060.<閑話>平凡な少女の受難な一日
翌日の放課後、私ははやる気持ちを抑えて訓練場へと向かっていた……一人で。
てっきりレミリア様たちも一緒かと思っていたが、真面目に魔法指導する場に興味本位で行くのは悪いからと言われてしまった。
おかげで、急に緊張してきてしまった。皆さんも一緒だと思っていたので、この展開には腰が引けてしまいそうになった。だが、せっかくの機会……ここで取り消すのはもったいない。途中、何度も気持ちを奮い起こして歩いていった。
そして訓練場が見えるところまでくると、既にクライム様は先に来ていた。あと何人かの生徒の姿もあったが、今はそれを気にしている余裕はない。
「す、すみません! 遅くなりましたっ」
「いや、まだ約束の時間よりも早いよ。それに教室の都合上、どうしても来るのに時間がかかるのはわかってるから安心して」
「は、はい……」
優しく微笑むクライム様は、さすがフレイヤ様のお兄様というだけあって所作も落ち着いている。それに改めてそのお姿を拝見すれば、やはりとても整った容姿をしていると思った。
ともあれ折角の時間と機会が勿体ない。なので私は、早速魔法の指導をしてもらうことにした。
最初にしたことは、自分の中にある魔力を認識する事だった。これは貴族であれば、魔力を有した時に親や指導者に教えてもらう基本的な事らしい。だが私は平民で、親は勿論周囲に魔法を使える者はいなかった。それを危惧したクライム様は、まず基本の確認をしたかったそうだ。
そして案の定、私は自分の中の魔力をよく理解できてなかった。なんせ今までやってきたことといえば、自分の中にある不思議な力を、なんとなく掌から放出しているだけなのだから。
その事を話すと、クライム様は少し考える様子をみせる。そして何か思いついたのか、私の方を見て、
「それじゃあ、手を出してくれないかな。少し触れることになるけど、いいかい?」
「……あ、はいっ」
『手を触れる』という言葉に一瞬驚くも、今は魔法指導中なのだとあわてて返事をする。そしておずおずと差し出した手を、クライム様は「では失礼」と一言おいてそっと握る。
「それじゃあ目を閉じて、手の感覚に意識を集中して。今から私が魔力を少し放出するので、掌でそれを感じてみて」
「…………はい」
すっと目を閉じて、手に意識を集中する。差し出した両手からは、そっと握るクライム様の手の感触を感じ少しドキドキしてしまう。
だが次の瞬間、今度はその感触とは違う何かが、そっと手に優しく触れてきたのを感じた。その不思議な感覚は掌をそっと優しく包み込むと、またすっと波が引くように消えていった。
「今のは……?」
「ふむ、今ので感じられたのか。随分と魔力感度が高いのかもしれないね。そう、今のが私の土属性魔力だよ。これでティアナ嬢の魔力とは、あきらかに違う魔力を感じることが出来たと思う。それじゃあ今度は自分の中にある、先程とは違う魔力を感じ取ってみて」
「は、はい」
言われたから返事をしたものの、どうやって自分の中にある魔力を感じればいいのだろうか。先程クライム様は触れられた手から魔力を出してみせた。ならば私も、自分の掌から魔力を出すイメージをすればいいのだろうか。……あれ? それって私が魔法を使う時のやり方?
