107.結び──流して生まれるもの
サニエラさんのクラス、2-Bに乗り込んだあの日から一週間ほど経過した。
虐めの噂話は翌日から急激に沈静化し、今日あたりは全く耳にしなくなった。そして花壇の様子だが、思った以上にしっかりと整備されているようだ。花壇を囲んでいる石なども綺麗に補強されて組まれ、中の土も全体的にほぐしなおされている。指揮をとっているサニエラさんに聞いたところ、肥料を混ぜて土を盛りなおしたとか。
また花壇用の道具を置いてある棚も、綺麗に整備されていた。とりあえず、花壇に対して真摯に向き合ってくれているのがよく分かりホッとした。
また、私たちに関しても少しだけ変化があった。
「二年生だと思うんだけど、廊下で私を見た瞬間『ごきげんよう聖女様!』って姿勢を正して挨拶されたの。これって……レミリア姉さまがやった“アレ”のせいだよね?」
「うっ……」
マリアーネの軽いジト目を受け、私はつい返事を窮してしまう。それはそのまま肯定したのと同義である。
要するに2-Bの先輩方は、『聖女』という者に対しての信仰というか、強い思い入れが生まれてしまったのだろう。いや、もっとハッキリ言うべきか。聖女という存在に敬い……というか、恐れみたいな物を抱いてしまったのかもしれない。あの日の行いにより、本来ならば悪役令嬢に対して向けるべき感情が、聖女に向かってしまっているといったところか。……まぁ、実害が無ければそれでいいわ。
そして放課後、私達は四人で花壇へ行った。花壇の世話をしていた先輩方は、私達──正確には私とマリアーネを見ると、慌てて姿勢を正す。うーん……ちょっと気分的に支障があるかな? もっと気楽に過ごしたいんですけど。
こちらも挨拶をしながら作業を続けてくださいと言葉をかけると、そこにいた2-Bの先輩方以外の人物に気づく。
「……どうしてヴァニエール先生がいらっしゃるのですか?」
そこに居たのは、攻略対象でもあり1-Aの副担任でもあるヴァニエール先生だった。しかし、何故ここに居るのかは全く持って疑問だ。以前孤児院の花壇のお世話でも会ったことあるけど、もしかして花壇に寄ってくる体質なのかしら?
そんな事を考えているとヴァニエール先生は笑顔を浮かべると、
「夏休みの間、女王陛下よりこちらの花壇の話を聞いてね。それでもし手が空いている時間があればお世話を……と、言付かったんだけど──」
そう言いながら花壇と世話をしている先輩方を見る。無論先生は含みを持って言った言葉ではないが、先輩方としては中々に重い心境のようだ。だけどそれに気付かずヴァニエール先生はにこやかに笑うと。
「どうやらちゃんとお世話をしてくれる人がいるみたいだね。うん、これなら私も安心して陛下に報告できるよ」
「そうですね。あ、そうですわ! 特にこちらのサニエラさん」
「えっ!?」
会話の中に女王陛下と出てきたとたん、急に緊張した空気をまとっていたサニエラさんを引っ張り込む。まさか話題にされると思っていなかったらしく、軽く引きつったままヴァニエール先生の前に出てきてしまうサニエラさん。
「彼女は家がこの学園から近いこともあり、夏休みの間も花壇のお世話をして下さいました。今花たちが元気なのも、彼女の働きがとても大きかったとご報告いたします」
「そうでしたか……ありがとうございます。女王陛下に代わり、私から厚くお礼申し上げます」
「い、いえ! 私が好きでやったことですからお気遣いなく!」
ワタワタと慌てるサニエラさんだが、結局ヴァニエール先生からのお礼の言葉を受け取った形となった。そんなサニエラさんだが家が伯爵位なので、次に行われる女王陛下のガーデンパーティーにも出席すると思われる。きっとそこでは陛下直々にお礼を言われることになるだろう。きっと今以上にガチガチに緊張してそうね。
その後ヴァニエール先生は花壇を後にされ、どこか緊張した空気が若干和らいだ。おそらくまだ私達がいるから、完全にリラックスモードにはなってないのだろう。サニエラさんだけは肩の荷が下りた的な安堵の表情を浮かべてるけど。
ふと見れば、ティアナ達が先輩方に混じって花壇の手入れをしていた。ともかく、これで一連の件は終わったと思ってよさそうね。……ちょっとだけ聖女へ向ける感情が微妙な事になってしまったけど。
