090.胸に宿す志こそが心満意足なりて
ちょっとした話の流れから、私はアライル殿下とお出かけする運びとなった。年頃の男女が一緒に出かけるため、おそらくはデートなんだろうけど。
ではそのデート、どこへ行くのかと尋ねられたら……答えは『知らない』である。
なんせ私は今、馬車の中にいるのだから。この馬車は家のではなく、アライル殿下が乗ってきた王家の馬車である。家のだって結構高級な馬車なのだが、さすがに王族御用達の馬車には勝てない。内装とかの話ではなく、馬車の設計や構造技術においての話だ。特に揺られた時の馬車から伝わる振動が、この王族馬車は非常に小さく緩やかになっている。車輪からの衝撃を緩和する構造に、高度な技術が用いられているとかかしらね。
そんな馬車に乗っているのだが、今の私には一つだけ不満があった。それは──
「あの、どうして窓のカーテンが閉められているのですか?」
何故か馬車の窓は、内側にあるカーテンがひかれて、外が見えなくなっているのだ。
「んー……まぁ、ちょっとした決まりごとでね。今から行く場所は、王族とそれに連なる一部の者のみがしっている場所でね。たとえレミリアが聖女であっても、目的地への道を明かすことはできないんだ」
「……そうなんですか」
「でも、そうだな……。今ここで私と正式に婚約を交わしてくれるなら、すぐに外の景色を見ながらの道中にしてもいいのだが?」
「あらま、それじゃあ目的地まで外の景色はおあずけねー」
一も二も無くバッサリとお断りをする。現状でもそこはかとなくそういった関係に近いような気もするが、正式に婚約をするとなれば話は大きく変わってくる。そこをきっかけにして、ゲームのメインシナリオ=悪役令嬢破滅シナリオへと移行しないとも限らない。
だから遠慮なくお断りをするのだが、それをうけたアライル殿下はいつも少し寂しげな表情をする。……まぁ、正直私も申し訳ないなぁーとは思ったりする。彼が向けてくる想いは、昔から真っ直ぐで純粋だったから。それを、明確にできないこちらの都合を伏せ、お断りをしているのだから。
そんな事を何度も考えていたからだろう。馬車の中で二人きり……遠慮のない空間だから、私も思わず口に出してしまった。
「アライルの事は嫌いじゃないわ。むしろ好ましいと思っているわよ。でも、今はまだ良い返事ができないわ、ごめんなさい」
「えっ!? じゃ、じゃあその…………」
私の言葉をじわじわと理解して、向ける表情がゆっくりと高揚していく。そんなアライル殿下は、何かを言おうとするも、上手く言語化できないようで数回言葉を発しようとした後つばをのみこむ。
そんな様子を見て、どこか楽しくなった私は笑みを浮かべる。
「わかったよレミリア。君が待てというのなら、俺はいつまでも待ってやる!」
少し荒々しいほどに元気な声で、アライル殿下はそう宣言した。彼にとって今の会話は、望む答えにはたどり着かないものの、大きな前進を得たものだったから。
そんな彼の言葉から、アライル殿下も遠慮の無い物言いをしていると感じる。それならいっそ、普段聞けない事を聞いてやろうかしら……なんて事も思ったり。
「……アライル、ちょっといい?」
「ん? なんだい?」
呼び捨てで呼ぶ私に、嬉しそうに返事をするアライル殿下。最近では、二人だけの時はこうやって呼び捨てる事も多くなってきたわね。そして、そういう時のアライル殿下も口調はいくぶん砕けており、気心知れた仲間みたいな感じで話ができる。
「こんな事をいまさらって思うかもしれないけど……私のどこに惹かれたの?」
「…………は!? な、何を言い出すんだよ急に!」
一拍置いて愕いた後、顔を赤くして叫ぶアライル殿下。んー……以前よりもだいぶ落ち着いたと思ったけど、このあたりはやはり15歳の若者らしき初心さねっ。
「時々考えてたんだけど、私が貴方に好かれるような要素あったかしらってね。勿論、嫌われるよりも全然嬉しいけど、どういった所に好意を持たれたのか……」
「そ、そんな事、言えるわけないだろうがッ!」
アライル殿下の頬の高揚は、怒りではなく多大な照れだ。その元になっている事柄の理由を知りたい……そう思った時。
「アライル殿下! そろそろ目的地へ到着いたします!」
「!! ああ、わかった!」
御者より、もうすぐ到着との言葉が飛んできた。今回アライル殿下たっての希望により、普段は同行するミシェッタも家に置いてきたのだが、さすがに御者までは外すことはできない。
とはいえ王族御用達の御者故に、信頼もことさら高いのだろう。何より今回の目的地を知っているという事だけでも、それだけの立場にあるのだと理解できる。
程なくして馬車が止まる。そして御者が外へ回り扉を開く。まずはアライル殿下が外に出て、そこから手を差し出して私の降車をエスコートした。
そこで見た景色は、目の前に広がる一面の森。
「えっと、ここは……?」
「こっちだよレミリア」
降車の際に手を受けてもらったのだが、そのまま握っていた手をひかれた。アライル殿下の向かう先は、それっぽい道はあるが森の中へと進んでいくものだった。流石に少しとまどい御者を見ると、恭しく頭を下げて私達を送り出していた。えっ? えっ!?
