿の女の子を、どこか違和感を感じる女の子を見つけたら、 俺には でき─
軍人も外科医も、殺すことでしか、終わらせられないと信じている。 でも、本当にそうかな。 もっと、別の方法はないのかな。
きっと、ある。 そうだ、あの子と旅をしよう。 もう一人くらいなら戦車に乗れるし、食料も十分ある。 そうしよう。
私は急いで畑に向かった。 あの人のいる畑に。
「ねえ! 話があるんだけど」
「だーめ。 それはできないわ」
「え?」
「それより、ひとつだけ聞いていいかしら?」
「え、うん」
「この世界は終わったの? ここ一年、誰も見なかった。 病院を壊した空襲も、あれきり。 ねえ、世界は終わってしまったの?」
女の子。
「ううん。 きっと大丈夫だよ」
私は、笑顔でそう言った。 すると、女の子も笑顔になった。
「 」
「今、なんて」
私は女の人がなんて言ったか分からなかったけど、どこかを指差したので、そちらに目を向けた。 どうやら家を指差していたみたい。
「家がどうかした?」
そこに女の人の姿はなかった。
私は不思議に思いつつも、あの人が指差した家に戻ってみることにした。 するとどういうことなのか。
家は、さっきと比べ物にならないくらい埃だらけだった。 もう何年も掃除をしていない感じだった。
そんな、さっきまで、あんなに綺麗だったのにどうして。
二階に行ってみた。 さっきと同じ、一番奥の部屋へ。
椅子には誰も座っていない。 ホネスケの姿がどこにもない。 机にあったあの紙も無くなっていて、あるのはたった一枚の紙切れ。
そこには一言だけなにか書いてあった。 リピトのボタンを押してみた。
「ありがとう」
ブロロロロロ
戦車のエンジンをつけ、発進。
荒れ地を後にした。