(4)後編
(4)
詩音は目を覚ました。だが、やっと目を半分くらい開けられてくらいで身体はまだ動かせない。
波の音が聞こえる。
体が冷たい。ああ、そうか、海に落ちたんだっけ。いやチガウ、あたし無理矢理落とされたんだ!
朦朧としたアタマでさっきまでの不愉快な出来事をやっと思い出したようだ。
体は動かせないのになんでだろう、詩音はゆっくりと移動している気がした。
ああ、波で揺らされているからか。
だが、これも違った。詩音は海から砂浜へ引きづられていた。顔が擦れて適度に痛いのがシャクだった。
いったい、誰が?
詩音の横を同じくまだ動けないでいるバッカスが引きづられて、しかも向こうの方が少し速く、詩音を追い抜いていった。これもまたちょっとシャクだったようだ。
ジャケットの襟首を噛んで2人を引きづっているのはなんと、小型のダスペーヒ2匹。
まだ子供のようだ。その証拠に体は小さく外形を守る「鎧」もまだなかった。
2人は、砂浜に二筋の軌道を描きながら崖下の小さな洞穴に運ばれた。
助かった‥‥‥、いや助けてもらった?
切り傷に海水が染みて身体中ヒリヒリと痛みとかゆみが止まらない。
詩音は恐る恐る自分の足に触れた。確認だ。
ちゃんと、あった。両足とも。
あれだけ”刃の草原”を夢中で駆け抜けた。それこそ足が斬り刻まれ無くなるんじゃないかと思うくらい。
ようやく実感が湧いてきた。痛みと安堵で、詩音の瞳は潤んだ。
子供ダスペーヒが詩音の頬を軽く舐めた。さっきまで襲ってきた大人ダスペーヒはまるで狼かバッファローみたいにゴツくてどう猛だったが、この子供たちは仔犬みたいに可愛らしく愛嬌たっぷりだ。もう一匹も小さな尻尾を振りながら詩音の顔を舐め始め、お互い体を擦り合わせていた。
詩音は実を言うとこういう”触れ合い”に少し戸惑うことがある。あまり幸せな出来事を体験してこなかったからか、自分でもよくわからないのだが。
ダスペーヒの首もとに小さな光る芽のようなものが見えた。
「あれれ、まさかこれって?」
そう、紛れも無い《花》だった。今回詩音が探しているものとは違っていたが。
キャリアの浅い詩音は知らなかったがこの花はー
「そう、こいつは《カタトニー》。ユニークな花だからな、おかげで売り値はノーシーリング。お礼にビールとサンドウィッチおごってやるぜ」
「あんた‥‥‥」
そこには、2丁斧を携えたバッカスがそびえ立っていた。血を含んで赤く重くなったアロハを着て。ダスペーヒを一匹鷲掴みしたバッカスは《花》の芽を覗き込んだ。
「ちょ、まってよ。どんな《花》から知らないけど、無理に引っこ抜いたら、この二匹はーー」
「‥‥‥どおなるか?」
バッカスはあごひげをさすりながら興味なさそうな顔でワザとらしく肩すくめた。
「いいんじゃない、全員ハッピー、だろ?」
《花》の芽をむしり取ろうとした、その瞬間ーー
「やめろっつ!」
詩音がピッケルを一閃、振り抜いた。
身を翻したバッカスの口元が緩んだ。だが、目つきはさっきまでのおちゃらけは消え、冷酷に澄んできた。
さっきまでと違い今度の2人の戦いには意義ができた。
手負いの2人。刃の草原を駆け抜けた無数の傷は容赦なく2人に深く響いていたが、お互いの武器を握り締めた。
詩音は自分の不利を自覚していた。先ほどの斬り合いで、バッカスの2丁斧連撃が素早く澱みなく詩音の急所に滑り込んでくるのだった。長時間ヤり合えばきっとヤられる。
けど、今回は引けない。助けてくれた2匹を見殺しにできない。
自分の身を捨ててでもーー
そう”覚悟”を決めたその瞬間、2本の斧が顔と足に目掛けて放たれた。
「うそっつ‼︎」
しまった、と思う前に2本の斧は詩音の脛とかばった腕に当たり跳ね返った。
バッカスの方が先に”捨て身戦法”をとってきたのだ。意表を突かれた詩音の背後に滑り込み、両腕で首を固め締めた。”チョークスリーパー”だ
早くも詩音の目の焦点が泳ぎ始めた。
「すまんな‥‥‥」
そう言うバッカスだが、両の腕からチカラは抜けない。
「お前、10か。11? 確かあいつもお前と同じくらいの歳だっだな。もっとも、家を出たっきり会ってないがな。どうしても欲しいんだよ、その花が。会いたいんだ、あいつらに」
白目を剥き始めた詩音はグッタリと体の芯が抜けた。
だが、意識が飛んだその時、詩音の《虫》”メモリースター”が発動した。おでこから発射された金色のみつばちが大きく旋回し、真っ向バッカスの身体を貫いた。
この”メモリースター”はプラントハンター・詩音の切り札。自分が受けたダメージを記憶し、そのまま相手に”転写”する能力を有するのだ。
先ほど詩音は斧で受けた傷とスリーパーのダメージを味わった。
つまりーー、
「ぐおおぉぉぉぉ‥‥‥」
バッカスは両手と脛に裂傷が刻まれ、首を絞められる圧痛を感じながら膝をつき、そして地に伏せた。
意識が戻らないまま詩音はやおら立ち上がった。
