016.本が大好きって本当ですか?
王宮庭園の片隅の、少し木々により見通しが悪くなっている場所。そこにいる私とマリアーネの視線の先には、怯えた表情のフレイヤさんと、彼女に対峙しながらも私の顔を見て驚いている数名の少女がいた。
先ほどマリアーネが言ったように、私も彼女達に何となくだが見覚えがあった。うん、デビュタントの時に会った人達だ。
そして、当然の事だが彼女達も私とマリアーネを認知していた。だからこそ、随分と青い顔を晒してしまっているのだろうが。
「聞こえなかったのですか? ここで何をしてらっしゃるのかしら?」
「ひっ……」
少し怒気をこめた声を発しながら一歩踏み出すと、フレイヤさんを掴んでいた少女が手を離す。だがフレイヤさんも驚いているのか、自由になった手もそのままに硬直している。動かないのは他の子達も同じで、どうすればいいのか迷っている……というか、只々パニくっているような状況か。
「私、そこのフレイヤさんにお話がありますの。すみませんが、この場を譲ってはいただけませんか?」
「は、はいぃっ!」
半分悲鳴の様な鳴き声を上げて、フレイヤさんから離れる。だがそこから、動かないのか動けないのか、立ち去ろうとしてくれない。なのでダメ押しに思いっきり睨みつけてやると、ようやくこちらの意図を察したのか慌てて立ち去っていた。ふっふっふ、ダテに悪役令嬢顔してるわけじゃないのよ。
立ち去っていく少女らを見送り、無事に済んだことで一息つく。後ろでマリアーネが、まだ戸惑っているフレイヤさんに話しかけていた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……大丈夫です……」
返事からすると、どうや乱暴とかはされてないようだ。よかったと安堵の笑みを浮かべ、振り向いて私も話しかけることにした。
「えっと、フレイヤさんでよろしいのですよね?」
「ひっ! は、はいぃ……」
あら、まだ少し先程までの恐怖が残っているのか声が震えている。これはちょっと場所を移動したほうが心境的によろしいかもしれませんわね。
「ではフレイヤさん、少し場所を変えましょうか」
「……はい……」
まだ少し怯えてしまっているフレイヤさんの手をひいて、私は庭園の角に設置されているベンチへと向かった。まずはフレイヤさんをベンチの真ん中に座らせて、私とマリアーネが左右に座る。これでまた誰かがちょっかいをかけようにも、私達がいるから出来ませんわね。
だけど、まだフレイヤさんは座ったまま少し怯えているようだ。うーん、これはさっさと仲良くなって打ち解けたほうがいいかも。
「フレイヤさん、実は貴女にお話……というか、お願いがありますの」
「お、お願い、ですか……?」
「はい。その、お願いといいますのはね……」
ちょっとばかり息を吸い込んで、落ち着きながら気合をいれる。……よし。
「よろしければ私達と、お友達になっていただけませんか?」
よし言えた! ふー、なんだか面と向かってこういう事言うのって、妙に照れくさいわね。
だが、気になるフレイヤさんの返答なのだが。
「……………………」
あれ? なんだか酷く驚いたような表情で、ぽかーんとしてらっしゃいますわね。ひょっとして、何か言い間違えてしまったのかしら? もしや言葉がうまく伝わらなかったとか?
だがフレイヤさんは、徐々に驚きから暗く沈むような表情になっていく。そしてついには俯くような姿勢になってしまった。
「あ、あの──」
「ありがとうございます。でも……きっとご迷惑をおかけするから、だから……ごめんなさい」
そう言ってフレイヤさんは、俯いたままさらに頭を下げる。迷惑をかける? それは一体どういう意味なの?
