小咄─嘘物語─
深夜、小雨が降る商店街。
こんな時間に開いている店は無く、昼間の賑わいが嘘だったかのように静まり返っているその場所を、一人の男が走っている。男は傘も差さず必死の形相で、まるで何かから逃げるように走っている。
店と店の間に路地裏が見えた。男は濡れた路面で足を滑らせながらもその配管が縦横無尽に壁に這っている路地裏に入った。
店の裏口───ゴミ箱が置いてある隣に腰を下ろし、深く深く息を吸い込み、吐き出す。雨のなか走り続け体が冷えたせいか、盛大にくしゃみをした。
瞬間、隣のゴミ箱がガタゴトと音を立てた。
「どぅわんぶる!!」
男は奇声をあげながら立ち上がり、見よう見まねのファイティングポーズをとる。
「………なぁーお」
「なんだ………猫か………」
ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、
「いいや?猫じゃないよ。おじさん」
一人の少年がゴミ箱の陰からぬっと現れた。
「だっ、誰だお前!!」
「そもそも本物の猫なら自分が立てた音にビックリして逃げてる筈さ。それに人に対して警戒心を抱いてる猫は人に対して鳴いたりしない。勉強になったね、おじさん」
男の言うことを無視し、少年はペラペラと喋る。
「そっ、そんな事はどうでもいい!!誰なんだお前は!!」
「僕かい?僕の名前は雨野雷夜」
「そ、そうか。雷夜君、君はこんなところで「あれ?何も気にせず信じちゃうの?」
男の話を遮り、少年───雨野雷夜は喋りだす。
「なーんで少しの疑問も持たずに信じちゃうかなぁー?普通一般的な少年少女なら深夜に見知らぬおじさんに名前を聞かれても答えないと思うよ?答えたとしても偽名を使うだろうし。そもそも雨野雷夜なんて名前の人がそういると思うの?」
「………じゃあ、なんだ?偽名なのか?」
「いや本名」
「………」
「『嘘』かもしんないけどネ!」
にゃっはははは!!と雨野雷夜は笑い転げる。
「………じゃあ雷夜君」
「なに?おじさん」
「君は何をしてるんだい?こんな時間に君みたいな年頃の子が」
「んー?んー」
雨野雷夜は首をかしげ、
「じゃあおじさん」
「なんだい?」
「君は何をしてるんだい?こんな時間に君みたいな年頃の子が」
一言一句そのままの質問を返した。
男はため息混じりに立ち上がる。
「………もういい、君みたいな子に構った僕が悪かった。君も早く帰りなさい」
「おじさんを待ってたんだよ」
「………なんだって?」
振り向くと、既にそこには雨野雷夜は存在しなかった。
キョロキョロと辺りを見回す。
「こっちだよこっちー」
上から声がした。
見上げると店の両側の配管を握り、まるで忍者のように貼り付いている雨野雷夜の姿があった。
「どうやってそこに………」
「それがおじさんが聞きたい『本当の質問』なのー?」
雨野雷夜がのんびりと問う。
「いや違う!さっきの言葉の意味を聞きたい!」
「さっきのってー?」
「僕を待ってたって!」
「あーそれー?だってさーおじさんさー」
雨野雷夜は配管から手足を離し、男の一メートル手前に着地し、
「人殺しなんでしょ?」
君はサッカーが上手いの?とでも聞くような気軽さで言った。
「………はは、何を根拠にそんな事を「レインコート」
再び男の言葉を遮り雨野雷夜は喋りだす。
「着てたよね?だってどうにもおじさん汗臭いもん。普通に雨のなかを走っただけならこんなに濃い臭いにはならないもん。返り血が着いたから脱いだんだよね?それにそのぽっこり膨れてるパーカー。内臓脂肪っぽく見せてるのかもしれないけどどうにも不自然だ。それよりなにより───」
雨野雷夜は男の顔を真っ直ぐ見つめ、
「───顔に返り血が着いてるもん」
「!!」
男は服の袖でゴシゴシと顔を拭きだす。
「『嘘』だよ?おじさん。おじさんの顔に血なんて着いてないよ?」
ニヤニヤと目を細めながら雨野雷夜は言う。
「でも、これでハッキリしたね?おじさん」
男は俯き、
「クク………クククク………」
笑いながらパーカーのポケットから布でくるまれたナイフを取り出した。
「あぁ!!そうさ!!僕は最近この辺りを騒がせてる切り裂き魔さ!!今日はどうにもテンションがあがってねぇ!!ついさっき可愛い顔した男の子を殺してきたところさ!!」
ナイフをくるくると弄びながら男は雨野雷夜に近づく。
「あぁ………雷夜君………君もなかなか殺したくなる顔をしてるよねぇ………!」
「そうかなー?」
「勿論そうさ!!だから………僕の手で、その顔をぐっちゃぐちゃに「本当に俺をただの子供だと思ってんの?」
三度、雨野雷夜は男の言葉を遮った。
「そもそもただの子供が本当にこんな時間に彷徨いてるとでも?切り裂き魔が出没する地域に子供が一人で夜出歩くとでも?常識的に考えて有り得ないよねぇ?」
ポケットに手を突っ込みながら雨野雷夜は言う。
「それにさ、言ったよね?『おじさんに会いに来た』ってさ」
「………何が言いたい」
「これが答えさ!!」
ポケットから掌ほどの大きさの黒く四角い物を取り出す。
それを口元に当て、
「こちら擬似餌!獲物が食い付いた!!至急網の用意を!!繰り返す!!至急網の用意を!!」
「おま、警察か!?」
「さぁてねぇ!!とにもかくにも、おじさんはもう終わりだよ!!」
その言葉と共に雨野雷夜は男にじわりじわりと近寄る。
「う、うるせぇ………来るな!来るなァ!!」
男はナイフをでたらめに振り回し、路地裏を抜け出て再び商店街を走り出した。
「待てコラ!!逃げんなァ!!」
後ろから雨野雷夜が迫ってくる。
男は必死に走り、走り、商店街を抜け、光に包まれた。
♂♀
雨のなか、パトカーと救急車がランプを灯し、喧しいサイレンを鳴らしている。救急車には、トラックに撥ね飛ばされぐちゃぐちゃになった男の死体がストレッチャーに乗せられて入っている。
「きゅ、急に飛び出して来たんです。何かから逃げてるようにホント突然に」
「車載カメラの映像も確認しました。あなたの言い分も正しいとハッキリ言えます」
トラックの運転手が警察官に事情聴取されている。
「しっかし、よく連絡してくれたね。大抵のヤツは罪を恐れてすぐ逃げ出すんだがね」
「事故とはいえ罪は罪なので………これから一生を懸けてでも償うつもりです」
「大丈夫、きっと大丈夫です。安心してください」
警察官は今にも泣き出しそうな運転手の肩をぽんぽんと叩きながら言った。
♂♀
「アウトドアナイフ SCHF36か………」
真っ暗なビルの屋上に腰掛け、ナイフを眺めながら雨野雷夜は呟く。
「まったく、なーにが切り裂き魔だよ。ほんのすこし肌を切り裂いてただけなのに。殺したって言ってもその辺の野良犬だし、犬にもナイフにも殺人鬼にも失礼だよ」
立ち上がり、ナイフをポケットにしまう。
「ま、そんな楽しい嘘が聞けたし、ナイフも手に入ったからいいか」
笑顔で雨野雷夜は呟いた。
そしてビルとビルの間の闇に飛び込み、闇と混ざり、そしていなくなった。