魔法騎士の口づけ
魔法、出てきません。
彼はいつだって、私を目の敵にしている。
今だって、ほら。
「アリーナ・トワイライト。あなたの行動は目に余る」
行く手を遮るように、彼は私の目の前に立ちはだかった。
その背後には、ストロベリーブロンドの少女が怯えるように隠れている。
「あら、わたくしのどのような行動があなたに迷惑をかけまして? トール・アルバース」
私は、私が知りうる限りの極上の笑みで、彼に問いかけた。
彼の顔が不快そうに歪む。
知っているわ、あなたは私がこうして笑みを浮かべることを嫌っているのを。
魔法騎士トール・アルバース。深淵の暗闇よりも濃い、黒髪と黒目を持つ青年。年は私と同じ十六歳。
髪と目の色の濃さで持つ魔力濃度がわかるこの世界で、彼は正に世界最強の魔法騎士だった。誰よりも強く、そしてたくましい。
「あなたは聖女、ミリアム・ウィンディに不埒なまねを働いている」
「まあ、具体的にどう言うことでしょう?」
コロコロと笑いながら、私がたずねれば、トールはさらに表情を険しくした。
ミリアム・ウィンディは、異世界から召還された聖女だ。
ストロベリーブロンドと、金の目という薄い色素にも関わらず、強力な魔力を持つ。
性格は心優しく、お人好し。
問答無用で、この世界に召還されたというのに、この世界のために身を粉にして働いている。
私では考えられないことだわ。
私なら絶対、自分のためにしか動かないもの。
今日、王城に上がったのもそのためよ。
いつもより人の多い廊下、今ならたくさんの人の目があるわ。
まるで断罪でもするように、トールは私が聖女に対して行ったことを挙げていく。
「彼女のために作られたドレスを切り裂いた」
「あらだって、聖女様には似合わないんですもの。白なんて」
そもそも白いドレスは、彼女の世界では死に装束を意味するんですよ、着せるなんてバカらしい。
「彼女のために飾られた花をことごとく捨てた」
「捨てたのではありません。綺麗でしたので、わたくしがいただきました」
その花が部屋に活けられている間、彼女が体調悪くしていたの知ってまして? せめて、花粉は取り除いてくださいね?
「彼女のための料理人を皆クビにし、質素な料理しかつくらない料理人と入れ換えた」
「せっかく料理人が作ったものを皆残すのですもの、そんな料理人は不要でしょ?」
花を撤去したのと同じ理由よ。普通の人なら平気なものでも、毒になることがあるのよ?
それから他にも、トールは私が聖女に対して行った不埒なまねをあげつらった。
「あなたの罪は明白だ、アリーナ・トワイライト。よって、王太子との婚約が破棄されることが決定した」
「まあ」
私はわざとらしく、驚いたふりをしてみせる。
私よりも、廊下を歩いていた他の貴族の方がよっぽど驚いていたけれど。
誰かが、今日の召集令はこれか、と呟く声が聞こえた。
私は笑みを深くして問う。
「もちろん、王太子殿下の次の婚約者は決まっておりますわよね? まさか、聖女様に?」
ちょっとそれは阻止したいけれど。
だってお人好しでは国を背負えないし、花やら食べ物で彼女自身が殺されてしまいそう。
「あなたに告げる義務はない。が、聖女ミリアム・ウィンディはあなたの手がもっとも届かないところへ送ることが決定した」
ああ、辺境の地ローズハイムね。
とてもいいところよ、何もなくて。
そんなところに送られるなんて、私よりもミリアム・ウィンディの方が断罪されているみたい。
でも確か、ミリアム・ウィンディはローズハイムの跡取り息子といい感じだったわね。
その辺りを考慮したのかしら。
王族に嫁ぐよりは、ずっといい待遇だわ。やらなくてもいい仕事を回されなくなるしね。
聖女様は、この国に存在するだけで守りになるから。
「それで、わたくしはどうなるのかしら?」
「たった今より、このトール・アルバースの預かるところになる」
そう言って、彼は王の署名が入った書状を私に突きつけた。
その内容を確認する間もなく、トールは私の手首をつかむ。
「痛いですわ! アザになってしまいます」
人よりも肌が白く、血管の弱い私は、すぐにアザができる。
ああ、これはもうしばらくは手首を覆う服を着なくてはいけないわね。
トールは、私に一瞥をくれただけで、けして手を緩めなかった。
せっかく広間に向かおうとしていた私を、逆方向に引きずっていこうとする。
「あの!」
