(2) 中編
ー (2) ー
鋭い眼光を外さないまま、瓶ビールをひとくち口に含んだ。
バッカスの放つ鋭い殺気はどうやら本物だ。
シャレではすまななそうだ。
詩音は腰ホルスターのピッケルに手をかけたが、抜くと始まりのトリガーを引いてしまいそうで動けなかった。
その時ー、
「ゔぉおおおおおーー!」
遠くで呻き声がした。詩音とバッカスは振り返ると、離れた丘の上でバッカスの監視していた太腕迷彩服男たちが野獣数頭に襲われていた。巨軀の四つ足獣が太腕迷彩服男の二の腕に噛みついた。
抵抗していた男たちはやがて気力体力を失い、糸が切れ壊れた人形のように関節が変な方向に曲がりながら100キロ超の男たちが振り回された。
おそらくは動物図鑑には載っていない野獣たち。大型の虎か狼みたいに大きく、鋭い牙と爪を装備し、遠目に頭から足先まで鎧のようなものを着込んでいるように見えた。
「げっ、いったいナニ⁈ あんなのここにいた?」
「やばいな、おいひとまずここはバックレるぞ」
さっきまでの殺気がすっかり消え雰囲気が変わったバッカスはそそくさと退散し始めた。
「ちょ、ちょっと、待って、逃げるならあたしも。あれってナニ?」
「ダスペーヒだ。やばいぜありゃ、この地帯にいる人喰い狼だ。まともにカチ合うなんてゴメンだぜ。サメのいる檻にジュゴン抱えて入るようなもんだ。屋根裏掃除した後のバケツの水飲み干す方が断然ましだ」
詩音はその例えの重みはよくわからなかったが、太腕迷彩服男たちのやられ方を目の当たりにすると寒気がした。
2人は身の丈よりも高い草原を足早に進んだ。だが、進んでも進んでも「斬れる葉」は続き、急ぐほど足や腕を細かく切った。靴の足裏を葉が突き抜け、詩音はその都度呻いた。
「本当にあいつら、追ってくるの?」
歩を緩めた詩音は後ろを振り返り立ち止まった。
深く覆い茂った草原はほんの数メートル先しか見えなかった。
「ちえっ、逃げゾンじゃん。こんなに痛い思いしなくてよかったのに」
襲われたのはたまたまであって、あたしら遠くにいたし、関係なかったでしょ。
詩音は無駄に怪我して痛い目にあったことでバッカスに対してブーたれていた。
すると、ずっと先を進んでいたバッカスが草木をかき分けて戻ってきたのだ。
「ちょ、ちょっと、なによ!」
バッカスの目は怒りの色が濃く浮かんでいた。詩音はさっきの続きが始まると思い、咄嗟に身構えた。
ところが、バッカスは詩音の襟首を捕まえ、斬れる草木を掻き分け力まかせに先を急いだ。
掻き分け跳ね返った葉が詩音にチクチク刺さり切った。
「バカヤロー、もたもたするな。本当に命を落とすぞ」
「ああっ⁈ なに言ってんのあんた。だいたい、あたしたちさっきまでケンカしてたでしょ。なんで一緒にいなきゃーー」
だが、その音は詩音にも聞こえ始めた。
ずっと遠くの草むらの奥からなにか金属が擦れ合うような音が。
深く高い草むらからは姿は見えない。
それは、だんだん大きくなっていくような、確実にこちらに近づいてくるような気がした。
「あの、この音って、まさか⁈」
「ビンゴ。だが、もっとヤバいぜ。ひとつじゃない。何頭も来たぜ」
バッカスはビールの最後のひとくちを飲み干し瓶を投げ捨てた。
「走るぞ!」
事の重大さにようやく気づいた。
詩音は切り傷に耐えながら幾万ものカッターや包丁がブラ下がるような草原の「刃葉」の中に再び飛び込んだ。
ダスペーヒは身体の外殻が硬い鎧のように覆われているため、この草原を苦にしない。逆にこの土地で生き残るための進化を手に入れた獣だった。
その「進化」が猛然と走り始めた。
姿はまだ見えない。だが、見えた時はもう終わる。
2人は切られる痛みと、痛みを気にせず迫ってくる”カキンカキン”という恐怖音と戦っていた。
※(3)に続く