049.<閑話>平凡な少女の非凡な一日
私ティアナは、とある平民の家に生まれた。
決して裕福ではないが、優しい両親に育てられた私は毎日楽しく過ごしていた。家は農業を営んでおり、畑などで幾つかの野菜を作っている。当然ながら私も幼い頃から、家の手伝となる農業に触れて育った。
だが14歳となったある日、私が魔力を持っている事が発覚してしまった。
平民が魔力を持っている事は時折あるそうだが、国の指示に従い教会で魔力計測をしたところ、貴族の方々にひけを取らない魔力があることが判明した。そのため、急遽私は15歳となる翌年から、魔法学園へ入学しないといけないことになった。魔力保有者が知識無くその力を行使すると、どのような災いを引き起こすかわからないので、それらをきちんと学ぶ必要があるらしい。
正直な気持ちを言ってしまえば、学園なんて行きたくなかった。貴族ばかりの中に私のような平民が入っても、向けられるのは好奇の視線ばかりだ。でも自分に宿る魔力の為にも、私が取れる選択肢は一つしかなかったのだった。
……そんな気持ちで入学したからだろうか。
初めて学園へ行ったその朝、門をくぐり校舎の方へ……と歩きながらも、学園の設備や建物に私は目を奪われていた。ここで私は三年間勉強するのだと。そうだ、遊びにきたんじゃない。私は私自身のために、勉強にやってきたんだ!
そう意気込みながらも、視線は周りをぐるぐる巡っていた。それがいけなかった。
「わっ! な、何だ!?」
「きゃあああッ!?」
気付けば私はどなたかにぶつかってしまっていた。いや、この学園にいるのは皆貴族に決まっている。ならば私は、入学初日でいきなり貴族様に粗相をしてしまったということだ。
だが、驚きで心身ともに放心している私は、謝るどころか声を出すことすら出来ずにいた。すると、相手の男性の知り合いらしき女子生徒が近寄ってきて声をかける。
「アライル殿下、ひとまず立ち上がってください。そちらの貴女も立てるかしら?」
────!!!!
驚きのあまり、声が漏れる。ようやく出てきたのが悲鳴のような声というのは情けないが、まさか目の前の男性……つまり私がぶつかった相手は、この国の第二王子のアライル殿下だった。
もうどうしていいのかわからないが、目の前のアライル殿下はすまなそうな顔をして、
「──少し考え事をしていたせいで貴女にぶつかってしまった。申し訳ない」
「い、いえ、余所見をしていたのは私の方で──」
よもや殿下に謝られるとは思ってもいなかった。それでもなんとか言葉を返すことができた。ただ、まだしゃがみこんだままなので、目の前の女性が手を貸そうかと申し出てくれた。
「だ、大丈夫です。自分で……あ、あれ?」
どうやらまだ身体が驚いて力が抜けたままみたいだった。
すると、傍にいたもう一人の女性がそっと手を差し伸べてくる。
「驚いた反動で足に力が入らない様ですね。どうぞ、手を貸しますよ」
「す、すみません……」
優しく手を差し伸べられたので、無意識に掴みゆっくりと立たせてもらった。
そこで改めて謝罪をしようとしたが、最初に話しかけてきた女性──少し顔の怖い方にとめられた。私が余所見していたのが原因なのに、殿下が不注意だったという話でまとめてしまったようだ。
その後、私が名乗り平民であると話すも、殿下は私の事……正確には、平民でありながら入学してきた生徒がいるという事を知っていた。しかも、
「改めて宜しく。この学園では身分など関係なく、皆平等な一生徒だ」
そう言って手を伸ばしてきた。それが最初、私と握手をしようとしていると理解できなかった。それをまた顔の怖い方に指摘されたが、さすがにどうかと思っていたのだが。
「いいから、早くなさいっ」
「は、はいぃ!」
叱られるように言われて、思わず両手でがっしりとつかんでしまった。
これが私にとって、今後の学園生活を大きく様変わりさせる、始まりの出来事だった。
その後、自分のクラスである1-Aへ。
先ほどぶつかってしまったアライル殿下をはじめ、一緒におられた方々も同じクラスだった。講堂での入学式が終わり、戻ってきてからクラス全員の簡単な自己紹介を行った。そこで、先ほど私に話しかけてくれた方は領主であるフォルトラン侯爵のご令嬢で、レミリア様とマリアーネ様だった。また、同行されていた方は王立図書館の館長の娘であるフレイヤ様だった。
同じクラスとはいえ、まさに雲の上の人達だ。今朝言葉を交わしたのもただの偶然、もうそんな事は一生ないのかもしれない。
──そう、思っていたのだけれど。
それは、私が寮部屋から追い出されるように退室を促され、少しばかり気落ちして建物の傍に居た時のことだった。
「ティアナさーん!」
「えっ、あ、レミリア・フォルトラン様!?」
突然呼ばれた声に全身が弛緩したような感じをうけた。驚いて顔を向けると、そちらには笑顔でこちらに駆け寄ってくるレミリア様が。
何で私を? 何故ここに? 何の用事で?
