054.思い出す すごい 記憶の断片
──それは、何の前触れも無くやってきた。
我が家でのお泊り会も終わり、私達は寮に戻った。その際にティアナが、
「この子を連れて行きたいです!」
とぬいぐるみを掲げて言い出した。ぬいぐるみであれば、個人の手荷物……インテリアの一つと言えなくもないし、もとより寮への私物持込は寛大だ。なので戻った際、寮管理人の了承をもらいに言ったが、何の問題もなくすんなり許可が下りた。ちなみに私とマリアーネのぬいぐるみも、せっかくだからと持ってきておいた。それでフレイヤが少しすねて、
「来週は家の子をもってきますからね!」
という宣言を高らかに言うのだった。
そんな穏やかで賑やかしい、寮生活最初の休日は終わった。まだここに来て一週間だが、楽しく過ごせそうな予感に、心が浮かれていたとしても無理もないだろう。
だが時の流れ……否、世界の流れというものは、いつも忘れた時に気付かされる。
それは翌週平日の朝の出来事。教室にて担任のゲーリック先生が、出欠確認と今週のおおまかな予定などを話していた。いわゆるホームルームと呼ばれる時間だが、この世界にはその呼び方はなく“朝会”とか“朝の会”などと呼ばれている。
そして特に何事もなく先生は退室しようとしたが、何か思い出したように教壇に戻った。
「そうそう、一つ皆に教えておくことがあったんだ」
先生ざっと皆を見渡して、全員が自分の話を聞いていることを確認する。
「実はな、来週からこの学園に教育研修生がやってくる事になった」
────ドクン。
先生の言葉を聞いた瞬間、全身がこわばった。それと同時に、何か頭の中にひっかかりのようなものを感じた。それは、まさに久しぶりの感覚。何年ぶりとも言える……記憶の呼び起こしだ。
(教育研修生……! そうだったのね、だから入学直後の教師名簿にそれらしい名前が無かったと)
教育研修生というのは、いわゆる教育実習生みたいなもの。ただ、すでに教員免許は持っており、所属は準教員となるが働きにおいては直ぐに正式な教員となれる。
ともかく、まだ名前を聞いてないのにここまでの反応が来たのだ。おそらくはその教育研修生が最後の攻略対象であり、彼の情報を思い出した瞬間こそ私が前世知識で持ちえた『リワインド・ダイアリー』のすべてを思い出すのだろう。
ならばその名前を……と思ったとき、クラスメイトの一人が「何て人ですかー?」と何気なく質問をしてくれた。よくやった名前も知らない人! 次の昼休みにでも名前を覚えてあげるわ!
「あー……っとだな、名前はディハルト・ヴァニエール。ヴァニエール伯爵家の次男だ」
その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に膨大な情報が溢れ────……気を失った。
次に気が付いたのは、綺麗なシーツのベッドの上だった。
のそりと起き上がり部屋を見渡すが、自分的には来たことがない部屋だ。だが室内の様子から、ここが養護室的な意味の部屋なんだろうと推測できる。
「あら、気が付いたみたいね。具合はどうかしら?」
ちょっとだけボーっとしている私に、優しげな女性の声が聞こえた。見れば衝立の向こうにいる女性が、こちらを覗き込みながら聞いてくる。状況的にみて、彼女が養護教諭なのだろう。
「大丈夫です。えっと、ここは?」
「ここは魔法学園の養護室。私は養護教諭のリサイアよ、よろしくね」
「あ、はい、よろしく」
何気なくされた挨拶に思わず返事をし、伸ばされた手へ握手を返す。すると一瞬リサイアさんから、何か力を受けたような感じをうける。ただ、とくに不快感もないので気のせいかと思ったのだが。
「……うん、大丈夫そうね」
