117.微笑──その姿を目に焼き付けて
そういえばまだお昼を食べてなかったなぁ……と思ったタイミングで、少しだけお腹がキュッと鳴った。幸いにも賑やかな室内のため、聞かれたのは隣にいたマリアーネだけだった。
「くすっ、少しお腹がすきましたね」
「……そうね。少し包んでもらって、外で食べましょうか」
教室内の一角を囲って調理スペースにしているので、そこで食べるのはちょっとばかりジャマになる。でもだからといって普通にカフェスペースで食べるのも……という感じだ。ちなみにクラスの皆も、交代のタイミングなどで持ち出して食事をとっている。
「よし、それじゃあテイクアウト二人分を──あれ?」
手早く作ってどこかへ行こうかなと思ったのだが、そこにやってきた人物を見て動きが止まる。
「フレイヤにティアナじゃない。どうしたの二人して?」
「ふふ、少し休憩に戻ってきたの。お昼も兼ねてね」
「えっと、私とフレイヤさんが一緒なのは偶然そこで会ったからです」
こちらの疑問に簡潔に答えるも、すぐさま新たな疑問が沸き上がる。
「というかティアナ、あなた劇はどうしたの? 休憩でこんな所まで来ていいの?」
「はい、大丈夫です。実は……」
「あ、ちょっとまって! テイクアウト用に四人分ちゃちゃっと用意するから!」
そう言って私はあわてて調理スペースへ。何のこと? という顔の二人へは、マリアーネが説明をはじめるのだった。
「──とまぁそういう事で、午後からは本来の配役であるカリーナさんに交代することになりました」
校舎裏の花壇の傍に座り、食事をしながら私たちにティアナが事情を説明してくれた。そうそう、食べながらお話はダメとか、そういうのは今はナシで。
ティアナによれば、カリーナさんが思いのほか体調が回復しており、それならばやはり劇に出るべきだとティアナが進言したとか。言われたカリーナさん本人は申し訳ないと断ろうとしたが、そこはティアナが押し切ったらしい。なんというか……この子ってば、時々すごい押しが強いのよね。
でもそうなると、やはりずっと練習してきたクラスメイトとしては、一緒にやろうという話になっていく。結果、カリーナさんも本当はやりたいとの思いを打ち明け、晴れて舞台復帰ということになった。
「……そっか。でもティアナはこれでよかったの?」
「もちろんですよ! 元々私はあの劇には含まれない人間なんですから。それなのにクライム様と一緒に……ふふっ、ふふふふ」
「……ティアナってば時々気持ち悪いわよね」
「ひどい!?」
いい事言ってたように感じたけど、最後がちょっとアレだったので減点ね。でも仕方ないのかもね……劇とはいえ、クライム様と恋人役をやれたのだから。
「それにしても、ちゃんと集まれて良かったね。今日は皆役割が違うから、一緒に過ごせるとは思わなかった」
「そうですね。私の休憩はケインズ様から言われたのですが、今思えばこうやって過ごせるようにとのお気遣いだったのかもしれません」
「ああー……お兄様なら可能性ありますねぇ……」
相槌をうったフレイヤの言葉に同意するマリアーネ。確かにお兄様は気遣いができるイイ男って感じだものね。普段一緒にいるのがアーネスト殿下だってのも大きな要因の一つかしらね。
他愛無い会話をしながら昼食をしていたが、ふと全員が同時に食べたため会話がふと途切れる。そのため静寂に包まれる──などということはなく、学園祭を彩るため流されているBGMや、賑やかな喧噪が心地よく耳に届く。
思わず顔を見合わせながら、全員が無言でもぐもぐと食べ進める。そしてほぼ同時に食べ終わり、またしても顔を見合わせて……笑いあった。
「も、もう! 何よ皆して」
「レミリア姉さまも笑ってるじゃない」
「ですよね……ふふっ」
「なんだか面白かったですね」
女四人あつまれば姦しいを超える、女姦しいよねと思い至ってまたしても愉快になる。
……そんな賑やかく和やかな昼のひと時だったのだけれど。
「おや? きれいなお嬢さん達がいるじゃないか」
「おおっ、皆可愛い子ばかりだな」
「っ!?」
ふと聞こえてきた声に視線を向けると、こちらに歩いてくる男性が四人。その身なりを見るに、どこぞの貴族の青年かなという印象だ。だがその表情は、どこか軽い感じがしてあまり印象はよくない。
「……何か御用でしょうか?」
無意識にフレイヤとティアナを背にかばうように前に出る。そのすぐ横にマリアーネが付いてきてくれた。
「いやいや、そんな怖い顔しないでくれるかな? 俺たちここの卒業生なんだよ」
「そしたら今日何か面白いことをするって聞いて、久しぶりに来たってわけ」
「……そうですか」
だから何ですか──と言いたい気持ちを抑え、静かに返事をする。なんというか……こう好奇に満ちた視線を向けられると、いやおうなしに声を荒げてしまいたくなるわね。
「もう、そんな怖い顔しないでさ。後ろの子たちもさぁ……ね?」
「「…………」」
なんとも軽薄な感じに、フレイヤとティアナは声も出せないようだ。私とマリアーネは前世の経験から、いわゆる“ナンパ”だという感じがしてしまい、警戒はするけど怖いという感情はあまり湧いてこない。
そんな、なくてもいい慣れの記憶のためか、マリアーネが臆することなくもう一歩前にでていく。
「申し訳ございませんが、御用が無いのでしたら私達には構わないようお願いいたします」
「そうだね……用なら君たちと話がしたい……とかは?」
丁寧にお断りを入れるも男たちは、ますます相貌を崩してこっちに話しかけてくる。なんだろうかコレは……久しぶりに見たワガママ貴族ぼんぼんというヤツかしら?
