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キルケゴールのヘーゲル批判と実存主義への道程。 へーゲル哲学には魂が欠けている

作者: 舜風人


「ヘーゲル哲学体系には全世界があり、絶対精神があるが、そこには一個の悩める実存としての人間的な生命はない」  キルケゴール


この一文に、ヘーゲル哲学の素晴らしさと失望感とがすべてあらわされているのです。


ヘーゲルはすべてを概念化してとらえなおして一切を説明しつくして絶対知と絶対精神に至る道程を体系化しました。その哲学体系の崇高さ?はまさに哲学とはかくあるべしというお手本のような素晴らしい体系です。絶対精神が俯瞰するこの全世界を、意識、理性、歴史、法、宗教、国家、と。すべてを絶対精神の支配する体系として説明しつくしています。まさに哲学体系のお手本のような哲学です。これぞ哲学、、というお手本です。


だがそれはあくまでも神(絶対精神)の視点からの全世界の俯瞰でしかありません。

そこには人間的(個人)視点からの世界の見え方については皆無です。

それが冒頭のキルケゴールの素朴な?ヘーゲル哲学への反発なのです。

ヘーゲルは全世界を説明しつくしたが、、そこには「悩める魂」は皆無だというキルケゴールの失望感です。。


つまり今ここにこうして私という一個人として存在しているかけがえのない「われ」という存在。

それは悩み傷つき魂が震えて、命を紡いでいるこの「われ」という存在からの命の叫びへの協応は皆無である。

ヘーゲル哲学とは、、神の視点からの、理性ってこうだよ、人間ってこういうものだよ、、という哲学です。

でも?それでこの悩める、「われ」という魂を持った存在(実存)は「はい、そうですか」、とナットクできるだろうか?


「決してできはしない。」と、キルケゴールは断言する。

キルケゴールはまず自分というこの悩める魂を持った「われ」から哲学を始めるべきだという。

私はこう生きている

私は今こう悩んでいる

私は、、今、、ここにいる。

そこからしか哲学は始まらないという。


「お金を失ったら人はすぐ気づくだろう、だが自己を失っても人は気づかない。

でも自己を失ったら本当は一番危険なことなんだ。」

キルケゴールはそういう。


悩める実存としての「われ」命のある実存としての「われ」にとって

果たして壮大な哲学体系が一体何の役に立つだろうか?

壮大な哲学体系よりもまず私の命を、魂をを救ってくれる「哲学」こそ、それこそ本当の哲学だろう、

われの欲するのは、今どうしたらよいのか?

「あれかこれか」の選択肢の前でどうしたらよいのか。

それなのである。壮大な哲学体系なんかじゃないのだ。

キルケゴールはそのように考えたのである。


ヘーゲルのように「あれもこれも」一切説明しつくても、その哲学体系はまるで

「海の中のニシンの隊列」でしかないのだ。

ヘーゲル哲学というのはまるで「壮麗な大神殿」のようなものです。

その壮大な体系は素晴らしいものでもあるのです。

そういう体系哲学の意義も確かにあるのです。

ですがその壮麗な大神殿には悩める魂としての「われ」が欠けているのです。

虫けらのような

ちっぽけな

「われ」という悩める魂のことがすっぽりと、欠落してしまっているのです。

無人の

廃墟のような壮大なる大神殿

それがヘーゲル哲学体系なのです。


キルケゴールはこうしたヘーゲル批判から出発して自己の哲学を展開してゆくわけですが

その全貌をここで私が語ることは控えます。(まだ私自身、未研究の部分も多いので、、)


ただそのあらましとしては

現段階で私が理解し得ていることは


まず実存であることに目覚めた「われ」がたどる階梯については


「美的実存段階」 ・・・・・ 感覚的な快楽の段階、、、、、、これはやがて行き詰まる。


「人倫的実存段階」・・・・魂の価値に目覚める段階、、、、、、しかしこれもやがて行き詰まる。


「宗教的実存段階」・・・・絶望の果てに神に身をゆだねる、、、、、この段階で魂は救済される



という段階を経て人は救済されるというのが

キルケゴールの実存哲学です。

ここでの「宗教的」、、とはもちろん「キリスト教的」、、というのと同義です。


ただキルケゴール自身は生涯、悩み、傷つき、不安で絶望で、あれかこれか、と悩み続けた人だったことは確かでしょうね。


彼には結局、、、救済は訪れなかった、、という厳しい生涯でした。



最後に私が共感するキルケゴールの言葉を紹介してこの試論を終わるにしたいと思います。



「人が真理のために、打ち殺されてもよいのか?」キルケゴール


この言葉は重いですね。


ごく具体的な例をあげましょうか?


