076.悪役令嬢と恋を知る乙女
部屋の窓際に置かれた椅子に、どこか所在無げに座るティアナ。その正面には私がいて、左右にマリアーネとフレイヤ。そして私の後ろには、この部屋唯一の出入り口であるドアがある。
一見すると、平民であるティアナを貴族令嬢が、よってたかって苛めているように見えなくもない。なんせティアナは困惑顔をしており、対して私達はにこやかな笑みを浮かべているのだから。
もちろんこれは虐めなんかではない。ティアナに、ちょっとだけ最近の出来事なんかをお話してもらうだけ。
──そう。恋バナの予感がするお話を。
「……ではティアナ、どうぞ」
「ど、どうぞと言われましても……」
困っているのは確かなのだが、どこか嬉し恥かしの香りを漂わせるティアナ。とはいえ彼女の性格上、自分から赤裸々に報告することはないだろう。仕方ないので、こちらから聞いていく事にする。
「では、順序だてて聞くわ」
「…………はい」
こうなったら仕方ないと思ったのだろう。私の言葉に、わずかに逡巡するも返事をする。
「クライム様とは付き合っているの?」
「いきなりド直球ですわッ!」
マリアーネが身振り付きで、ビシッとツッコミを入れてくれた。流石ね、バッチリよ。
それによりフレイヤも、場を和ます軽い冗談だと理解したようだが、いかんせん階級違いであるティアナは、生来の真面目さもあわさって本気にしてしまう。
「その、えっと……別に私はクライム様とお付き合いをしているわけでは……」
「あ、うん。ごめんなさい、驚かせてしまって」
謝る私をみて、それならばとフレイヤがティアナの方を見て。
「あの……ティアナさんはお兄様の事、どう思われていますか?」
「えっ。クライム様ですか? それはもちろん尊敬しております。私のような平民にも、何変わらず接してくださいますし、色々な事を知ってとても利発でいらっしゃいます。成績も優秀で、皆が憧れるのはよくわかります。そんなクライム様とご家族のフレイヤ様は幸せですね」
「…………そうですね。ありがとうございます」
それは裏表の無い、ティアナの素直な言葉。だからフレイヤも、素直に思いの返事を述べる。だが、それは私達が求めた問いに対する答えとはちょっと違う。それに気付いたマリアーネが、もう少し具体的に質問を投げる。
「ティアナさんは、クライム様の事が好きですか?」
「えっ、そ、それは…………あぅ……」
戸惑った後、私の顔をみて俯いてしまうティアナ。それを見て、クライム様は以前私に婚約を視野に入れた交際の申し込みをしたことを思い出す。そして、それを私は断っている。……いや、正しくは保留のような形か。あの当時は少し前にアライル殿下からも同じような事をされ、それを保留にしていたため同様の処置を取ったのだ。
だが今にして思えば、あの頃のクライム様はまだ少年だった、自身の大切な妹の友人となり、さらにアライル殿下に交際を申し込まれる人物を、どうにか自分の近く──つまり妹の近くに止めておきたかったという感情からの行動だろう。今になればわかる。アライル殿下とクライム様では、私に対する気持ちが違うのだ。クライム様は私を見ながら、いつもその先を見ているような感じだった。その先にいる、妹……家族の幸せを。
そんなクライム様が、ティアナに対しては違う顔を見せている。何度か魔法指導をしている姿を拝見したことがあるが、その時のクライム様はちゃんとティアナ自身を見ていた。そして、とても楽しそうな笑顔を浮かべていた。
……もしかして、私の曖昧な言葉が枷となっているのかもしれない。おそらくクライム様自身も気付いているが、伯爵位の嫡男である自身の言葉故それに縛られているのだろう。
私がクライム様からの申し出を受けてないのは、最終的に悪役令嬢の断罪イベントに派生しないためだ。だが、そもそも私以外に意識が向くのであれば、当然それは喜ばしいことである。ならば、もしクライム様の御意志が、私以外へと向けられているのであればきちんと話をすべきだろう。伯爵位の嫡男の言葉とはいえ、あれは正式な言葉ではない。クライム様自身が、自分を律するために線引きをしているだけだろう。
「ティアナ。私の事は考えずに答えて。あなたはクライム様のこと……好きですか?」
「それは……」
驚きじっと見る私を、ティアナはしばし見ていたが、小さく息を吐き出すとゆっくりと話はじめた。
「クライム様のことは…………好きだと思います。でも、これがクライム様の事をそう……なんでしょう、よくわかりません。ただ……」
「ただ?」
「ただ、一緒にいると嬉しいのに苦しかったりしますし、クライム様が私の隣にいる時、他の方々の方を見たりすると何故か不安な気持ちになります」
うわぁ~……何この甘酸っぱいヤツ! こんなの私、すっかり忘却の彼方ですわ。何々? もしかしてティアナってこれが初恋なの?
