蝉
夏が来る。そんな予感が湧いてきた。未来に対する熱い希望も、生きる目的もない私にも次の季節が感じられるとは、一丁前に人間の風格だと思いおかしかった。
夏は嫌いだ。ジメジメと汗が肌にへばりついて気持ちが悪い。大人しくしていた虫たちが揚々と活動を始める。台風で農作物が荒れて高騰する。なにより、人々がみな愉快そうな顔をしているのが気に食わない。誰も皆、心に風船を括りつけたかのように浮ついている。夏の暑さが頭のねじを溶かしてしまったのか、あるいは溌剌と頭上から監視している太陽に脅かされているのか。
とかく、私は夏となると自分が人間でないような、そんな気持ちになる。夏を楽しまないとは、さては私は人非人なのかというような恐れが生まれてくる。人々が嬉しそうにしているのだから、俯いて陰気そうにしているものはみな人ではないと言った様子である。誰が夏など作ったのか。そして誰がそれを楽しみ始めたのか。すべては産業革命と資本主義社会の生んだものではないか。果たしてそうならば、私は赤い旗を持って砂浜に立つことをも辞さない。楽しむものに憂鬱を、病めるものに愉悦を。声高らかに平等を叫ぶのだ。
ああ愛しき春よ。なぜ私を置いていってしまったのか。君の陽気と君が育んだ草花は私の心を大いに癒したというのに。
ああ愛しき秋よ。なぜ私をそこまで焦らすのか。君の芳醇な肉体の輝かしさと別れ際の切なさは今も私の胸を苦しめている。
離れがたきものこそ容易に離れていく。私はそのことを今まで何度も経験してきたはずだったのに、それを忘れて彼らとその時その時を楽しむことしか考えていなかった。いつもそうだ。大切なものばかり私の手を滑り落ちていく。その代わりに、不必要な、唾棄すべきものばかりが私の背中に伸し掛かり、痛みと腐敗をもたらしていくのだ。
その予感に耐えかねた私は、いつものように家の周りの河原をひとり歩くことにした。目的などない。強いて言うなら歩くことそれ自体が目的だと言えるかもしれないが、私はそれを意識してはいなかった。ただ歩いていた。家を出て騒がしい大通りを避けて裏の小道に入る。車一台分の幅の道を、サンダルを引きずり、猫背気味に背中を丸めて歩いた。そうすれば、世間から見逃してもらえるような気がした。幼児を自転車に乗せた母親とすれ違った。幼児は袋入りの、小さな丸いのがいくつも入ったアイスを食べていた。玉のような汗が額にあった。私はそれを見てやはり夏だと思った。
歩き続けていると、田があった。植えられたばかりの稲が風に凪いだ。水面に映った空には、絵具で塗られたような大きな雲があった。水の中の空はどこまでも深く、飛び込めば永遠と沈んでいきそうだった。私は自分の顔が水面に映らないよう距離を持って、じっとその水面を見ていた。
ふと、去年の夏に国元に帰ったことを思い出した。妹と弟が忙しなく塾や部活動に精を出している中、私は空調の効いた部屋でかもめのジョナサンを読んだ。友人が多くない私にとって、実家にいたとてすることは無かった。同じ部屋で母親が新聞を読んでいた。母は数日分の新聞をためておいてまとめ読みする人だった。私は何気なく、母親に尋ねた。
「妹の成績は、どうです?志望校はどこなんですか?」
母親は新聞を読む手を止めて、頬に手を添えた。
「あまり良くないわねぇ。けど、勉強頑張っているみたいよ。どこに行きたいとかは聞いていないけど、言わないだけでどこか思っているところがあるんじゃない」
母は勉学に関して放任主義だった。大して気にしていないようだった。
弟は、と尋ねようとしてやめた。妹ほど興味が持てなかった。
母は矛先を私に変えた。
「あなたはどうなの? 進級はちゃんとできているみたいだけど、やりたいことは見つかったの?」
私は答えられなかった。誤魔化すように席を立ち、母の分もコーヒーを入れた。