いいかげんこっちも少しイライラしてくる。ここで怒ってはいけないのだが、だからと言って話が通じそうにない。……本当にここの卒業生なのかしら? 多分本当なのだろうけど、ここまで出来上がったワガママ人間だとどうしようもないわね。
「…………はぁ、わかりました」
「おっ! それなら──」
「なので私達が立ち去りますので、存分に花を愛でてらしてください」
「なっ……お、おい、お前っ……!」
前に出て会釈をしてそう告げた私に、先頭の男が慌てた表情で手を伸ばしてくる。それを思わず反射的に叩いて止める。
「っ! てめぇ、何様のつもりだ!」
「何様も何も、いきなり女性につかみかかるような野蛮な行為、まず人として如何かと共いますが?」
「ふざけんじゃねえ!!」
激昂した男が、先ほどよりも強く手を伸ばす。まさかこんなにも直情的に手を出してくるとは思ってなかったので、わずかに後ずさるも掴みかかられそうになり──
「ハァッ!」
「うぐあっ!?」
男が思い切りのけぞってしりもちをつく。何が起きたのか理解できない私達。それは向こうの男達も同じで、ぽかんと口をあけたまま動かない。
そんな中、最初に言葉を発したのはフレイヤだった。
「マインさんっ!!」
そう呼ばれたのは……私が掴まれる瞬間目の前に割り込み、その手を叩き男を押し返した人物。フレイヤの専属メイドであり、近接格闘技術を有しているマインさん。この学園祭中はフレイヤを基本に、私達をそっと護衛してくれていたのだ。
ちなみに私とマリアーネの専属であるメイド姉妹は、出し物であるカフェの下ごしらえ等でここには居ない。
「ありがとうございますマインさん。おかげで助かりましたわ」
「いいえ、何事もなく何よりです」
そう言って笑みを返してくれる。くぅ~! 戦闘メイドかっこイイわね!
マリアーネとティアナもほっとした表情をみせてくれる。だが、そんな私たちと対照にイライラが頂点に達した人たちがいた。言わずもがな、目の前の男達だ。
「くっ、ふざけやがって……メイド風情がこんな事して、ただで済むと思うなよ?」
「まったくだ。君たちも学園の後輩だからと優しく声をかけてあげたのに、こんな仕打ちをしでかすとは」
ヨロヨロと立ち上がる男の言葉に、一緒にいた者たちも言葉をつなげる。どうにもその言動が不快でたまらない。私同様に耐えかねたマリアーネが、もう一度男たちに向かって言葉を向ける。
「これのどこが優しくでしょうか。この学園の卒業生とおしゃいましたが、まず先に人としての常識を学びになられるべきでは?」
「何だとこの──」
再び声をあらげ懲りずにこっちへ向かってこようとする。一緒にいた男達も、今度は全員こちらに手を出そうとする様子がうかがえた。
…………が。
「そこの者たち! 一体何をしているッ!!」
凛とした声が緊迫した空気を切り裂く。
動き出そうとした男達の足を止め、とっさに私たちの前にかばう様に出たマインさん以外もビクッと飛び上がりそうなほど驚く。
だが、聞こえてきた声に私は思わず安堵の笑みを浮かべる。視線を向けたその先には──怒りを湛えた瞳を男たちに向ける男性が。
ゆっくりとこちらに歩いてくる人物を見て、男たちがとたんに慌てた様子を見せる。そんな中私は、その人物へ名前を呼びかける。
「…………アライル…………」
その時、すべての音が消えたように私の声が皆の耳に届く。そして呼ばれた本人が、こちらを見てほほ笑む。
「お待たせ、レミリア」
その声に、動作に、笑顔に…………自分の頬が熱くなるのを、気付かずにはいられなかった。