042.学園入学と すごい 勘違いの噂
ここから第三章となります。
草木が香る、うららかな陽射しの中。ついに魔法学園の入学当日となった。
この国では魔力を有した者──往々にして貴族は、15歳となる年に魔法学園へ入学する。そこは全寮制の学園で、基本的に施設内で不自由なく過ごすことが可能となっている。
とはいえ、別に隔離されているわけではなく、授業の無い日は自由に外出することも可能だ。
学園へは三年間通うことになり、最初の一年で自分の能力を見極めて自身の方向性を認識する。二年目は、それに合ったカリキュラムを選び、クラスもそれによって変化する。ただ、この二年生は、別名“移動年生”とも呼ばれる。その理由は二年生時は、自身の能力判断によりカリキュラムはおろか、場合によってはクラスまでもが変動できるからだ。移動できるタイミングは、一学期と二学期の学期末。ここで注意しないといけないのは、三学期のクラスはそのままエスカレーター式に三年生のクラスとなってしまう。
そして三年生は、もはや完全に将来を見据えての一年間となる。そのため、既に目標が定まっている人は授業を受けず自身の目標に全て費やしても良い。三年生の三学期ともなれば、もはや授業を受けている者の方が珍しいくらいだ。
そんな学園への入学式だが、ゲーム『リワインド・ダイアリー』では主人公視点のオープニングとして描かれている。仲が悪い悪役令嬢とは別々に学園へ来て、慣れない場所だからと注意散漫になってしまい、結果アライル殿下とぶつかってしまう……という所からゲームは始まる。
当然アライル殿下との顔合わせならば、その直後にレミリアも出て来て罵声を浴びせる展開に。その場はアライル殿下の顔をたてて収まるも、すぐに悪い噂となってマリアーネの事は学園中に広まる……という筋書きだった。
だが、当然ながら今日はそんなことはない。私はマリアーネと一緒だし、そもそもアライル殿下とぶつかっても「注意しろよ」の一言で済んでしまうだろう。というか、それ以前に私とマリアーネの後ろ、少し離れてアライル殿下が歩いているのだ。もうそれだけで『リワインド・ダイアリー』とは、全然違う光景になっている。ちなみにフレイヤは、彼女の兄クライム様と一緒だ。
「にしても、今日は晴れてよかったわ」
「ですね。なんか入学式とかが雨だったりすると残念な気持ちになりますよね」
「これで桜とか咲いてたら最高なんだけど」
「……こっちに桜ってありましたっけ? あ、着物とかある国ならあるかな」
入学式や卒業式に桜があるイメージは、どうにも日本人っぽい感覚かもしれない。確かに桜という樹は、日本人にとってどこか特別だったと思うけど。
そんなちょっとばかり思い出らしき事を話していた時、背後から驚きを含んだ声が聞こえてきた。
「わっ! な、何だ!?」
「きゃあああッ!?」
聞き覚えのある男の声と、聞いたことの無い女の声。何だろうかと振り向いた私達の視線の先には、ぶつかって転んだらしき一組の男女が。どちらも制服を着ているのでこの学園の生徒だ。
男子生徒の方は良く知っている人物──アライル殿下。そして女子生徒は……ん? どちらさま? 淡くほのかに薄いピンクの髪の毛が、先ほど話していた桜の花びらを連想させる。だが、その顔は驚きと困惑に染まり、しゃがんだまま身動きとれないでいた。
二人は驚きのあまりか、動けないでいる。それを見ている周りの人も動けない。だがヒソヒソと話す声は少しばかり漏れ聞こえてくる。
「あれってアライル殿下じゃない?」
「うそ……殿下に何してるのよあの子」
「王族に対してあんな事……不敬罪でつかまるぞ」
うわっ、まずそうな展開ね。ゲームではアライル殿下が、ぶつかってきたマリアーネを抱きとめて事なきを得たけど、今目の前の光景はどうみても衝突事故よね。しかも周囲が騒がしくなっているのに、当事者が驚いてしまって全然動かないのも問題だ。
「行くわよ」
「はいっ」
私とマリアーネはすぐさま転んでいる二人の下へ。
「アライル殿下、ひとまず立ち上がってください。そちらの貴女も立てるかしら?」
「レミリア……あ、ああ、そうだな」
「ひっ、で、殿下って……」