私にはやはり、何をすればよいのか、何がしたいのか、皆目見当がつかなかった。畢竟親に言われ大学に進学し、持ち前の真面目さで単位を取得してきた。大学とは、しいて行く必要のない場所である。であれば、そこに来る人間というのはやはり何か使命を帯びている人間なのではなかろうか、そういう人間を共にあれば私にも生きる意味というものが見つかるのではなかろうか。私のそういう幻想は入学後すぐに霧散した。
大学とは、醜悪で、面倒で、怠惰で、苦痛な場所であった。私はすっかりそれに毒された。あるいは、もとよりそういう性質だったのが、親元を離れたことで露見したのかもしれない。その両方かもしれない。だが、それはどうでもよかった。大学生活の結果として存在する私がいかに無価値なものか、私はただそれを実感していた。
そういう自虐的な思考が、一つ自分を人間に近づけてくれるのではないだろうかと、私は心の内で思っていた。内省。しかし改善の余地なし、これは死ぬまで治らん、と断じることで、自分は人間としては不十分だが、人間の何たるかは知っているという免罪符を得た気分になれた。
私にあったのは社会に出ることへの不安と、時折顔をのぞかせる厭世的希死願望だけであった。先も分からぬ、前も見えぬ嵐の大海へ櫓を持たず漕ぎだろうという勇気は私には無く、さりとて櫓を得るための努力を成せるほどの忍耐も持ち合わせていなかった。自分で作り上げた袋小路にはまっていく気持ちだった。
母は長年の腐敗で私の底にたまった汚泥に気付いてはいなかった。彼女にとって私はまだ船乗りではなく、小さな子供に過ぎなかった。私が「ぼちぼちです」と言うと、「ふーん」と曖昧な返事を一つよこした。
なんとなく居心地を悪くした私は、外を見た。景色が白に染まるほど激しい日光の照射に辟易としながら、私はぶらりと家を出た。外は暑かった。だのに蝉はみんみん、じーじーと鳴いている。ご苦労なことである。子孫繁栄のためとは言え、なにもこんな暑い中せずとも好いのではないか。もっと過ごしやすい秋か春にでもすればよいのにと思った。そして、春秋に鳴く蝉を想像した。春に鳴かれては他の様々な生命の越冬の喜びを妨げる。満開の桜の木に蝉が張り付いているというのもぞっとしない。秋も秋で、そもそも慎ましく趣き深い鳴き虫が多くある。蝉が鳴いたのではそれらの面目が立たない。とそこまで考えて、蝉が不憫に思えた。彼らとて、鳴けるなら夏以外に鳴きたいのかもしれない。だけれども、そうは出来ない理由があるのかもしれない。他の季節のものものに遠慮をしているのではないだろうか。彼らは一生の大半を土の中で過ごすという。それでいて、定めてこの時と、一斉に地上に出てきて一瞬に命を燃やしているのだ。そしてあっさりと死ぬ。おかしな生き物である。私はこのときはじめて蝉というものに愛着を覚えた。それ以来、蝉が鳴くのをさほど不愉快には思わなくなった。
ふと、蝉が鳴いた気がした。まだ五月だと言うに気の早いのが一匹いるのかもしれない。私は声の聞こえた方に向かった。確かに雑木林の中から、か細くみー、みーと聞こえてきた。それはやはり一匹であるようだった。
私は心配になった。こんなに早くては、恐らく番になる雌もいまい。彼は早起きをして、三文の徳どころか一生を棒に振ったのか。私はすこしばかりそこに立ち尽くしていた。ふと見上げると、空が濁っていた。雨の匂いがした。私は急いで家に帰った。
それから、あの蝉のことばかりが気にかかった。あの蝉の弱弱しい鳴き声は私の胸の中の沈殿していた泥をかき回し、私の心を存分に濁らせた。そうすると、蝉のことばかりでなく、私の中にある不快なものが腹の底から這いずり上がり、私の喉元までやってきた。私は一切の食欲を失い、ふさぎ込んだ。久々に会った友人に、痩せたと指摘された。
七月になって、蝉が大勢鳴き始めても私の心は晴れなかった。
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