風はないのに髪がフワッと逆立ち始めた。
握力は戻らないがピッケルを握り締め、チカラを込めた。
「”太刀斬り”!」
辺りが暗くなり、暗闇と静寂に包まれた。
詩音の背後から青白い光を纏った詩音の姉・時雨が浮かび上がった。
海辺には蓋の開いたつづら箱が転がっている。どうやら、ダスペーヒ2匹は時雨の入った箱もちゃんと一緒に運んでくれていたようだ。
詩音は、歯向かう力を失ったバッカスにピッケルを刺し向けた。
「あんたはやり過ぎたわ。あたしたちを助けた2匹を侵そうとした。悪いけど、ここで終わらす」
バッカスは反論しなかった。息を乱しながら、でもまっすぐで澄んだ眼差しを詩音に向けていた。
”太刀斬りの儀”を発動させた詩音は今、無心だ。邪心も躊躇も無い。
振り下ろすために、詩音はピッケルを振りかぶった。
「待って、詩音ちゃん。よく見て」
詩音は、ズボンの裾をひっぱられていることに気づいた。ダスペーヒが噛んでいた。まるで詩音を止めようとしているように見えた。
もう一匹はバッカスの前に座って、立てないヒゲ男を庇おうとしているようだった。
「くっ、でもだからって」
「チガウわ詩音ちゃん、もっとよく見て」
時雨が詩音を諭す間に、ダスペーヒたちの様子が明らかに変わり始めた。
体表が所々薄い光が点滅しだし、苦しそうに身をよじりだした。
「あれは、いったい何?」
詩音が目を凝らして見ると、ダスぺたちの体表に薄い甲殻が浮き出てきたのだ。それはあの大人たちの《鎧》に似たもの。だが、子供たちは《変化》することを強く拒んでいるようにも見えた。体を大きく振り地面を転がりながら、または甲殻化した自分の体の一部を噛みちぎろうと変化を彼らなりに抑えようとしていた。
「これって、いったい‥‥‥」
「詩音ちゃん、この子たちに咲いてる花はね、この刃の草原で生きていくために必要な力。それをこの《花》は叶えてくれる。か弱い自分の身を庇い守るための《鎧》になれる花。それがこの《カタトニー》の能力。でもねーー」
甲殻化したダスぺは目と牙を剥き出し、凶暴化し始めていた。だが、もう一匹が身を寄り添いペロペロ舐め落ち着かせると、お互い体を擦り合わせて慈しみあった。
「でも鎧を着ていたら、触れ合うことはできないわ。あの子たちは知っているのよ。みんな痛いのはイヤ。怖いの。だから、身を硬くしてやり過ごしてきたの」
時雨のひと言ひと言を詩音は、そしてバッカスは黙って聞いていた。まるで自分のことのように。
しかし、
「でも、でもじゃあどおすればいいのサ。こいつらの望む通り、《花》を狩っちゃったら。ここでどうやって生きていけるっての⁈」
「詩音ちゃん‥‥‥」
時雨は、お姉さんらしく詩音の頬を優しげに撫でながら、つぶやいた。
「正しいかどうかじゃないのよ。ただ、あの子たちと向き合って。まっすぐに」
うながされた詩音はゆっくりと目を開いた。
詩音を見返すダスぺたちは、訴えていた。首もとを差し出すような、《花》を差し出しているような。
詩音は、潤んだ瞳に力を込め、ピッケルを振りかぶった。
そしてーー
「太刀斬り!」
暗い洞窟の冷たい地に、2つの花が散って落ちた。
あんなに欲しかった花だったが、バッカスは眉ひとつ動かず見つめていた。
「‥‥‥持って行きなさいよ。これが、あんたのゴールなんでしょ!」
時雨の影は消え、ひとり詩音は立ち尽くした。
遠くで、波の音がいつまでも定期的に繰り返しているのがまた癪だった。
朝になっても、当たり前のようにまだ斬り傷は癒えなかった。
詩音は早くこの草原を抜けたかった。ピッケルで刃の草木を慎重にどかしながら一歩一歩進んだ。
すると、草むらの遠くから2匹の鳴き声が聞こえた。
「だめ、ついてきたって」
姿は隠れて見えない。だが、声だけでもハッキリとわかった。あの2匹が詩音の後を追いかけて来たのを。そして、刃に阻まれ斬り刻まれていることも。
駆けて来ては斬られ、また駆けて来ては転がされ、でも追いかけるのをやめようとしない。
「もう来んなよ、だめだから‥‥‥」
《花》を捨てた2匹の”未来”を見ているようで詩音はたまらなかった。
音がやんだ。どうやら諦めてくれたらしい。
だがーー、
この先どうなるんだろ。
詩音の頭上から鳴き声が聞こえた。
「えっ⁈」
なんと、大木の枝に2匹がしがみついてよじ登っていた。仔犬のような2匹が必死に、不恰好に、お互いを噛んで引き上げながら。
詩音は自分の視野の狭さを自覚した。そして、彼らの柔軟さと懸命さに柄にもなく気持ちが熱くなった。
なんとかなるものかもしれない。
鎧を捨てても、刃のない世界を見つけられる。そしてーー、
「あんたたちは2匹だから、大丈夫よね」
もうこんな痛いのはこりごりだ。こんなトコロ2度と来るもんか。
でも、詩音は最後にこうつぶやいた。
「大人になっても私を襲わないでよね」
ー END ー