その夜、寮に戻っていつものように駄弁っていた私達は、頃合をみて大浴場へ。いつものように寮の皆さんは既に入浴済みで、以降は私達四人だけの貸切みたいな感じに。
なので場所を移動しただけで、先程までの駄弁りの続き……というのが、普段の流れなのだが。
「──あら、どなたか入って来ますわね」
「あら本当? 新学期になって初めてかしら」
基本的に少し遅めなので、何かしら理由が無いかぎり私達と一緒に入浴するというケースにはならない。果たして意図してこの時間なのか、それとも致し方なくなのか……そう思ってじっと浴室入り口を見ていたのだが……
「失礼しまーす……」
「あれ? サニエラさん!?」
「皆さん、こんばんは」
少しだけ様子見で入ってきたサニエラさんは、私達を見てホッとした表情を浮かべる。そしてそのまま後ろ手に入り口を閉める……と思いきや。
「えっと、失礼します……」
「あら、貴女は……」
サニエラさんに手を引かれて入ってきた方が一人。んー……どこかで見たような覚えがあるんだけど…………あっ。
「リミエさん!」
「えっ、あ、はい!」
思い出した流れで呼んでしまった私に、慌てて返事をする彼女はリミエさんだ。先週2-Bへ行った時に、いろいろとやり合った……というのかな? ともかく、口論をした相手だ。
だが今の彼女を見るに、あの時のような居丈高な感じはない。何というか、以前のサニエラさんに良く似ている。ティアナを虐めて居た時と、その後和解して仲良くなった時の違いのように。
彼女がサニエラさんを虐めていた中心人物だというのは、マリアーネ達もすぐ気付いたようだ。だが当のサニエラさんが笑顔で手を引いているので、何かを言うつもりは無いらしい。……というか三人とも私をじっと見てる。はいはい、わかってるわよ。
「リミエさん、せっかくなのでお背中を流しますわ」
「えっ……いえいえ! そのような事……」
「気にしないでください。今の私はただの後輩生徒ですわよ」
そう近寄ってリミエさんを座らせる。後ろにまわりこんで背中を流しながらゆっくりと話しかける。
「本当にもう終わった事です。花壇のお世話も先輩方のおかげで、前よりもずっと綺麗になりました。ありがとうございます」
「……お礼を言われる資格など、私には……ありません」
「そんな事ありませんよ。私が言いたかったから言う……それだけです。私という人間が、言いたい事を好き勝手に申し上げる性分だと、先輩方なら重々承知してますよね?」
私の言葉にちらりとこちらを見た後、コクリと頷く。
「なので先程の言葉も、私が言いたくて言っただけですよ。……よし、それじゃあ流しますよ~」
そう言ってリミエさんの背中にお湯をかけて洗い流す。
「はい終わりましたよ。背中を流したついでに、もう終わった事なのでその件も水に流しましょう」
「水に流す……?」
「はい。ここより東にある島国の言葉で、お互いのいざこざを無かった事にする……という意味ですよ。お湯で背中を流したついでに、この話も水に流しましょう。ね?」
私の言葉に驚きながら、じっと見つめてくるリミエさん。多分この人も根は悪いひとじゃないと思う。だからサニエラさんもこうやって連れてきたのだと思うし。
「……一つお願い、よろしいでしょうか。それが出来れば、私も“水に流す”事にしたいと思います」
「ええ、いいですよ。何ですか?」
了承する私の目をじっと見たリミエさんの口からでた言葉は。
「私にも聖女様──いえ、レミリアさんのお背中を流さして下さい。それで水に流したいと思います」
「……ええ、よろこんで!」
まさかの申し出だが、当然私の返事はイエスだ。笑みを浮かべてリミエさんに背中を向ける私を見たサニエラさんは。
「ティアナさん、よろしければ私達もお背中流しませんか?」
「あ……はい! お願いしますっ」
湯船から上がるティアナを見ていたマリアーネとフレイヤも。
「……私達も」
「そうですね」
少し遅れて湯船から上がる。そして二人一組で背中を流しながら、他愛も無い──けれど楽しいひと時を共に過ごすのだった。
これ以降、時々私達の入浴にお二人も顔を出すようになった。