088.情けは人のためなれ恐悦至極
夏休みも十日程が過ぎ、日本でいうところの七月末あたりとなり、いよいよ夏休み慣れしてきた今日この頃。私とマリアーネ二人で……正確に言えば専属メイド二人もいるから四人で、街へとやってきた。
学園に入ってからも休日には時々来ていたが、ここ最近は少しご無沙汰だったかな。
「おっ! 聖女様~!」
「聖女様、お久しぶりですー!」
「こんにちは、聖女様ー」
街の中央通りに入り、周囲に屋台などがならぶ場所へくると、すぐさま私達を見た皆さんが笑顔で声をかけてくれる。この人達は以前からこうして気軽に声をかけてくれていたが、私達が聖女だとの発表後も呼び方が変化するだけで、変わらず接してくれている。何気ないことだが、あまり堅苦しい事が苦手な私達としてはありがたいことだ。
私達はよくこうやって街へ来るが、その時は誰しもが楽しそうにしている。もちろん大勢の人が集まるため、幾らかの諍いもあるが、それが禍根になって燻るような事にまではならない。皆が前向きに毎日を生きているためなのだろう。
この国の両陛下は、きちんと自国の民の事を考えてくれる方だ。そして、両陛下よりも平民達により影響する立場の領主は、娘である私達から見ても非常に出来た人物だと思う。その結果がこの人々の笑顔で、街で、国なんだと思うと、自分で何かしたわけじゃないけどちょっと誇らしい……なんてね。
とりあえず、いつものコースを散策しながらかけられた声に手を振って歩く。中には同行しているミシェッタやリメッタにも挨拶をする人がいる。そんな場合、彼女達も挨拶したり手を振り返したりしている。最初はあまり反応を返さなかったが、私とマリアーネで「貴女達も返事を返しなさい」と何度か言ううちに、ちゃんと返すようになってくれた。まぁ、仕事中なので……という理由だったらしいけど、やっぱり笑顔で返事したほうが気分いいものね。
のんびりとお喋りしながら、少々の買い食いをして専属メイド達に軽い小言を言われたりして、大よその時間を過ごしたから帰りましょう──そう言おうとした時だった。
ドガガガーン!
「っ!? 今のは……」
「ええ、どこかで音が……」
「うわぁあああああ!!」
「きゃああああああ!!」
どこかから大きな音がしたと口にすると同時に、叫び声が聞こえてきた。その声色から何かが、突発的に起きたのだろうと推測できる。
「行きましょう!」
「ええ!」
すぐさま駆け出す私とマリアーネ。当然メイド二人もすぐさま追走してくる。他の人達は、同じように声が聞こえたのだが、驚きが勝ってしまい動けないようだ。
「声がしたのは、こっちの方だったと…………あっ」
「どうしましたか、レミリア姉さま…………うっ」
角をまがり私達が目にした光景は、散乱した太い木材と、その傍で血を流して倒れている男性だった。驚いたのは一瞬で、私達はすぐさま倒れている男性に近寄る。ミシェッタ達は傍にいた人達に話しかける。
「一体何がありましたか?」
「え、えっと、あ、足場が崩れて、それで……」
「足場? 建設工事用のですか?」
「あ、ああ。今そこの家を建てているところなんだが、その足場が……」
倒れている男性の仲間だろう。同じような格好をしたその男が言うには、足場が崩れて仲間が落ちて大怪我をしてしまったとの事。
怪我をしている男性は、怪我のショックか足場が崩れて落ちたせいか、気を失って倒れてしまっているようだ。そんな状況を見て、迷うのは一瞬だった。私とマリアーネは顔を見合わせると、同時に頷いて男性の傍に膝を着く。
考えろ……今すべき事は何? この目の前の人を助けることよね。
私達は聖女よ、何ができる……何が……。