色々な疑問がぐるぐる巡ってしまい、あたふたしている間にレミリア様は目の前に来てしまった。どこか安堵しているような表情をしていたのだが、
「よかった~、私ちょっと迷ってしまって……って、ティアナさんは何をしてらっしゃるの?」
「え! わ、私はその、ええっと……」
ふいに問われた言葉に、私はうまく答えられなかった。平民であるために、同室の者から消灯時間まで出ていて欲しいといわれた……そんな惨めな事を言うのが辛かった。
だが、何故かレミリア様はどうしても聞きたがった。普段であれば、そこに貴族特有のわがままを感じたのかもしれない。だけど何故かレミリア様からは、そういったものを感じなかった。なので、誰にも話すつもりはなかったが、つい打ち明けてしまった。
「失礼。それで? 誰が誰に対して何ですって?」
「えええっ!? レ、レミリア様ぁあ!?」
私の話を聞いたレミリア様は、すぐさま私の寮部屋へ入っていった。そして、そこにいた私の同室の女子生徒に対し説教を始めた。あわてて取り繕うとするも、レミリア様は「貴族だとか平民だとかどうでもいいの」と言って彼女の言い分を正面から切り捨てた。
何度かレミリア様が叱責をして、すっかり女子生徒が大人しくなった頃合で、何故か私の持ち物の事を聞かれた。私は部屋に入り、椅子の上においてある袋に入ったわずかな荷物を手にした。
それだけかと問われたので、はいと返事をすると。
「ならソレを持って着いてきなさい。貴女は今日から私と同室になるのよ」
──え。思わず声が漏れたが無理もない。
だが、結局この言葉通り、この後私はレミリア様と同室となってしまうのだった。
王子殿下にぶつかって、次に領主令嬢様と同室になってしまう。そんな破天荒なことが続き、もうちょっとばかり気持ちがついていけなくなった入学初日。こんな大変な日は人生初めてだ……と思っていたのだが、この日はまだこれで終わりではなかった。
レミリア様の部屋──それと同時に私の部屋ともなった場所。そこにはレミリア様の付き人であり、専属のメイドさんであるミシェッタさんが待っていた。学園において、王族や高爵位の生徒は、寮では付き人を同行させることが出来るらしい。私のクラスでは、やはりアライル殿下とレミリア様とマリアーネ様、それとフレイヤ様他何人かが使用人を連れているとか。
そして私の事を掻い摘んで説明し、本日からレミリア様の同室となる事をお話した。そして少々の話し合いの末、無事私はレミリア様と同室と認めてもらえた。
だがその後、私が近くアルバイトを探す旨を話すと、何故かレミリア様が考え込んでしまった。何かまずいことを言ってしまったのかと困惑するが、次にレミリア様が私に向けて言った言葉は。
「今本日よりティアナ、貴女を学園における臨時メイド見習いとして雇いますわ!」
「えっ………えええぇっ!?」
さすがに、もう気持ちが追いつかずに悲鳴のような声が漏れてしまった。だが、それを言ったレミリア様はどこか自慢げに笑顔を浮かべていた。
そして、私はもう大分慣れた……というか、擦り切れそうで「どうにでもな~れ」という気持ちになってきてしまった。
段々レミリア様のことがわかってきた気がする。とにかく、この方は“自由”なんだと思う。それでいて、どこか憎めず魅力的な部分があるような人なのだと。
そんな風にレミリア様を評価していたのだが。
「よし! 話もまとまったので……お風呂に入りますわよ、ティアナ!」
「えっ………えええぇっ!?」
先ほどと全く同じ声をもう一度あげてしまった。
お風呂って……私が? 平民が侯爵令嬢のレミリア様と?