そう言って握った手を放す。つまり先程の行為は、何か魔法を使ったということなのか。まぁ養護教諭ということだし、別段追及することでもないか。
ともあれ、意識が戻ったのなら教室へ戻ろう。週はじめから病欠というのも、しまりがないからね。ベッドから出て立ち上がる。別に健康状態に問題があって倒れたわけじゃないので、何の問題もなく立ち上がることができた。
「お世話になりました。教室へ戻ってもよろしいでしょうか?」
「それはかまわないけど……でもそうね。もう少しだけここに居なさい。あと数分もすれば、丁度お昼休みになるわ」
「え! もうお昼休み……?」
おどろいた。感覚的には、まだ一限目くらいのつもりだったのに。驚いている私に、リサイアさんはせっかくだからと話しかけてきた。
「レミリアさんは、教室で突然気を失ったと聞いたのだけれど……何か心当たりとかある? 最近調子が悪いとか、元々何かそういった持病を抱えているとか」
質問を聞いて、頭に浮かぶ答えは当然一つだけ。最後の攻略対象であるディハルト・ヴァニエールの記憶と、今までベールに覆われていた部分のゲームの膨大な情報が、一気に頭の中に溢れてきて気を失ったのだ。
「心辺りはあります。ですが、それに関してはお話できません」
「そう……では一つだけ確認を。それはレミリアさんにとって、今後も何か害を及ぼすような事?」
「いいえ。おそらくですが、もう今日のように突然倒れたりすることはありません」
「…………わかりました。その言葉を信じましょう」
そう言うとリサイアさんは立ち上がり、
「もうじきお昼休みになるけど、レミリアさんはここで待ってなさい。貴女をここにつれてきてくれたお友達に、来てもらうように伝えてあげるわ」
そう言って養護室を出て行ってしまった。呆気にとられるも、一人になったのはある意味好都合。とりあえず新たに思いだした事を整理してみることにした。
まず、ようやく判明した最後の攻略対象であるディハルト・ヴァニエール。ヴァニエール伯爵家の次男だが、類まれな魔法の才能を持っている。それは、この世界の人間には珍しい『二属性持ち』であること。彼は“火”と“風”の二つの魔法属性を持っている。そのため、国は彼を優遇して王宮勤めにしたがっているようだが、本人にその気がなくかねてからの夢である教師にいまやっとなれた所……という状況だ。
ちなみに両殿下とも面識はあり、兄弟の其々と同じ魔法属性を持っているため、魔法の講師という立場で両殿下との交流はあるらしい。
そんな彼の情報が脳裏によみがえった際、それに連なる部分や今までもやがかった情報まで、すべてが鮮明に思い出された。これはつまり、彼──ディハルト・ヴァニエールが、間違いなく最後の攻略対象者であるという事に他ならない。
しかし、最後にまとめて呼び起こす情報量が多すぎるわよ。なんだかはたから見たら私、週始めでお勉強嫌いで知恵熱がでちゃった子供みたいじゃないの。軽くふてくされていると、廊下からパタパタと急ぐような足音が聞こえてきた。時計をみると、もうすっかり昼休みだ。ということは……
「レミリア姉さま! 大丈夫ですか!」
ガラッとドアが開き、マリアーネが飛び込んできた。足音でもわかったが、軽く汗を額に浮かべている。あわててきてくれたのだろう。
普通の顔して座っている私を見て、マリアーネがわかりやすく安堵の息を漏らす。
「レミリア! 元気になりましたわね」
「レミリア様~! よかったぁあ~!」
続いてほっとした表情のフレイヤと、半ベソ気味なティアナが入ってくる。ティアナはそのまま、私のほうへきてがっしり抱きついてきた。ちょ、ティアナ、貴女けっこう力あるんだから加減なさい。ちょ、いたい、痛いわよ!