ようやく状況を理解して立ち上がったアライル殿下に対し、しゃがんだままの女子生徒は驚きの表情をアライル殿下に向ける。というか、今の発言からして目の前の人物がアライル殿下だと知らなかったように思える。心なしか、先ほどよりも顔が青ざめてるようにさえ見るかも。
「第二王子のアライルだ。少し考え事をしていたせいで貴女にぶつかってしまった。申し訳ない」
「い、いえ、余所見をしていたのは私の方で──」
「とりあえず、貴女も立ちなさい。それとも手を貸しましょうか?」
女子生徒が“自分が悪い”みたいな事を言い出したので、あわてて割り込んで発言を止める。アライル殿下も、状況を鑑みて自分の不注意だという事実にしてくれたのだろう。こんな事で面倒な責任問題を起こしたくないという所か。
「だ、大丈夫です。自分で……あ、あれ?」
「驚いた反動で足に力が入らない様ですね。どうぞ、手を貸しますよ」
「す、すみません……」
となりにしゃがみこんだマリアーネが、すっと手をにぎりゆっくりと立ち上がらせる。その様子を見ていた私とアライル殿下を見て、またその女子生徒が怯えるような表情をする。
「す、すみません! 私が余所見を──」
「その話はアライル殿下の不注意ということで終わったわ。それより、まだ貴女の名前を伺ってないわ」
「は、はいっ! 私はティアナと申しますっ」
そう言って頭を下げるティアナさん。…………あら?
「えっと、すみませんができればどこの家の者かも教えてくださるかしら」
「…………その、平民、です」
そうティアナさんが口にした瞬間、まわりのギャラリーからざわめきが起きた。それは平民でありながら、この魔法学園に入学してきたという事への驚きだ。この学園に平民が入学してくることは非常に珍しいことなのだ。
極稀に魔力をもつ平民もいるのだが、必ず魔力を有している貴族と違い、自分がどんな魔力を持っているかを調べる義務が平民には存在しない。そのため、実は力をもっているのに生涯それを知らずに過ごした平民もいるといわれている。だから心無い貴族の中には『魔力がないから平民なのだ』なんて言うものさえいる始末だ。
そんな中、ティアナさんは平民でありながら魔力を持っている。だからこの学園に入学してきたのだ。そんな驚きの中、ようやく落ち着きを取り戻したアライル殿下がティアナさんを見る。
「そうか、君が平民ながらこの学園に入学したという子か」
「は、はいっ」
「改めて宜しく。この学園では身分など関係なく、皆平等な一生徒だ」
そう言って手を差し出す。その手を見てティアナさんは不思議そうな顔を浮かべる。……もしかして、よくわかってないのかな?
「握手を求めてるのよ。ほら、えっと……ティアナさんだったかしら? 早く握手なさい」
「ええっ!? で、でも、私なんかが殿下と……」
「いいから、早くなさいっ」
「は、はいぃ!」
私の声に驚いたティアナさんは、両手でがしっとアライル殿下の手を握る。どこか苦笑いを浮かべるアライル殿下を見ていると、マリアーネが隣にきてこっそり話しかけてくる。
「レミリア姉さま、なんでそんなに威圧的に……」
「別に威圧なんてしてないわよ。あまり注目されるのも嫌だから、とっとと切り上げたいだけよ」
「……逆に結構注目されてる気がしますけどね」
言われてみると、いまだ周囲のギャラリーはずっと見ているままだ。さすがにアライル殿下がここにいては、気になってしまうというものなのだろう。
「アライル殿下、そろそろ行きましょう。こうしていても、無駄に注目を浴びるだけですわ」
「ああ、そうだな」
「そちらの……ティアナさん、あなたもですわ」
「は、はい」
私の言葉を聞いて、ようやく握っていた手を離す。どうにも握手というより、なんか凄いものを両手で捕まえてる……みたいな雰囲気でしたけど。
「それじゃあ行きましょう、お騒がせ致しました」
「では皆様、ごきげんよう」
私とマリアーネが周囲の皆にすっと礼をして立ち去る。すぐ後ろにアライル殿下がついてくるが、とりあえずそのまま教室の方へ。
クラスは私もマリアーネも、そしてフレイヤもがAクラスだった。フレイヤも同じなのはおそらくは偶然……いや、この学園の最初のクラスは入試成績順だったかしら。私とマリアーネが一緒なのはゲームの影響もあるかもしれないけれど。