いつのまにか近くまで来ていたローズハイムの跡取り息子に肩を抱かれているミリアムが、何か言おうと口を開いた。
「あらわたくし、謝罪はしませんわよ?」
だからそれ以上は何も言わないで。
聡い子だもの、通じたみたい。ミリアムは小さく口を動かした。「ありがとう」と。
ローズハイムの跡取り息子も、目だけで礼をする。
どうぞお幸せになんて言わないわ。
だって私はひどい女ですもの。
私の幸せのために、私はミリアムを利用したのですもの。
トールは私たちのやりとりを見ていたはず。
でも何もなかったかのように、私の手首をつかむ手に力を込めて歩き始める。
正面扉を潜り、乱暴な手つきで馬車に押し込まれる。
それを見ていた他の貴族は何事かと訝しむけど、最強の魔法騎士相手には何も聞き出すことはできない。
でもきっと、これから広間で起きることを見れば何もかも理解できるわよ。
その場に主役の一人はいないけれど。
馬車はゆっくりと走り出す。
トールは、正面ではなく私の隣に腰を下ろしていた。
「あら。ここはまだ、敵陣地でしてよ?」
ちらりと横目でトールをうかがいながら、私は言う。
「敵…なのか?」
「トールが言っておりましたのよ。殿下は敵だと」
私の言葉に、最強の魔法騎士は首を傾げる。
やがて思い至ったらしく、ああ、と納得する。
「恋敵、だな。でももう、今日からは違うから」
そう言って、トールは先程つかんでいた私の手首に優しく触れた。
「すごいな、もうアザになってる」
トールの指の形で、赤いアザが浮かんでいた。
「本当にひどいですわ。いくらお芝居でも、ここまでやる必要ありましたか?」
「いや、これはお仕置きだよ。リーナ、俺以外の男がいるのに、飛びきりの笑顔を浮かべるから」
人目がなくなったせいか、トールは愛称で私のことを呼ぶ。いままで誰一人呼ばなかった、愛称で。
たったそれだけで、私は嬉しくなって何も言い返せなくなってしまう。
焼きもちを焼いてくれるのも嬉しいのですよ、だから私はあえて極上の笑顔をあの場で浮かべたのです。
もっとひどいお仕置きをされるかもしれないので、秘密にしておくけれど。
「手首まで覆う服を用意してくださいね。わたくしの家からはきっと、何も持ち出せませんから」
きっと今ごろ、横領の罪で売れるものは差し押さえられているでしょう。
娘が王太子の婚約者だからと、調子に乗りすぎた罰ですわ。
「なぜ? せっかく俺がつけた徴を、わざわざ隠したりするわけないでしょ」
そう言って、手首のアザに口づけをする。
くすぐったさに、私は逃げようとしたれけれど、トールはそれを許さなかった。
素早く私をとらえ、トールは私の髪をまとめていたピンをはずす。はらりと落ちた髪の一房に、口づけを落とした。
真っ白な私の髪に。
「ずっと、こうしたかった」
老人のような白い髪に、血のように紅い目。
魔力の全くない私は、ミリアム・ウィンディが来るまでは最強の祝福もちだった。
それがゆえ、王家に売られた。
もちろん、そこに愛情などあるはずもなく。
だからこそ、私はトール・アルバースが持ちかけた話に乗った。
王家から連れ出す条件として、彼が言ったのは、トール・アルバースを愛すること。
彼はいつだって、私を目の敵のように睨んでいたから、はじめてその話を持ちかけられたときは驚いた。
私を貶めたいのかしらと疑った。
でも、違った。
彼は本当に、心から私を求めていた。
睨んでいたのは、周囲に気持ちを悟られないようにするためらしい。
たっぷりの愛情を注がれて、心が動かないはずがないのだ。
心を与えられ、心を求められ、落ちないはずがないのだ。
私を王家から解放する初めのトールの行動は、ミリアム・ウィンディの召還だった。
私以上の祝福もち、しかも王家に縛られない人物が必要だったから。
彼女には本当に申し訳ないことをしたわ。
でも、謝らない。私は私の幸せのために動くから。
武骨な指が、私の頬を撫でる。
顎に触れ、親指がそっと唇をたどった。
「まだ、お屋敷についてはおりませんわ」
しばらくは、彼の屋敷に閉じ込められるだろう。
けれどきっと不自由は感じない。
トールはいつだって、私のために動いてくれているから。
「屋敷みたいなものだろう」
そう言って、彼は優しく私に口づけをした。
砂をはくほど甘いのを書いてみたい。でも無理だった。短編って難しいですね。
お読みくださり、ありがとうございます。