ひまわり重奏
夜もすっかり更け、半地下にある「カンクン」は静かな賑わいを見せていた。
上司部下の関係だろう、さっきから同じ話を何度もしているほろ酔いの2人組みに、残業を終えた疲れた表情を張り付けた男性、そして恰幅のいい男性と20代前半と見られる女性の明らかに同伴と思しきカップル。
それぞれが独特の匂いを漂わせながら、交じることなく自分達の時間を過ごしていた。
その中で、視界の端に見えるか見えない程度の位置に座っている、真っ赤なワンピースに身を包んだ妙齢の女性に俺はどことなく目がいってしまっていた。
軽くウェーブした長髪を掻き上げながら、携帯電話をいじっている。
俺はピーナッツをリスのようにカリカリとかみ砕きながら、アイスコーヒーの次に注文した梅酒をちびちびと飲んでいた。
女性が1人、バーにいるなんて特段珍しくも無い光景だ。
「珍しいよ。」
でん、とピーナッツの皿に何かが置かれた。
「なんですか。これ。」
「珍しいよ。」
ただ繰り返すだけで会話をしてくれないマスターは、裂けた口から覗かせる尖った歯を見せつけるようにしてにやりと(見えるように)した。
それは、女性の握り拳くらいの大きさをした石だった。
「石ですね。」
「遺跡ね。」
「遺跡ですか。どこのですか。」
「どこのって、死んだ爺さんのに決まってるでしょ。」
「お爺さん遺跡持ってるんですか。」
「俺も持ってるから。」
「えっ、マスターも持ってるですか。すごいですね。」
「俺らは全員持ってるよ。」
「えっ、鰐って全員遺跡持ってるんですか。」
「うん。持ってるね。」
「へー。大切に受け継いでるんですね。」
「受け継いでいるかどうかは分からないけど。まぁね、こんな時代になっちゃったけどみんな持ってるよ。」
昔から護り抜いてきた遺跡か何かがあるのだろうか、もしくは遺跡から発掘されたパワーストーンの類なのだろうか、マスターのどこか愛おしく眺める表情から察するに高尚な何かがこの石にはあるのだろう。
とりあえず手に持ってみて強く握ってみた。
表面は長年の劣化のためかつるつるしていて、ずっしりとした重量感もない。少しべたつく感はある。
マスターには悪いが、そこらへんに落ちている石との区別が分からなかった。
「何か、大切にしていかないとなって感じがしますね。とても。」
「そうだね。形見でもあるし。」
小さくそう呟いたマスターに、とりあえず俺は石を返した。
わずかに触れた鉤爪に少しどきっとする。
石を手にしたマスターは、そのまま口に加えた。
えっ。
そしてぱくりと飲み込んでしまった。
思わず言葉が続かず、俺は丸くした目をマスターに向けたまま、文字通り硬直した。
「次は何飲む?」
「えっ。」
空になったグラスをコンコンと鉤爪で突かれた。
「あっ、同じので。ロックで。」
「さっきはソーダ割じゃなかったっけ。」
「・・・ソーダ割で。」
歯切れ悪く、俺は滞在時間2時間目で2杯目を注文した。
★★★
財布から2,000円札を取り出し、俺は会計を済ませ、「カンクン」を後にした。
またいらっしゃい。
また来ます。
両手でやっと開けられるほどの重いドアを押し、地上へと続く階段を上がっていった。
「雨か・・・。」
地上と分断された半地下にあったため、雨が降っていたなんて気づきもしなかった。
特に天気予報も気にせず家も出たし、会社も出たし、置き傘なんて用意周到なアイテムなども持ち合わせていなかった。
しかも止みそうにもない本降りだ。
ここから駅まで徒歩で10分ほどかかる距離だ。さらに、最寄駅から自宅までも同じくらいかかる。
近くのコンビニエンスストアでビニール傘を調達するしかなさそうだ。
「入る?」
悩んでいても仕方がない。覚悟を決めて踏み出そうとしたちょうどその時だった。
背後からかかった声に俺は思わず身をすくませた。
振り返ると、同じカウンターで1人で飲んでいたあの妙齢の女性だった。
「そんなところに突っ立ってると開けられないじゃない、傘が。」
「すみません。」
真っ赤なワンピースには、よく見るとひまわりの模様が小さく刺繍されていた。
咄嗟にその場を譲ろうと歩道に出た俺は、殴りかかるような雨を全身に浴びる。
「君、面白いのね。わざわざ濡れるところに出るなんて。」
乾いた苦笑いを作りながら、妙齢の女性は傘の半分を開けてくれた。
「ここからの最寄り駅ってひとつしかないし、君も電車で帰るんでしょ。」
「はい。電車です。」
「結構。」
遮るような、はきはきとした喋り方で、女性はまっすぐ前を向いて歩き出した。
俺は遅れを取らないように、二人三脚の要領で歩調を合わせる。
頭上を見上げると、傘にもひまわりの模様が描かれていた。
「ひまわりお好きなんですか?」
「なんで?」
「服も傘もひまわりの模様があったので。」
「なるほどね。」
確かめるように頭上を見上げた。ふんわりと甘い香りが漂ってくる。
「これ、偶然だったって言ったらどうする?」
「えっ、ちょっと困りますね。」
「ちょっとなんだ。」
クスクスと小さく笑うたびに、俺の左肩にふわふわした肌が触れた。
「ひまわりが好きというか、雨の日とか、寒い日とかが大っ嫌いなだけ。だって私猫だから。」
目の前に親の仇でもいるかのように力強く言い切った。