057.心に刻む すごい 大勘違い
よく例え話などで『本当に悲しい時は涙が出ない』なんていわれたりするけど、同様に『本当に驚いた時は声が出ない』という事もあるようだ。
図書館の一角にて、なんの前触れも無くディハルト・ヴァニエールが目の前に居た。いや、もちろん突然沸いて出たわけではない。はじめてきた場所で気もそぞろで浮かれていたため、すぐ傍の人物に気付かなかったのだと思う。
幸いにも声は上げなかったが、視線だけはじっと彼の顔に見入ってしまった。その表情はとても気さくな感じがして、どこか安心感を感じるものだった。たしか出逢った時のディハルトは22歳だったはず。だが、それ以上の落ち着きを感じるのは、やはり彼の秘密……生まれ変わりの経験蓄積によるものか。
だがあまりにもじっと見ていたためか、ディハルトがこっちに声をかけてくる。
「……どうかしましたか?」
「あ、いえっ、なんでもないです。失礼をいたしましたわ、ディ──ヴァニエール先生」
「おや? 貴女とはどこかでお会いしましたか?」
「あっ……」
一瞬名前を『ディハルト』と呼びそうになり、慌てて『ヴァニエール先生』と呼びなおしたが、よく考えたらこの時点ではまだ私と彼は出逢ってない。なので普通であれば、名前を知っているのはおかしい……ということになる。事実上の初対面で、いきなり妙な印象を持たれてしまう──
「……ああ、なるほど。失礼をいたしました、聖女様」
「え…………」
不安が胸をよぎった次の瞬間、ディハルトは私を見て頭を下げてきた。彼が聖女と呼んだことにより、私が聖女でありそれ故に自身の事をしっているのだろうと考えたようだ。本当のところは少し違うが、私が聖女……というか転生者で、色々と知っているからという事を踏まえると、まったくの見当違いではないのでそれを受け取ることにした。
「ヴァニエール先生。ここは学園で、私は唯の一生徒です。どうか頭を上げて下さい」
「……わかりました。どうやら貴女は、殿下方が仰っていらした通りの方のようですね」
そう言ってにこやかな笑顔を見せるディハルト。……わはっ、笑顔の大アップ! ここまでのズームは、イベントCGでもなかなか見れませんわ!
思わず見入ってしまいそうになるが、ふと私の手をつかんでいるティアナに気付く。それによって、運よく脳内CG観賞モードに突入しなくてすんだ。
「ティアナ、この方が来週から学園にくる教育研修生のヴァニエール先生よ」
「初めまして、ディハルト・ヴァニエールです」
私の後ろで様子を伺っていたティアナに、ディハルトの事を紹介する。それをうけて、優しげな笑みをうかべて挨拶をするディハルト。だが、それを聞いたティアナは。
「は、初めまして! レミリア様が名前を聞いただけで気絶したという、ヴァニエール先生なんですねっ!?」
「……え?」
「ちょっとおおお!? あんたァァァアアア!?」
いきなり何を言い出すのよこの子は! 何か私に恨みでもあるの!? そう思って肩をつかみ、ぐわんぐわんとゆらす。
「一体どういうつもりよティアナ! あんたねぇ、あんたねぇええ!」
「わふっ、ちょ、レミリア様、お、おち、おち──」
「落ち着けるかこの──」
「……聖──レミリア嬢、少し騒がしいですよ」
思わずヒートアップしてしまった私に、またしても涼やかな声が届く。先程も似たように注意されたのだが、今度はどこか楽しげな声音も混じっているように感じた。
あわててティアナをつかむ手を離し、ばっとディハルトの方へ向き直る。
「し、失礼致しました。一度ならず二度までも……」
「うぅ……ひどい目にあいました……」
涙目のティアナが批難してくるが、さっきのはアンタのせいでしょうが。……ただ、さっきのティアナの発言が、天然にしろ冗談にしろ私との向き合い方として、ちょいとばかり愉快だったのは本心だ。まぁ、いきなり随分なことをぶっこんでくれたけれども。
だが流石に今の慌てぶりと、自分に関係していることが気になるのか、今度はディハルトが質問をしてくる。
「僕の名前を聞いてレミリア嬢が気絶とは、どういう事でしょうか?」
「あ、えっと、別に悪い意味ではなく……」
「そうですか。では、よろしければ教えていただけますか? 何分、自身の名前が関わっているとなれば、軽視できかねますので」
との事だが、浮かべる笑みの中に今度は『必ず聞き出す』という意思のようなものを感じる。私が転生者で歳を見た目以上に積み重ねているなら、彼も生まれ変わりで同様に経験を重ねているのだろう。なので、流石にすべてではないがある程度を“聖女”に肩代わりしてもらって話すことにした。
「貴方の──ディハルト・ヴァニエールの名前を聞いた時、私の中に貴方についての情報が浮かび上がってきたのです。普段はそのようなことは無いのですが、何か特別な力や存在を見聞きしたとき、そのようなことが時折ありました」
「…………そう、ですか」
私の言葉でディハルトが少し動揺を見せる。少しだましているようで心苦しいが、彼はもちろんティアナにも私たちの転生云々は話すことができないのだ。
「あえて言葉には致しませんが、その事は私の妹であるマリアーネ──光を司る聖女も知っております」
「…………わかりました。ご無礼を致しました、申し訳ありません」
「いいえ、こちらこそ不快な思いを抱かせてしまいました」
二人して頭を下げる。だが、これでディハルトはもう先の件にはふれてこないだろう。また私とマリアーネは、自身の秘密を知っているということも理解できただろう。
「お心遣い感謝します。では、私はこれで失礼致します」
「あ、はい」
そう言って立ち去る彼を見送る。
何はともあれ、ようやくディハルトに逢えた。逢って話せた。さすがに心の準備が皆無でのフライングだったので、会話内容が希薄だったのは否めないが、それでも十分印象に残る邂逅だったと思う。ようやく自分の“推し”との対面だ。ゲームの時は、唯々一方的な二次元向け愛情をぶつけていたが、今回は投げれば返ってくる人間相手だ。そりゃもう気合もはいるってものよ。
そんな感じで、一人高揚感に浸っている私に、ティアナがどこか言い難くそうな声で聞いてくる。
「あ、あの……レミリア様って、ヴァニエール先生の事……お嫌いなのですか?」
「はぁ!? ……っと、また注意されるところだったわ。あのねぇ、どうしたらそう見えるのよ?」
それどころか、この世界に来て一番の推し推しモードじゃないの! とは口に出さないが、自分自身はどう見ても好意ある行動をしているとしか思えない。出逢いの印象もバッチリだったと思うわ。
だが、そんな私の自信に満ちた顔を見たティアナの口からでて言葉は。
「何故って、その……先程の言い方ですと、ヴァニエール先生の秘密か何かを握って脅している……という風にしか見えませんでしたけれど」
「……………………えっ」
思考が停止した。
私が……ディハルトを秘密を握って脅している? えっと、つまるところ脅迫している? ……え? え?? え???
ダメだわ。頭が働かない。何かを考えることもできない。
「あ、あの、レミリア様?」
近くでティアナが呼んでるわ。でもごめんなさいね、ちょっと今返事をできる心境にないみたいなの。
あれ、おかしいわね……ううん、そもそも何がおかしいのかしら……。
しばらく解の出ない自問を繰り返していたようで、ようやく気付いた時にはいつの間にかいすに座ってボーっと窓から外を眺めていた。すぐ傍にはティアナがいて、机につっぷして寝ていたが、何故かそれを叱咤するような元気が私には一切なかったのだった。