ゲームの悪役令嬢は、ヒロインを嫌っており執拗に苛める対象にもしていた。なので色々裏から手をまわして同じクラスになったという設定があったはずだ。その影響も少なからずあったかもしれない。……無い方が嬉しいけど。
ちなみにアライル殿下も同じクラスだった。これも入試成績が関係しているんだろうけど、もしかしたら別の思惑も働いてるのかも。
そんな時、ふと教室の中の会話が途切れた。なんだろうと周囲を見ると、皆の視線が教室入り口にあつまっていた。そこにいたのは、先ほどの女子生徒ティアナさん。少しおどおどした様子で教室へと入ってきた。
「レミリア姉さま、あの方先ほどの」
「そうね。ティアナさん……だったかしら」
入って来たティアナさんは、私やアライル殿下を見て少し驚くき、軽く会釈をして空いている隅の席に座ってしまった。彼女が座ると、またすぐさま教室の喧騒がもどってくるが、どうにも先ほどまでとは違った雰囲気になっている。なんせ──
「あの子って、アレだろ? 平民なのに魔力持ちっていう」
「そうなの? それってもしかして、貴族との間に……っとか?」
「私さっきあの子が殿下にぶつかってるのを見てたわ」
「なにそれ? 詳しく教えて」
ヒソヒソと聞こえてくる声が、どうもあまり愉快な感じがしない。私が少し不快な顔をしているのと同様に、マリアーネもなんだか不快感を顔に浮かべている。
「なんだかアレですね。私達が学生時代と違って、この世界って娯楽や趣味って少なそうですし」
「そうね……あんなちょっとした出来事も、格好の話題になるってことね」
「ですねー」
「……あと私達の学生時代って言ったけど、結構離れてるわよね」
「あ、違いますよっ。私そういう意味で言ったんじゃないですー」
軽いジト汗をかくマリアーネはともかく、入学初日にこんな空気はちょっとイヤですわね。私のそん
な呟きに「同感です」と返すマリアーネ。
それじゃどうしようかしら……と思っていたが、それから直ぐに教員がやってきた。そうじゃなかったら、私かアライル殿下あたりが「騒がしい」などと注意をしていたかもしれない。正直あまりそういう目立ち方はしたくないので助かったわ。
この後、講堂へ移動して入学式が執り行われた。といっても全寮制学園だからなのか、それともこの世界の慣習かのか、保護者などの参観者はなかった。なのでまあ、雰囲気としては少し重要な学校集会みたいなものだった。
ちなみに新入生代表の挨拶はアライル殿下、在校生代表は生徒会長のアーネスト殿下だった。この両殿下による言葉を全校生徒のみならず教員達もみな笑顔で聞き入っていた。……え? 何を話していたかって? いやねぇ、私って昔から式の話ってよく覚えてない子だったから、ホホホ。
入学式が終わり、全生徒が一度教室へ戻る。その際、なぜかお兄様が私のところへやってきた。お兄様は副会長なので、先ほどまではアーネスト殿下の傍にいましたわね。
「レミリア、お前一体何をしたんだ?」
「え? えっと……何の話でしょうか?」
お兄様は私の手を引き、生徒達から少し離れてそんな事を聞いてきた。無論私はなんのことかさっぱりわからない。
「今朝から噂になっているぞ。なんでも、アライル殿下と……何と言ったか、新入生の平民の……」
「あら、お兄様はティアナさんをご存知ですの?」
平民での入学はやはり珍しいのですね。生徒会ともなると、そういった事前情報も把握しないといけないのでしょう。
「そうだ、そのティアナ嬢との事だ。何でもアライル殿下とぶつかったティアナ嬢に激怒し、叱責した挙句に追い返したという噂がたっているぞ」
「…………はぁあああ!? な、何ですかそれはぁ!?」
思わず叫んでしまう私。
ムリもない。だって私はそんな事まったくやった覚えがないのだから。
──だが、そんな私に一筋の冷や汗が流れる。
アライル殿下とぶつかる女子生徒に、嫉妬心から激怒する悪役令嬢という構図。
これって、ゲーム『リワインド・ダイアリー』のオープニングでは!?
ここに来て、私はようやく実感した。この世界……否、悪役令嬢の人生が、遂に幕を開けたのだということに。