刹那が永劫に感じるほどの間、ふと私の脳内に思い浮かんだのは、学園で初めて魔法の実技授業をしたときのこと。あそこでアライル殿下が放った【フレイム】は、おまけゲーム『りわだいRPG』の魔法と同一だった。ならば、まだ覚えてないけどそこに登場する魔法ならば、行使可能なのではないだろうか。
だったら使う魔法は──
「マリアーネっ、回復魔法って聞いてイメージできる?」
「え、えっと……なんとなくですが……」
「それでいいわ。まず私が傷口からばい菌などを魔法で取り除き綺麗にする。そうしたら貴女は回復魔法の“ヒール”を唱えて。魔力を込めて唱えれば発動するから」
「は、はいっ」
いつしか周囲に人が集まってきているが、私達はそんな事を気にしている余裕はなかった。後で聞いた話だと、ミシェッタとリメッタが指示をだし、男性の同僚達がやじうまを近づけさせないようにしてくれていたそうだ。本当に二人にはいつも世話になりっぱなしね。
そんな中私は手を傷口のすぐ傍にかざす。そして掌に魔力を集中させる。
「【キュア】」
しっかり、ゆっくりと魔法名を唱える。その瞬間、傷口付近にぼぉっと光のもやがかかる。その光はすぐさま収まり、先ほどまで血や土で汚れていた傷口が綺麗になっている。
「いいわ、マリアーネ!」
「【ヒール】」
私の合図に、今度はマリアーネが魔法を発動する。同じように傷口に光のもやがかかり、そしてゆっくりと消えていく。その消えた後には……すっかり傷が消えていた。
「……ふぅ、これでよし」
「もう、大丈夫ですよ」
そう私達が安堵した瞬間。
「おおおおおおおっ!」
「すげえ! さすがは聖女様だ!」
「聖女様! 聖女様ーッ!」
「わわっ?」
「な、何?」
歓声に驚いた私達は、この時初めて周囲を街の人達に囲まれていることに気付いた。そんな私達の傍に、男性の仲間達がかけよってくる。
「おお、本当に傷が……」
「あ、あ、ありがとう……ございます……」
そして喜び感謝をしてくれた。大切な仲間なのだろう。
「流れてしまった血は戻りませんので、体力が回復する食事を、と伝えてください」
「わかりました。本当に、ありがとうございます……」
そしてもう一度お礼を言われた。その周囲では、しばらくの間私達を称えて呼ぶ声が聞こえ続けた。
私とマリアーネは思わず顔を見合わせて、そして照れながら笑顔を皆に向けた。
ともかく、なんとかなってよかった。
帰りの馬車の中、ふと目線が私を見ているミシェッタに気付く。同様にリメッタも、マリアーネを見ているようだった。
その視線の意味はなんとなく分かる。魔法学園じゃないにしても、ああやって私達が軽々しく魔法を使う事を懸念しているのだろう。
「……私達が魔法を使った事、貴方達はどう思ってるの? やっぱり自重しろって言うかしら?」
私の言葉を受け、二人の視線がじっとこちらを見る。そしてお互い頷きあった後。
「お二人は正式に聖女という立場になられました故に、軽々しく魔法を使う事は褒められた事ではないと思います」
「…………そう」
しかたないとはいえ、ミシェッタの言葉は少しだけ寂しく感じた。思わず顔を下に向け、二人の視線から逃げてしまう……が。
「──ですが、私達二人の共通の意見として、あそこで魔法を使われたお二人を、誇らしく思います」
「「え?」」
私も、そして同様に顔を下げていたマリアーネも、同時に顔を上げて二人を見る。その表情は誇らしげで、そしてどこか満足そうな笑顔だった。
その笑顔を見ていると、私もマリアーネもどこか心が温かくなるのを感じた。
「二人とも、ありがとう」
「これからも、よろしくね」
「「はい」」
四つの笑顔を運ぶ馬車は、傾いた赤い陽射しの帰路を軽やかに進んでいくのだった。