「あの、迷惑をかけるっていうのは一体……」
「お二人も聞いたことはないですか? ──“サムスベルク家の忌み子”と」
「サムスベルク家の……忌み子?」
そういえば先程、フレイヤさんが挨拶をしたときに周りにいた御婦人方がそんな言葉を口にしていたような気がする。
「……はい。私の見た目が不気味だと、気持ち悪いと多くの人が口にします。この白い肌も血の通わない呪われた証しだと言われ、真っ黒な髪も心の奥底が表れたと言われ、蒼い目はまるで作り物──紛い物のような不気味な存在だと言われ……」
ええーっ!? こんなに白くてつやつやな肌が呪われた証? 黒い髪が心の奥底を表してる? じゃあなにか、私の心の奥底は真っ黒だとでも? それに蒼い目が紛い物? あんな綺麗な澄んだ瞳、どう見たらそんな事言えるのよ!
フレイヤさんの言葉に、私もマリアーネもおもいっきり脱力した。やっぱりこれは、露骨な妬み僻みによる誹謗中傷のようだ。
「フレイヤさんは、その言葉を信じてるの?」
「そ、それは……」
今にも泣き崩れそうだったフレイヤさんが、私の言葉に顔をあげてこちらを見る。うん、やっぱりすごく綺麗な瞳。その瞳が大きく見開かれて揺れている。
「私は噂については良く知りませんけど、フレイヤさんの蒼い瞳、綺麗で好きですよ」
「……え」
「あっ、私も私も! それにフレイヤさんの白い肌も素敵ですよね」
「……え、えっと」
「うんうん! それにその黒髪! 私も黒髪ですが、フレイヤさんはすごく艶やかですよね。もしよかったら、触らせてもらえませんか?」
「あ! ずるいですレミリア姉さま。フレイヤさん、私も髪に触れさせて頂きたいです」
「え、あ、あの、あのっ……」
私とマリアーネの様子に、あたふたするフレイヤさんだが、そのあまりにも艶やかな髪の毛にどうしても触れてみたくて。いや、別にそういう癖じゃないよ? ホントだよ?
「……少しだけ、なら」
「「やったー!」」
「キャッ!?」
許可をもらってさっそくフレイヤさんの髪をそっと手にとる。その絹のような滑らかな手触りもさることながら、すーっと指の上を流れるとほのかに優しげな香りが舞うようにも思える。
「すごい……こっちは碌な整髪剤がないのに、この艶やかさ……」
「どうやってこのキューティクルを保つのか……謎です……」
「……あ、あの……ううっ」
左右から髪に触れられてフレイヤさんは、いつしかまた先程のように俯いてしまっていた。ただ、その表情はさっきまでの暗さはなく、恥ずかしいのとどこか楽しげな表情を浮かべ赤くなっていた。
「ごめんなさい! あまりにも綺麗だったから……」
「いくら許可をもらっても、他人に髪の毛をずっと触れられるなんて嫌ですよね。ごめんなさい……」
「い、いえ、大丈夫ですから」
その事に気付いたときは、私もマリアーネも随分夢中になってヘアー談義をしていたようだ。幸いフレイヤさんがとても心の広い方だったようで、私達の謝罪をうけいれてくれた。よかった……女性同士でもセクハラってダメなんだもんね。
「そういえば、まだきちんと挨拶をしていませんでしたわ」
ベンチから立ち上がり、そっとドレスの裾をつまんでカーテシーをする。
「改めまして。フォルトラン侯爵が娘、レミリア・フォルトランです」
反対側に座っていたマリアーネも同じように立つと、
「フォルトラン侯爵が娘、マリアーネ・フォルトランです」
同じように挨拶をした。そして、
「この度はありがとうございます。サムスベルク伯爵が娘、フレイヤ・サムスベルクです」
フレイヤも挨拶を返してくれた。
そして皆でまたベンチへ座り直し、何気なく顔を見合わせて……笑みが浮かんだ。よくわからないけど、何か嬉しいような楽しいような気がしたのだ。
「それにしても、露骨な嫌がらせですよね。妬みが見てとれますもの」
マリアーネがぷんすか怒りながら愚痴る。それに対しフレイヤが不思議そうな顔をする。
「ねたみ……?」
ああ、そうか。私やマリアーネは中身が、成人だったり高校生だったりするけど、フレイヤさんは普通に12歳とかそんなだもんね。妬みって言葉もよくわかんないか。