私とマリアーネは、前世からの積み重ねもあって異性への恋はさすがに経験済みだ。フレイヤは箱入りだったが、ずっと本で夢見てた恋物語を私達のお兄様と歩もうとしている。
だがティアナは予備知識なしでのいきなりガチ初恋か。しかも知識がないので、それを恋だ愛だと理解できてないのか。周りから見ればまぎれもなく恋だって思うのに。
結局のところ、ティアナがクライム様に向けている感情は、紛れも無く純粋な恋なのだろう。愛と呼ぶにはまだ拙いが、一途で真っ直ぐな恋である事には相違ないかと。
ただ、そうなるとどうしても出てくる問題というものがある。身分の問題だ。
クライム様は伯爵家。それに対しティアナは平民。そうなってしまうと、この世界では到底つりあわない身分という事になってしまう。こればっかりはどうしたものかと、少し思いをめぐらせている私の隣にマリアーネが寄って来た。ふと見ればフレイヤがティアナの方へ行き、少しこちらと距離をとっている。どうやらマリアーネは、私に内緒の話でもあるようだ。
「レミリア姉さま、今もしかしてティアナさんの身分についてお考えですか?」
「ええ、その通りよ。本人同士は気にしないから良し……とは、この世界では通用しないから」
「そうですね。なのでここは一つ、こんなのはどうでしょうか?」
そう言ってマリアーネが進言したのは……ティアナを爵位家へ養女入りさせる話だった。
別に今すぐというわけではない。まず何よりティアナの気持ちを確認し、そして当然クライム様の方も確認する。双方の想いが合致するのであれば、必要に応じてティアナを養女入りさせると。
そして、もしそれを実施するのであれば、当然彼女が養女入りするべき爵位家は一つしかない。我家、フォルトラン侯爵家だ。こんな子供の思いつきもあわやという考えに、賛同してくれるのは家くらいだろう。それにマリアーネもセイドリック男爵家からの養女だ。養女入りというものがどういうものか、一番理解しているのは彼女自身だろう。
そして、これは微々たる援護射撃だろうけれど、ティアナは学園入学以来私がメイド雇用を理由に淑女としてのマナーを学ばせている。まだまだ荒削りだが、このままきちんと躾ければ十分形になると思う。
まぁなんにせよ、とりあえず現状では勝手な想像にすぎない。それにまだ学園入学して二ヶ月ほどだ。そう事を先んじることもないでしょう。
「あら。もうご夕食のお時間ですわね」
ふと時計を目にしたフレイヤが、驚いたように声をあげる。
そういえば帰宅した後、すぐさまこの恋バナに巻き込まれて延々話してたわね。いつしか恋バナの方向が変化してはいたけれど。
「食堂へ行きましょうか」
私の言葉に皆が返事をして、マリアーネとフレイヤが部屋を出ていく。私とティアナは、部屋着の上に軽めのコートを羽織る。寮内なら構わないが、部屋着のままで中央にある共同施設にいくのは、この時代の女性としてははしたない行為なのだ。あまり腕や足を見せるものではないらしい。
廊下に出て少し待つと、マリアーネ達も一枚羽織って出てきた。
食堂へ向かいながら私は、
「それじゃあ帰ってきたら、お風呂で最後にマリアーネの恋バナね」
「えっ!」
「そうですね、まだマリアーネだけ話してませんから」
「くすっ、期待してますね」
驚くマリアーネに対し、フレイヤとティアナが私の援護をする。特にティアナは、先程の恨みってわけじゃないだろうけど、いつもより前向きだ。恋バナに関してはちょっとふっきれたかな。
「で、でも私もそんな話すような──」
「はいはい、少し遅れてますからさっさと行きますわよー」
「ちょ、レミリア姉さま~!」
何か言ってるマリアーネを遮って私達は食堂へ向かった。
なんだか学生時代、友人と集まってたわいなく騒いでいた時期──そんな頃を少し思い出した。