「あ、あの私はその……シャワーですら過分ではないかと……」
この寮は部屋毎に、シャワールームも設置されている。正直なところ、それでさえ私にとっては贅沢なものだと思っているのだけれど。
「いいから行くわよ! ミシェッタよろしくね!」
「畏まりました」
「あ、あの! レミリア様~!」
レミリア様は、思った通りの……いや、思った以上の自由奔放さで私の手を掴むと、ぐいぐい引っ張って部屋を出て行く。そして隣の部屋を通る際、ドアをノックして「マリアーネ、フレイヤ、お風呂いくわよー」と声をかけて、そのままスタスタと大浴場の方へ向かう。それを私は、慌てながらも何もできずにただついて歩いていくだけだった。
……そして結局、私は今大浴場の浴室に浸かっている。
何かとレミリア様に言われて、流れで指示通りにしていたらこうなってしまったのだ。
「ふー、やはりお風呂は生き返るわねぇ……」
──申し訳ありません。なんかもう感情が死にそうです。
「命の洗濯とはよく言ったものですわねぇ……」
──申し訳ありません。生き死にを選択しているようです。
「こうして他の方々と入るお風呂は、また格別ね……」
──申し訳ありません。格別以前の問題になっております。
「……なんだかティアナがいまいちそうですわね」
「そ、そんな事はございません!」
思わず大声で反応してしまいますが、レミリア様は「ならいいですわ」とだけ言うと、またお風呂を堪能することに戻った。
この後、マリアーネ様とフレイヤ様もやってきて、私はより一層小さくなっていた。その際に、また色々話しかけられたが、お風呂の熱量も相まってあまりちゃんと返答できなかった気がする。でも、皆さん気にしてないと笑顔で言って下さった。こんな貴族の方たちもいるんだなぁと、ちょっと驚きを覚えた。
だが、いよいよお風呂から出た時、私はあることに気付いた。ここに私はレミリア様に強引につれてこられたので、新しい着替えを持ってきてないのだ。
どうしよう……と脱衣所まで戻ると、私が服を脱いだ棚に見慣れない……おそらく衣類だと思うものが置いてあった。
「えっと、これは……あ、私の下着もある……」
そういえばレミリア様は、部屋を出るときミシェッタさんに何か言ってました。それがコレですか。
でも、下着はともかくこの薄い布で出来た衣服は一体何かしら。そっと取り出して広げてみると、ワンピースのような一枚の服だった。
「あ! ティアナさんも浴衣なんですね」
「え? ゆ、ゆかた……ですか?」
声に驚き振り向けば、笑顔でこっちを見ているフレイヤ様だった。そのフレイヤ様ですが……何か見慣れない服を着ていた。ううん、よく見れば今私が手にしている“ゆかた”という物とよく似ている。
「はい。この浴衣というのは、ここより遠く東の国で着られている服です。お風呂上りに着ることが多く、そのまま寝巻きにすることもあるんですよ」
「そうなのですか。ですが、私なんかが……」
「さっさと着なさい。私の部屋では、夜は浴衣が普段着なの。いいわね?」
「は、はい……。ありがとうございます」
結局私は、この服──浴衣を受け取ることにした。着方を教えてもらうと、案外すんなりと着ることができた。見ればレミリア様とマリアーネ様も浴衣を着ている。この方たちと同じ装いなど大丈夫なのかと思ったが、何かを言う前にまたレミリア様に手を引かれて部屋に戻ることになった。
マリアーネ様とフレイヤ様は、あわてる私をほほえましそうに見ている。
(──そうか。これが“レミリア様”なんだ)
戸惑いながらも、どこか納得している自分に、何か新たな気持ちが湧き上がるような気がした。
(まだ何もわからないけど……精一杯がんばろう)
そう自分に言い聞かせながら、引かれる手を少しだけ強く握り返した。