「えっとね、要するにフレイヤさんが綺麗で羨ましい、だからそこを意地悪で変だって言ってたのよ。……んー、でもそれだとあの子たちだけじゃなく、大人までもが口にしてた理由には弱いわね……」
そう口にしながら、こういう環境で起きる事を考えてみる。この貴族社会──社交界では信用が第一だ。例えば舞踏会や晩餐会などは、主催が上手に運用できたかどうかで、社会的地位が一気に変動する。そういう社会において、盤石な体勢を持つ貴族を貶めるにはどうしたらいいか。
いくつも手段はあるが、ありふれていて典型的なのは──子供を使う方法だ。出る杭は打たれる、ではないがそこの子供が何か違っている存在であれば、それを口実に色々と噂をばらまけばいい。それが真実だろうが嘘だろうが、人々の言葉になって広まってしまえばそれは力になる。
……ということは、おそらくはフレイヤさんの両親あたりが、何か人に羨ましがられるような存在なのだろうか。そして、それを妬んでいる者がいると。
「フレイヤさん。貴女のお父様って何をなさっている人ですか?」
「お父様は図書館の館長です」
「図書館!?」
思わず声を上げてしまった。そういえば日本にいた頃は、図書館なんてほとんど行った事無かったから忘れてましたね。ネットで調べ事は済んでしまいますし、読みたい書籍もネットで見てしまっていた。図書館なんてのは、受験の勉強で涼みにいった時くらいしかしら。
でも、そうか……この世界はネットはないけど、書籍という情報媒体はあるのね。
「その図書館って大きいですか?」
「ええっと……多分大きい、です。お父様が言うには、国王様に言われて管理している図書館という話でした」
「国王陛下が!? ということは、いわば王立図書館みたいなものね!」
まさかそんな図書館があったとは! ではどんな蔵書があるのだろうかと、少し詳しく話を聞いてみることにした。それにより、色んな論文やら歴史の記録やらの他、魔法に関する書物などもあるとか。そんな中、フレイヤさんが一番好きな本というのは。
「その、私は物語を読むのが好きです……」
消え入りそうな声で、少し恥ずかしそうに言った。フレイヤさんが特に好きなのは、いわゆる恋愛物語──ラブロマンスものだろうか。時間があれば、それこそ日がな一日ずっと図書館で本を読んでいるとか。
しかし、父親がそこまで大きな図書館の館長か。まだ何とも言えないけど、色々妬まれる要素は事足りそうだなぁ。
そう思っていると、反対側に座っているマリアーネが今度は聞きたいことがったようだ。
「フレイヤさん、お母様は何かしてらっしゃいますの?」
「はい。お母様もその図書館に勤めています。えっと、たしか……“ししょちょう”と呼ばれるお仕事をしているとお聞きした事があります」
「司書長ですか。なるほど……フレイヤさんも含めて、皆さん図書館好きなんですね」
そう言われると、フレイヤさんは嬉しそうな表情を輝かせて「はい!」と返事をした。図書館一家と呼ばれるのが好きな子なのかしら。
だが、話はそこで終わらなかった。
「私も、お父様も、お母様も、お兄様も、皆図書館が……本が大好きなんです」
「そうな……ん? お兄様?」
フレイヤの会話に、今の今まで出てきてなかった“お兄様”という単語が出てきた。私にだってお兄様はいるし、別におかしい事ではない。だがフレイヤから“お兄様”と聞こえてきた瞬間、私の思考に何か予兆のようなものを感じたのだ。
……ふぅ。流石にもう予測できるわね。私はそれを確かめるべく、フレイヤさんに問いかけた。
「フレイヤさん。お兄様の……お名前は?」
もしかして私の声は少しかすれていたかもしれない。その事にマリアーネは気付いたのか、小さく「あっ」と声を漏らした。だが、フレイヤさんは何も気付かず、屈託ない笑顔で応えてくれる。
「私のお兄様は、クライム・サムスベルクといいます」
──そして、やはり浮かび上がるは乙女ゲーム『リワインド・ダイアリー』の記憶。
クライム・サムスベルク──私達が学園に入学した時、二年生でありながら副会長をしている英才。
そして──攻略対象の一人だ。