ともかくやってみよう。そもそも私は魔法に関して、この学園で一番の素人なんだ。ならどんな事でも挑戦していくべきだろう。
両手を胸の前で組んで、祈るような姿勢になる。そしてそのままゆっくりと、魔力を出すイメージを描いてみる。そうしてみると、何かじんわりと掌にふれた部分から力がもれ出ているように感じる。それに気付いたのかクライム様は、私の手に顔を近づけてくる。
「……今、魔力が出ているのかな?」
「はい、恐らくは」
「それじゃあ少し失礼するよ」
そう言ってそっと私の手を、自身の手で包むようにして握る。そして「少し力をゆるめて」と言われたのでそのようにすると、掌に隙間を作りそっと手を差し入れてきた。
「……うん、知らない魔力を感じるね。これがティアナ嬢の土属性魔力か。……うん、温かくて心地の良い魔力だね」
「ふぇっ? あ、ありがとうございますっ」
手を握られたような姿勢で褒められたので、思わずヘンな声が出てしまった。もちろん、クライム様に何か思惑があったとかでは無い事は重々承知している。だが照れくさかったのも事実だ。
私の魔力を感じて満足したようで、クライム様はすっと手を離した。それによって、改めて手を握られていたことを再認識。魔法指導の過程で必要な事なのだが、やはり慣れてない私には少しは恥かしかった。
「魔力は十分なようだね。それじゃあ、今度は使う魔力量のコントールを練習してみようか」
「はいっ!」
だが次の課題が提出されると、恥かしいとかの気持ちは直ぐに消えうせた。まずは基礎をしっかりとやろう。本来知ってないといけない基礎中の基礎を。
その日の夜、私はいつものようにレミリア様達と大浴場に。勿論今日の話題は、私のお昼の魔法指導についてだ。だが指導内容の前に、私が魔力運用の基礎である認識を知らなかった事にレミリア様が顔を曇らせた。
「……そっか。ティアナは、魔力運用の基礎をちゃんと教えてもらってなかったのね。少し考えれば気付く事だったのに……ごめんなさい」
「いいえ、とんでもないです! レミリア様が謝罪することなんて、何一つありません!」
「あ、そう? そうれじゃあ……もうっ! 何でもっと早く言わなかったのよっ!」
「ええっ~! そ、そんなぁー……」
「レミリア姉さま、まだティアナさんにはノリツッコミ芸が早いですわよ」
マリアーネ様の言葉から、レミリア様の発言がなんとなく冗談だと理解できた。というか、相変わらずこのお二方は不思議な言葉を時折発する。
お二人のやりとりを微笑ましく見つめながら、今度はフレイヤ様が近寄ってきた。
「それで? お兄様はどうでしたか?」
「あ、はいっ。とても分かりやすいですし、何より相手の立場を考えてくださる配慮も素晴らしいです」
「うふふ、仲良くしていただけたようで嬉しいです。……お兄様に限って何かあるとは思えませんが、何かされたりしませんでしたか?」
「クライム様にですか? いいえ、特に何かされたという事は──」
そう言葉にしながら、私は昼間の事を思い出す。クライム様は本当に真摯で素晴らしい方だと思う。私が魔力運用の基礎を知らない事に気付く配慮もそうだが、貴族だ平民だという事で笠に着ることもなく、ちゃんと私の手を取って指導を……手を……手……。
「……──アナ? ティアナ?」
「ふぇっ!? あ、は、はいっ、ティアナです!」
「どうしたの、手なんかじっと見て……はっ!? まさか、本当にお兄様に何か──」
「違います違います! クライム様が手をとって、直接魔力を感じさせてくださったことを思い出しただけですから!」
あわてて弁明する。当然クライム様は何も後ろめたいことをしてないが、私がボーっとしていたせいであらぬ誤解を……よりによって自分の妹にされるのは申し訳なさすぎる。
「何々? どうしたの?」
「ふふ、お兄様がティアナの手をとって熱心にご指導していた、というお話ですわ」
「あらっ、手を取って?」
「手取り足取り……というヤツですか?」
すぐさま会話に、レミリア様とマリアーネ様が加わる。しかもお二人、どう見ても何か面白い事はないかと物色する目だ。これはマズイかもしれない。
さらにマズイのは、私達が大浴場に入る時はほぼ貸切状態になる。これは意図的に少し遅い時間に入っているということもあるが、他の人達が聖女様お二人と一緒では緊張してしまうという事で、自ら違う時間で入浴するようにしていとの事。時々同じクラスの子は入ってくることもあるが、それ以外の人はまず入ってこない。
わいわいと、今日は一際騒がしい時間が経過した後、ふとマリアーネ様が何か思い出したように。
「しかし流石クライム様ですよね。放課後の訓練場の使用許可、昨日の今日ですぐに貰ってくるなんて」
「お兄様は生徒会役員ですから。生徒会役員や成績優秀者、それに特待生なら使用許可はすぐにいただけるとお聞きしました。多分ですが、レミリアとマリアーネもすぐもらえますよ?」
「あ、そう? でも、私達の魔法って特殊すぎるからねぇ……。やっぱり教会で司祭様が一緒じゃないと、わからないことも多そうだし」
