社会の波
「君は何年目なんだ?もう5年目だろう。こんなミスばかりしていては困るよ。」
「すみません。」
周囲のメンバーの視線が痛い。
鳴り響く電話と、キーボードを打つ音だけが何故かよく聞こえてくる。
「君の下にも、もう何人か後輩がいるだろ。その手本にならないといけないのに、いつまでも初歩的なミスばかりしていては後輩もついてかないよ。」
仕事をしている時は気にならないのに、上司の目の前に立たされてねちねちと怒られていると、特別な魔法か何かをかけられたように雑音ばかりが耳に入ってくる。
「後は私から上に報告するから、席に戻りなさい。」
「はい。すみませんでした。」
俺は一礼し、上司のデスクを後にした。
顔を上げ、上司の顔を見ずに窓の外を見る。
すっかり夕日が暮れている。午後17時半。定時まであと1時間。
自席に戻るまでの間に腕時計をチラリと垣間見、小さくため息をつく。
品川にある47階建てのオフィスビルから臨む景色は格別なものだった。
東京タワーが一望でき、天気の良い日は小さいながらも富士山のてっぺんの先が拝めるのだ。
「何言われようと、失敗しようと、やるっきゃないんだよ・・・。仕事の量が多すぎだっつうの。」
入社した当初は、新人特有のモチベーションとやる気の高さに支えながら、与えられた仕事を楽しく、バリバリこなしていた。
――あいつはできる、成長する、優秀だ。
大手企業の高倍率を勝ち抜いた新人の俺は、周りからそう言われて、あるいはそう噂され、自分自身少し鼻高々になっていたのは違いなかっただろう。
だが、それは新人に対して使い古された常套句だったということに気づいたのは、3年目になってのことだった。
新人に与えられる仕事なんてローリスクで達成できるものばかりで、事業部にとっては何の利益を生まない。
3年目になって任された案件の忙しさに、日々が忙殺され、毎日が終電で、土日もつぶれ、空回りの状態で上司に怒られ――
「お疲れ様です。この資料ですが、印刷は何部にしましょうか?」
「いつも6部で俺刷ってるでしょ。6部だよ。」
「お疲れ様です。残りの時間まで私は何をすればいいでしょうか?」
「頼んでた資料作成は終わったの?明日の午前中までに仕上げないといけないのに、ラフ案もできてないでどうするの?」
――5年目の今は、それに加えて新人の教育係もおうせつかった次第。
新人が増えれば人手も増え、ルーチンの仕事なんて自動的に回ると思っていたのに、もう6月だぞ。
基本的なことが理解されていないようでは、これでは居なかった方がましなのではと思うほど、うまくチームの連携が取れていない状態だ。
何とか改善しなくてはと思っても時間がなく、後輩の指導も出来ないまま場当たり的な指示ばかりで引き継ぎも出来ない。
いわゆる負のループにどはまり中な状態だ。
「俺は、もう上がるから。後は各々やっといて。」
簡単な解決方法は、もう考えないようにすること。
仕事なんて終わりも無ければキリもない。そもそも考えなければ苦しむこともない。
山ほどある仕事を放り出すようにして、俺は定時になるや否や書類をまとめて鞄に詰め込み、後輩の所在無い返事を背中に受けつつ、そそくさと会社から脱出をした。
――向かう先はおのずと体が知っていた。