こんな人気の無い森の中で一体何を……と一瞬思ったが、アライル殿下の性格上そういった事ではないと思う。確たる根拠はないが、今の私は彼に対しては十分な信頼を持っている。それならば何を……と思いながら連れて行かれると、ふいに森が途切れて開けた場所へ出た。
そこは先ほどまでの森とは、うってかわって広がる草原……いや、花畑だ。色とりどりの野花が瑞々しい姿を見せ、その向こうには……湖かしら? 池というよりも、湖と呼んだほうが相応しい水の溜まり場があった。
ここで、ようやくアライル殿下が手を離した。
「レミリア、ここは王家の人間しか入れない『精霊の地』だよ。王家の者以外は、王族に手を引かれて入ることも可能だけど、それでも資格の無い者は入ることが出来ない場所だ」
そう言われた私は、もう一度周囲を見渡す。多くは名前も知らない野花だと思うが、その咲き誇る力強さは王宮庭園の花にもひけを取らない。それに向こうに見える澄んだ湖は──。
「ここは『聖地』ね?」
「……やはり君にはわかるんだね。そう、ここは王家に代々伝えられている聖地だ。聖女であるレミリアなら場所を教えても構わないと思ったが、一応そこは規則だったのでこのような案内をとらせてもらった」
アライル殿下の言葉を聞きながら、私はようやくある場面を思い出す。それは乙女ゲーム『リワインド・ダイアリー』で、主人公がアライル殿下と聖地へ遊びにきたイベントだ。
そのイベントでは二人は聖地にきているのだが、所詮ゲームというだけあって出発から到着までの道中が一切カットされていた。アライル殿下に誘われたメッセージが表示された後、画面がフェードアウトして次に出てくるのはもうここの場所だったのだ。なので今の今まで、そのイベントに出てくる聖地がここだという事はすっかり失念していた。
ゆっくりと花達の中を歩く。間違って踏み潰さないようにと足元を気にするが、ちゃんと私が歩けるだけの道らしきものがある。そこを進みながら、周囲に咲き乱れる元気な花達を見る。どこかほのかに光を帯びているような花達の道を進んでいくと、綺麗な湖にたどり着く。その綺麗な水にひかれ、そっと水面へ手を伸ばして指を触れる。風のない穏やかな湖面に、私が触れた小さな波紋が広がる。
「わ!? な、何!?」
「これは……」
驚く私達の周囲で、草花からふわっと沢山の光が漏れ溢れる。まるで綿帽子のような小さな光が、何十何百と一斉に花畑から浮き上がったのだ。
そして湖面の波が通り過ぎた後から、ふわふわと同じように光の玉があふれ出してゆれ浮かぶ。
「精霊達が喜んでいるんだ。久方ぶりの聖女の訪問に……」
「えっ」
アライル殿下の言葉に、思わず声が漏れてしまう。なんというか……私なんぞが訪問したのを、本当に喜んでくれているのだろうか。だが周囲の光たちは、私の方へふわふわとあつまり、そして周囲を楽しげな感じで飛び回っている。
「……歓迎してくれてるのかしら?」
そう問いかけてみると、強く明滅しながらもふわふわと飛んでいる。空から振る雪をうけるがごとく、そっと掌をひろげるとそこにふわりと光が降りる。その光がとても温かくて、言葉はなくとも思いが伝わるような気がした。
「ふふ、ありがとうね」
私の言葉に、揺れていた光がみな強く光り返してくれた。それがまた妙に嬉しく感じた。
そんな私を見ていたアライル殿下が、ポツリと呟く。
「……そういう所、かな」
「えっと、何が『そういう所』なんですか?」
ちょっと理解できなくて聞き返すと、アライル殿下は笑みを深くして答えてくれた。
「さっきの答えだよ。俺が君のどこに惹かれたのか。上手く言葉にできないけど、多分そういう所なんだろうってね」
そう言って、本当に楽しそうに笑みを零した。
その笑顔はよくみるアライル殿下の笑みながら、年相応の少年っぽさを残した心底楽しげな笑顔だったので、柄にも無く少しだけドキリとしてしまった。本当に楽しそうな笑顔だったから。