訓練場の使用許可は、そのままイコール学園内での魔法使用の許可となる。もちろん訓練場内だけではあるが、授業以外で魔法を使用できる特別な行為だ。もちろん、許可がなくても学園内で魔法は使用できる。ただしそれは、かなり重度の校則違反扱いとなり、場合によっては退学もありえるほどの事だ。それゆえ魔法学園といえど、生徒は好き勝手魔法を使う事はできない。
実際思い返してみれば、訓練場に入らずにじっと私達を見ていた人も大勢いた。あれは他者の魔法を見て勉強していたのかもしれない。それなら今日の私は基礎ばかりだったので、せっかく見に来た人たちに申し訳なかったかも。
その事を話すと、なんだか皆さんの表情が少し微妙な感じになる。特にレミリア様は、何か怖いような感じにさえ見えた。
それがどういう意味だったのか。
私がそれを知るのは、翌日──放課後になってからだった。
クライム様の魔法指導二日目。
昨日は魔力運用の基礎を教えてもらい、自分で魔力出力を調整する事を練習した。本日はそのおさらいをして、いよいよ実際に魔法を用いての指導だ。
昂ぶる気持ちが抑えきれず顔に出てしまったそんな私に、校舎から訓練場へ向かう道中で声をかけられた。
「そこの貴女、ティアナさん……でしたかしら?」
「は、はい。何でしょうか?」
呼び止めた相手を見て、思わず声が震えそうになった。そこにいたのは上級生の女子生徒。当然ながら貴族のお嬢様だ。
「少しお話があります。よろしいですか?」
「あ、あの。私これから用事が御座いまして……」
「私も用事が御座いますの。話はすぐに終わりますわ」
「……はい、わかりました」
相手の都合など考えずに自分の用件を押し通す──久しく忘れていた“私が知っている貴族”の片鱗を見たような気分だった。この学園において、レミリア様やマリアーネ様、フレイヤ様やクラスの方々が普通に接してくれているので、こういう気持ちを久しく忘れていた気がする。
ここで言い争っても何の解決にもならない。そう思った私は、クライム様に心の中で謝罪をしながら女子生徒の後を着いていった。
校舎の脇に進むと、そこには彼女以外にも何人かの女子生徒がいた。さすがにこの状況なら、今私がどうなっているのか理解できる。理由はわからないが、彼女達は私を呼び出してここに留まらせるつもりだ。
戸惑っている間に、私は校舎を背にさせられて、複数の女子生徒に囲まれてしまった。
「ティアナさん、今どういう状況か……理解できますわね?」
「……いいえ、わかりません」
場の状況としては、私が呼び出されて囲まれていることは理解できる。でもそれをされる理由が皆目検討着かない。もしや平民だからとか、そういう事なの?
とりあえずわからないと言うと、相手の女子生徒の顔が少し怒気を含んで歪む。
「わからないですって? ……いいわ、教えてあげる。貴女、昨日の放課後クライム様と訓練場で一緒にいたでしょ。クライム様はね、貴女なんかのような平民と一緒するような人ではないの。それを……手を繋いだり、見詰め合ったり……」
忌々しげに目を向け、まるで汚いものでも見るようにしてくる。確かにクライム様に魔法指導をしてもらっていたが、この人達にこんな言い方をされるような行いはしてない。
そう思うと、先程までは怖いと感じていたものが、いつしか消えていた。
「昨日はクライム様より、魔法指導を受けていただけです」
「何よ貴女、文句があるの!?」
「そもそも何で平民が、クライム様と一緒にいたのよ!」
「平民のクセに魔法だなんて……本当は何をしていたの!」
私の言葉に対し、まるで会話をしようとしてくれない。というか、そもそも平民だと見下されて言葉の受け答えをするつもりもないようだ。
ただ彼女達の言葉を聞き、これだけはどうしても言いたいと思った。
「私はクライム様より、魔法指導を受けていただけです」
「貴女、まだそんな事を──」
「その事を否定するのであれば、貴女達はクライム様のなさった事を否定し、侮辱することになります」
「なっ……! アンタ、いい加減にしなさいよ──」
正面に立つリーダー格の女子生徒がこちらにつかみかかってくる。さすがにコレは振り払わないと、どんどん面倒な事になっていきそうな気がした。
しかし校舎を背にして逃げ場がない。どうすればいいの……そう、思った時。
「あなた達! 私の友人に一体何をしているのかしらッ!?」
凛とした声が響き、私も目の前の彼女達も一斉に動きを止める。全員が声のした方へと顔を向けると、そこには一人の女子生徒がいた。
腕を組んで、こちらを威圧するように見るその姿に、全員が言葉を発することが出来ずにいた。
そんな中私は、かろうじて彼女の名前を呟く
「…………レミリア様」
私を友人と呼んだその人物──レミリア様は、私の貧相な語彙では言い表せないような、とても素敵な表情を浮かべていた。
後々にマリアーネ様から聞いたそれは、“悪役令嬢”の微笑みと呼ばれるものだった。