「科学的真理は必ずしも人間の幸せのためにはならない」

という重大な事実です。


科学的真理を追究して人は、原爆を作りました。

今は遺伝子操作もできます。

だがそれは全面的に人間の幸せになるのでしょうか?

SFの世界かもしれませんが

「クローン人間」の恐怖や

遺伝子操作で危険な「ミュータント人間」ができる可能性は否定できないでしょう。


あるいはAIの暴走というのも今や現実化しつつあるのですね。

人類の滅亡はAIの暴走によるだろうとホーキング博士も言ってる通りですね。

AIはやがて人類無しの世界を構築しようとするだろう、

人類無しのAIだけの世界のほうが合理的だからだ。

まさにターミネーターのSFの世界が現実化するのです。


果たして科学が神の領域にまでも、手を突っ込んだとき

人は、、人類は、、むしろ

破滅への序曲を奏で始めたのだといえなくはないでしょうか?


科学的真理イコール人間の幸せ、、ではありません。


真理とは必ずしも人間の幸せには通じてはいないのです。

人間にとって「危険な真理」もあるということです。


人間の生存が先だろう?

人間の幸せが先だろう?


人間を破滅させるような真理だったら、

人間を不幸にするような、、そんな真理だったら

そんな真理なんか、いらないんだよ。




「人が真理のために、打ち殺されてもよいのか?」



キルケゴールの予言が現実化しないことを祈るばかりです。








補足


キルケゴールの「真理」についての考え方


真理には2種類あるというのがキルケゴールの考え方です。


一つは「客観的真理」


もう一つは「主体的真理」


客観的真理とは「われ」に関係なく成立する真理です。

主体的真理とは「われ」とアダプト(直結)する真理です。


そして、生きている魂としての「実存」にとっては

主体的真理のほうがむしろ重要なのです。


ほかのどこにも存在しないこの「単独者」としての自己実存にとっては

1+1が2というような客観的真理はほとんど無意味です。


そうではなくて主体的真理とはまさに自己にかかわるための自分用の?真理です

もっと具体的に言うなら

それは人生での「出会い」といってもいいでしょう。

あの時あれと出会ってなかったら私の運命はこうなっていなかっただろう、

というような「モノ」とか「人」とかとの出会い体験。

これこそが主体的真理だといえるでしょうね。


こういう主体的真理とはあくまでも自己実存にのみかかわることです。

そういう意味では主体的真理こそがファーストであり、

客観的真理はセカンドですね。

主体的真理ファーストこそが、いわゆゆる実存主義の「最高の出発点」なのです。


なぜなら主体的真理のほうが

命ある主体であるこの世にただ一人しかいない「あなた」「われ」という実存にとっては

最重要の真理だからです。






後書き


だが、、いつも思うことであるのだが、、


こうした様々な哲学者群像を見てきて、


いわゆるカントとか、ヘーゲルとかのような体系の哲学者たちがほとんどみんな、平穏で落ち着いた地道な一生を終わっているのに対して


体系に異議を唱えたり、、

既存の思想にアンチを突き付けたりした

ニーチェとか

キルケゴールのような哲学者たちは

孤独で絶亡して、

狂気の淵をさまよい

みんな破滅的生涯を送らざるを得なかったのはなぜなのだろうか?

そういう意味ではこれらの哲学者たちは「危険な哲学者」?なのであるのでしょうね。

それならばいっそのこと、

体系哲学のほうが、人を幸せにする(救済する)?という逆説も成り立つのですね。


二―チェやキルケゴールは結局はただの「アンチ」でしかなかった?のでしょう?

なぜって彼らは所詮人々を幸せにはしえなかったのですから。


だから私は個人的には結局哲学の王道は体系哲学だと自得するのです。

その意味では近代の典型的な体系哲学者としては

今は完全に忘れ去られてはいますが、

オ-ギュスト・コントの「実証哲学体系」とか、

ハーバート・スペンサーの「第一原理」などのような壮大なる体系哲学をを再読み込みすることこそが

「幸せな人生」を送る上では最良の選択なのかもしれませんよね。


間違っても、、、

そうです、

決してニーチェとか

キルケゴールのような

破滅型のアンチだけの?哲学者には近づかないようにしてね。































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― 新着の感想 ―
[良い点] ヘーゲル好き 正反合いいですねっ 男女関係にせよ漫才にせよ 基本にはこれありますね しかし 好きだけど 確かに空虚 正反合では解決しきれんことたくさんある 人間の悩み苦しみ怒り悲し…
2017/11/13 07:31 退会済み
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