そして最後に、なにやら荷物を手にしたアライル殿下が入ってくる。
「お前達……俺を置いて先に行くとは……ハァ。まぁ、いい。レミリア、気分はどうだ?」
「うぅっ……ティアナに絞め殺されそうです……」
「あああ! す、すみません!」
ティアナがあわてて離れていき、改めて私は皆の顔をみて頭を下げる。
「皆さん、ご心配をおかけしました。もう大丈夫ですので、普段どおりでお願いします」
「……そうか。なら、そうさせてもらおう」
私の言葉にアライル殿下がそう返事をする。殿下がそう言ってしまえば、他の皆も従うしかない。
「ならお昼にしませんか? レミリア姉さまも食べますわよね?」
「勿論よ。……ああ、殿下が持ってきてくださったのですか。ありがとうございます」
「あ、いや……まあな」
「?」
どうにもアライル殿下の反応が悪い。というか、国の第二王子であるアライル殿下に弁当を運ばせるなんて、これはちょっとした問題行為じゃないのか? だが本人がそのことで文句を言うでもないし、他の皆も何かちょっとトゲのある視線を向ける。
「あの、殿下? 何か隠してますか?」
「いや、隠している……というほどの事は無いんだが……その、な」
目線をそらすアライル殿下は、どうにも歯切れが悪い。もうこれって『絶対に何か隠してます』って言ってるようなものよ。仕方ないので一番こういう事を隠さずに言えそうな相手……マリアーネに聞くことにした。
「実はね、気を失ったレミリア姉さまをここまで運んだのがアライル殿下なんだけど……」
そういわれて「そういえば」と思った。私は教室で意識を失ったのなら、自力で歩けない以上誰かしらの手により運ばれてこなければここには居ない。幸いにも、クラスには何人かの知人がいるが、ここまで運ぶということであれば適任はアライル殿下となる。
「そうでしたか。ご迷惑をおかけしました」
「あ、ああ……何事もなくなによりだ」
感謝の意をこめて深々と頭をさげる。だがアライル殿下はどうにも目を合わせようとしない。確かに以前よりも随分と色々とわきまえた態度となった殿下だが、今日はどちらかといえば余所余所しい程だ。こちらをチラリと見ては、すぐさま視線をはずしたり。良く見れば、頬も少し赤くなっている様な……。
「「「…………」」」
どうしたものかとマリアーネ達を見るも、なぜか彼女達はじーっとアライル殿下を見ている。ただ、その視線がどうにもあまり芳しくない。自国の王族を見るソレではないように思える。
一体殿下が何を……そう考えながら、ふと自分が殿下の手によって運ばれる姿を想像する。当たり前のことだが、私に触れなければいかに殿下といえど、ここへ運び込むことは不可能だろう。
思わず身を硬くし、自身をかばうように手を胸前で交差する。
「もしやアライル殿下……意識の無い私を……?」
「ご、誤解だ! 私はただ、両手でレミリアを抱えてここへ運んだだけで……」
そういって手を前にだし、いわゆるお姫様だっこの姿勢をとる。なるほど、理にかなった運搬ではあると思う。ただ、私は知っている。あの抱き方では、片方の手はひざ裏だが、もう片方の腕がどこに触れるのかということを。
「……殿下。一つだけお答えしていただけますか? ごまかさず、正直に」
「あ、ああ。俺で答えられる事なら」
「殿下でなければ答えられない質問です。難しい事ではないので、必ず答えてくださいね?」
「…………ああ。必ず返答すると約束する」
「ありがとうございます。では殿下──」
ちょっとだけ目を細め、そして声から感情を抜き去って質問をする。
「私の胸の感触はいかがでしたでしょうか?」
瞬間、養護室の空気が固まる。それに反比例して、アライル殿下の早鐘は一気に最大へ。
永劫にも思える数秒の沈黙の後、アライル殿下がゆっくりと口を開く。
「…………柔らかかった──」
そう答えたアライル殿下の頬から、数年ぶり三度目の頬を叩く音が響き渡った。
その時の殿下の表情は、何故だかどこか満足そうな笑みを浮かべていたという。
修正:養護教員→養護教諭